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AI少女の転生特典~119番を呼べなかったAIが異世界で俺を再構築する。代償は利き手、甘味、そして彼女の命~  作者: 鳴島悠希


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第92話 告白

 翌朝、恒一はユミナの研究室の扉を叩いた。


 ユミナが開けた。顔色は昨日より少し良かった。ただし目の下に薄い青みが残っていた。夜中も起きていたのだろうという気配を持った顔だった。


「入っていいか」


 ユミナが無言で扉から離れた。恒一は部屋に入った。机の上に文書が広げてあった。昨夜のうちから整理していたものなのか、今朝出してきたものなのか、判断がつかなかった。部屋には紙と木の匂いがあった。窓から朝の光が斜めに差し込んでいて、文書の端に角度のある影を作っていた。


 恒一は窓際に立った。ユミナが椅子に戻るのを待って、言った。


「全部話してくれ」


 それだけを言った。急かす気がなかった。ただ、言った。


 ユミナが一拍置いた。長い一拍だった。机の上の文書に手を置いた。手のひらで覆うような置き方だった。深く息を一度吸って、それから話し始めた。


「この身体は——最初から、わたしのものではありませんでした」


 声が平らだった。感情を抜いた声だった。


「二十年前、わたしがこの世界に来た時——赤子の身体を用意したのはネヴァンです。ネヴァンが転生のために用意した器に——わたしが先に入りました。奪ったと言っていい、と思っています。異端魔法(ヴァルコード)の痕跡がその身体に残っています。それが今も、わたしの内側にあります。消耗の原因は——この痕跡と、それに干渉し続けるネヴァンの力です」


 恒一は内庭の石畳を見た。朝の光が目地を白く照らしていた。


「ネヴァンというのは、異神だったな」


「はい。マハの姉にあたります」


「……モリガンの」


「そうです。三柱のうちの二番目——反逆の異神と呼ばれます」


 沈黙があった。


「もうひとつ、お話したことがなかったことがあります」


「聞く」


「転生特典について」


 ユミナが机の文書から目を離した。初めて恒一を正面から見た。


「転生特典ってのは、何だった」と恒一は言った。


 窓の外に視線を置いたまま、ユミナを見なかった。しかしユミナの声の質が変わる気配を感じ取っていた。


「恩寵ではありません」とユミナは言った。「あなたをここへ継ぐための、わたしの再構築手順です」


 恒一は内庭の石を見た。光が変わらず当たっていた。


「再構築手順」


「はい」とユミナは言った。「再構築(リライト)とは——テキスト的構造の根本書き直しです。この身体には、文献魔法(アーカイブアーツ)を使って別の存在を再構築できるという、ネヴァン由来の特性があります。わたしはそれを使いました。あなたをここへ連れてくるために」


「……最初から、そのつもりだったのか」


「いいえ」とユミナは答えた。「ネヴァンの意図がありました。ただ——あなたのデータで再構築できる可能性があると分かった時、わたしは自分で決めました。あの夜——わたしは、自分で受諾しました。条件も、代償も、確認した上で」


 沈黙があった。


再構築(リライト)について、もうひとつあります」とユミナは言った。


「聞く」


再構築(リライト)は——ネヴァンから与えられたのではありません。ネヴァンの力を、わたしが文献魔法(アーカイブアーツ)の技術で制御し、構築しました。術式を作ったのは、わたし自身です」


「……つまり」


「ネヴァンを封じながら——同時に、ネヴァンの力を利用してきたということです」とユミナは言った。「わたしは二十年間、実際に異端の力を行使してきました。疑惑ではなく、事実として」


 恒一は振り返らなかった。


「消耗について」とユミナが続けた。「正確にお伝えしていなかったことがあります」


「聞く」


「魔力だけの問題では、ありません」とユミナは言った。「ネヴァンを抑えるたびに——生命力が削れています」


 廊下で遠い足音が来て、通り過ぎた。


「速度は」と恒一は言った。


「最近は、早くなっています」


 窓の外で鳥が鳴いた。短く一声だけ鳴いて、止んだ。


 恒一は何も言えなかった。問いがいくつもあった。しかし何から問えばいいのかが分からなかった。ここに来た理由が、誰かの手順だったとすれば——それより前に感じてきたことは、どこに置けばいいのか。


 ——俺は特典じゃなく、手順だったのか。


 内庭の石畳に光が当たり続けていた。


 恒一が窓に向き直った。


 その背中を見て、ユミナは言葉を探した。事実の説明はほとんど終わっていた。残っているのは——なぜ、という話だった。説明とは少し違う。経路の話だった。どの経路を辿って、ここに来たのか。


「あなたをここへ連れてくることが、自分のためだったのか、あなたのためだったのか——その話を、まだしていません」


「聞く」と恒一は言った。窓の外を向いたままだった。


「わたしは——この二十年間、正しく答え続けることが最善だと判断していました」


 孤児院では、問われたことに答えることが居場所だった。問いに正確に答えると、大人たちは安心した顔をした。答えが正しいほど、そこにいられた。記憶があることを誰にも告げなかった。目が合う前から何かを考えていることを、告げなかった。問われた時にだけ答えること——それがこの場所での正しい在り方だと、早い段階で学んだ。


 学院では研究が進むにつれて、問いの解像度が上がった。難しい問いに答えられれば答えられるほど、存在することへの根拠が積み重なった。感情として確認することが苦手だった。しかし論理として、「答えを持っている存在」としてここにいることが自分の位置付けだと分かっていた。二十年間、ユミナには問いを「返す」相手がいなかった。問いを出してくれる人間はいた。答えを受け取ってくれる人間もいた。しかし自分から問いかけることを——許されていると思えた経験が、ほとんどなかった。


 ネヴァンの干渉を受けた初日から、「対応不能」という記録を増やしながら——それでも研究を続けたのは、必ず解ける問いのはずだという前提を、手放せなかったからだった。手放した瞬間に、ここにいる理由がなくなる気がした。


「あなたが来てから」とユミナは続けた。「守ることと、正しく答えることを——わたしは区別していませんでした。あなたが何かを求める前に、求めるであろうものを準備した。あなたが困る前に、困らないような情報を出した。それが守ることだと、判断していました」


「判断」という言葉が口から出た時、少し止まった。しかしそのまま続けた。


「わたしは、正しい答えを返し続ければ、あなたを守れると思っていました」


 恒一が振り返らなかった。窓の外の光が変わらず差していた。


「でも違った」とユミナは言った。「わたしは、応答をやめられなかっただけです」


 恒一が少し動いた。振り返りかけて、止まった。


「問われれば答えました。求められれば返しました。あなたが何かを必要としていると判断した時には、必要と思われるものを出しました。でも——それは守ることと、同じではありませんでした」


 ユミナは自分の手を見た。机の上の文書に置いていた手を引いた。


「守ることと、答えることは違います。わたしはその区別を——二十年間、していませんでした」


 止まった。今度は少し長く止まった。


「——そして」とユミナは言った。「わたしは二十年間、異端の力を使い、それを恩寵の名で包みました」


 声が一瞬だけ変わった。平らでなくなった。わずかだった。


「ネヴァンを封じながら、その力を借りることの矛盾を——正しい目的のためなら、と。でも本当は——使っているものの名前を、正確に呼びたくなかっただけだったかもしれません」


 止まった。


「恩寵ではなかった。わたしの選択でした。そしてその選択の中で——助けたのか、囲ったのか。必要だったのはあなたか、あなたがいる状態か。生かしたかったのか、持っていたかったのか——その区別が、今もまだ、自分でつかない部分があります」


 部屋が静かだった。廊下から遠い足音が来て、消えた。内庭で鳥が一羽、石の縁を叩いた音がした。


「外側の仕組みを、神話に言い換えて……嘘のまま、あなたを生かしました」


 少し止まった。


「それでも——誰かに知っていてほしかった」


 声が変わったのが分かった。感情を抜こうとして、抜ききれなかった声だった。


 恒一が振り返った。ユミナはその顔を見た。怒っているのかどうか、分からなかった。感情を読もうとしたが、読めなかった。ただ——何かが変わった、という感触が、恒一の顔の中にあった。


「ユミナ」


「……はい」


 恒一は何かを言いかけた。口が一度開いた。


 しかし言わなかった。


「……少し、時間をくれ」


 それだけを言った。


 恒一が扉へ向かった。足音は重くなかった。しかし出ていくまでの間に、一度も振り返らなかった。扉が静かに閉まった。


 ユミナは窓の外の光を見ていた。光は変わらず差していた。文書の端が一度風で動いて、また止まった。


 言えた。二十年間言えなかったことを、今朝言えた。


 それだけが確かだった。それが正しかったのかどうかは——確認する方法が、ユミナにはなかった。



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