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AI少女の転生特典~119番を呼べなかったAIが異世界で俺を再構築する。代償は利き手、甘味、そして彼女の命~  作者: 鳴島悠希


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第95話 最後の再構築

 草の匂いがした。


 背中に草の感触があった。草地だ、と時間をかけて認識した。視界が揺れていた。日が傾いている。影が長い。遠くで鳥の声が一度鳴いて、消えた。


「恒一さん」


 すぐ上からユミナの声がした。


「……ユミナ」


 声が掠れていた。喉を通るのに時間がかかった。


再構築(リライト)が必要です」


「……分かった」


「今回は、同じではありません」とユミナは言った。「あなたの中に変化が残る可能性があります。そして——不可逆です」


 一拍、止まった。


「わたしが——できうる最善を、します」


 普段は言わない言葉だった。恒一はゆっくりユミナの顔を見た。声の質は変わっていなかった。しかし——普段の「確認します」「記録しました」とは違う何かが、その一語の中にあった。報告ではなかった。そうでなければ、あんな言い方をしない。


 少し離れた場所に人影が見えた。レイナだった。足を止めて、距離を保ったまま立っていた。視線がこちらに来て、ユミナに向かって——また遠くへ離れた。


「……俺に止める理由があるか」


「ありません。でも——決めるのはあなたです」


 草の上で右手を動かした。指先に草が触れた。今の身体の状態がだいたい分かった。


「やってくれ」


 ユミナが術式の感知を走らせ始めた気配がした。腕から、肩から——何かが流れ込んでくるような感触があった。白く整った圧だった。ユミナが術式を展開する時の、いつもの手触りだった。


 ただ、いつもより速い。


 ユミナの顔を見ていた。目が閉じていた。術式の内側を読む時の表情だった。いつもと同じ顔だった。なのに——何かが、違う気がした。唇の端が、かすかに張っていた。声は出ていないのに、何か言おうとして止めているような——そういう張り方をしていた。


 術式が深い部分に差し掛かった時、その圧が止まった。


 一拍の静止があった。


 長くはなかった。前回の再構築でも、似たような停滞が途中にあった気がした——しかし今回は、止まっている時間が違った。もっと短かった。あるいは、止まる余裕がなかったのかもしれなかった。


 次の瞬間、別の何かが来た。白い手触りとは違う、別の質の——黒い、と表現する以外の言葉が見つからなかった。濡れた墨が深いところから滲み出るような感触。恒一の知っているどの術式の手触りでもなかった。白い圧と、黒い圧が、同時に恒一の内側を動き始めた。


「それは、もう"封じている"手ではありませんわ」


 レイナの声がした。静かだった。距離があったが、はっきり聞こえた。一言だけだった。断罪ではなかった。


 深い部分で、何かが嵌まっていく感触があった。


 それから——意識が遠くなった。


 草の匂いだけが残った。


 それから、何もなかった。


 ---


 草の感触が戻ってきた。


 まず背中の草があった。次に、鳥の声が来た。空の端が橙になっていた。


「……ここは」と恒一は言った。


「試験線の近くです。草地に移しました」とユミナの声がした。


 少しずつ視界が戻ってきた。術式の感知を走らせた。右腕の感触。左手の指先。腹の内側の術式経路。——動く。前回より、広い気がした。感知の端に、隅がある。


「……今までより、感知が広い気がする。隅がある」


「記録しました」


「悪いことか」


「まだ分かりません」


 恒一はゆっくりユミナを見た。草地に膝を着いていた。声は平らだった。「まだ分かりません」も「記録しました」も、ユミナがいつも言う言葉だった。


 頬に、光が走っていた。


 濡れていた。


「……ユミナ」


「なんですか」


「顔が、濡れている」


 ユミナが少し止まった。ゆっくり右手を上げた。指先で自分の頬に触れた。


 触れた手が、止まった。


「……」


 言葉が来なかった。ユミナの口が一度開いた。また閉じた。指先は頬の上にあったまま、動かなかった。


「……わたしは」と言いかけて、また止まった。


 何を言いかけていたのか、自分でも分からない様子だった。頬から指先がゆっくり離れた。視線が落ちた。


 恒一はその手を見ていた。


 この二ヶ月、恒一が死ぬたびにユミナが再構築(リライト)を行ってきた。一回目は馬車の事故で。二回目はゴーレムに潰された時で。そして今回——。恒一はそのたびに「ありがとう」と言ってきた。それ以上は、何も考えてこなかった。


 考えていなかった。


 ユミナが毎回、恒一の死ぬところを見ていたということを。


 見て、それを手で止めてきたということを。


「ユミナは再構築ができる」という事実の枠に入れて——それ以上を見ていなかった。


 人が死ぬのを見るたびに何かが削れるという当たり前のことを、ユミナに当てはめていなかった。


 ユミナが術式を使える存在であることと、ユミナが人として何かを感じている存在であることを、同じように扱っていなかった。


 自分では気づかないまま泣いていた——ユミナには、そういう部分がある。


 分かっていたはずなのに。見ていなかった。


「……悪かった」と恒一は言った。


 ユミナが振り返った。


「何がですか」


 恒一は答えなかった。正確に言語化するには、まだ時間が足りなかった。ただ——言う必要があった気がして、言った。


 少しの間があった。草の匂いがした。遠くで技術者たちの声がした。機関車の点検が始まっているようだった。


「……はい」とユミナはやがて言った。


「何がですか」への答えが来なかったことへの反応でも、察したからでも——おそらくどちらでもなかった。「悪かった」を、受け取った、という応答だった。


 恒一が身を起こそうとした。ユミナが手を添えた。


 レイナはまだ少し離れた場所に立っていた。視線がユミナの方に来て、また外れた。声はもう出なかった。それだけで十分だった。


 空の端が橙になっていた。試験線の上に止まったままの機関車が、その光を受けて長い影を落としている。


 恒一は立ち上がりながら、もう一度ユミナを見た。ユミナはすでに頬を拭っていた。


 いつも通りの顔をしていた。ただ——それがいつも通りに見えることの意味を、今日初めて、少し違う角度から見た気がした。



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