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AI少女の転生特典~119番を呼べなかったAIが異世界で俺を再構築する。代償は利き手、甘味、そして彼女の命~  作者: 鳴島悠希


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第87話 封印劣化の証拠

 カルスが姿を現したのは、試験線からの帰り道だった。


 ユミナは先に部屋へ戻っていた。恒一が台帳を抱えて城の中庭へ入ろうとしたところで、廊下の角から「失礼します」と声がかかった。カルスだった。「少々よろしいでしょうか」と言ってから、いつもの廊下ではなく東棟の側廊を指した。


 この廊下は普段あまり人が通らない。太い石柱が等間隔に並んでいて、外窓は高い位置にあり、足元まで光が届かない。足音が石に吸われる。カルスは途中で何も説明しなかった。「こちらへどうぞ」と言っただけで、先を歩いた。


 恒一は後ろを確認した。誰もいなかった。これがどういう種類の「来てほしい」かは、おおよそ分かった。


 扉は小さく、表札がなかった。


 ---


 中に四人がいた。


 ヴァリスが机の前に立って地図を見ていた。レイナがその隣に立っていた。ミリアは窓際の椅子に腰を下ろして片足を組み、外の光の中に顔を向けていた。ユミナは壁際の椅子に座って書き付けを手元に広げ、入ってきた恒一を一瞬見てから視線を戻した。先に部屋へ戻っていたはずだったが、別の経路で呼ばれていたということだった。


「来てもらった」とヴァリスが言った。


 机は丸形だった。椅子が五脚。机の上に広げられた地図は羊皮紙製で、大陸の主要部が一枚に収まっていた。いくつかの場所に墨の点が打たれていた。書き込みもあったが、恒一の立ち位置からは読めなかった。


 カルスは扉を閉めて、外に残った。外の音が遠くなった。


 ---


「順番に聞いてくれ」とヴァリスが言った。


 レイナが書状を一枚、机の上に置いた。「エルセアの商業組合から。港の荷揚げ作業中に、深層側からの強い気流が三回確認されたとあります。一層の見張りが報告を上げました——昨年の同時期と比べると、三倍に相当する頻度ですわ」


「商業組合はどう処理しているか」


「異常気候として、ですわ。ただ——」レイナは書状を開いて末尾の一行を示した。「五層付近から押し返されるような圧を感じた、とあります。気候の話ではございません」


 ヴァリスが地図の一点に指先を置いた。エルセアの近傍を示す墨の点だった。


「ヘルマ班の報告書とも重なるか」と恒一は言った。


「ヴェルダ・ロートからの手紙でも同様の記述があります。地盤の揺れと、深層から届く音の変質を観測しています」レイナは続けた。「記録官の訓練を受けた人間が、言葉を選んで書いた報告です」


 次はミリアが口を開いた。「やっほー」と言いかけて、少し止まった。「——今日はやめとく」


 声のトーンは変わらなかった。ただ、窓の外に向いていた顔が正面に戻った。


「あたしの話は教国経由。北方の祈祷所から毎月報告が来るんだけど、三年前から楔周辺の浄化頻度が倍になってる。浄化の効き目が出ている間の持続時間が短くなってる。効果が落ちてるっていうより——対象が変わってきてる感じ、って現場の神官が書いてる」


「対象が変わる」


「浄化ってね、本来は外から入ってきた不純なものを洗い流す術式なんだよ。でも最近の報告は——外から来てるんじゃなくて、内側から滲んでくる感じ、って書いてある。あたしも、同じ感覚を持ってる」


 ミリアがそれを言った時、軽口の間が少し長くなった。それだけだった。ただ恒一には分かった。ミリアが「感じてる」と言い切る時と「気がする」と言う時は、重さが違う。


 三つ目はヴァリスが説明した。「先週、魔導学院付属施設から報告が上がった。ゴーレム系の制御ログに欠損が出ている。動作に支障はないが、記録として書き出された文字列に、規則的に欠けた箇所がある」


「規則的に」


「欠け方のパターンが似ている。場所は毎回同じではないが——欠けるための構造がある、という感触だ」


 ユミナが書き付けに短く何かを書いた。ペンの音が細く続いた。


 ---


 地図の印は五つあった。エルセア港近郊、北方教区の外縁、アルヴェリア王都、南西の丘陵帯、王都から東の街道沿いの小邑。後の二つについてもレイナが簡潔に続けた。瘴気の密度が上がっていること、季節に合わない霧が長く続いていること——どちらも単独で見れば「今年は変な天気だ」で済む話だった。


 五つの点を目で追ううちに、背中の筋が一度だけ冷えた。それぞれが別の場所で観察された、別の種類の現象だった。しかし五点を繋ぐと、線が中心に向かう——その感触が、言葉より先に来た。


「エルセアの深層に向いている」と恒一は言った。


「そう思う」とヴァリスが言った。


 短い沈黙が部屋にあった。窓の外を風が通る音がした。


「深層の受信が不安定になっている」とヴァリスは続けた。「ミリアの言葉を借りている」


「あたしが言い始めたのは」とミリアが言った。「祈りが届かない感覚があったから。届いてはいるはずなんだけど——帰ってくる感触がない。受け取る側が、うまく機能していない」


「楔の側が、ということか」


「うん。マハの封印が——呼びかけに応えなくなってる。三ヶ月前から。あたしが計算したというより、感じた日付を積み重ねた感じだけど」


 ヴァリスが別の書状を地図の端に広げた。数字が並んでいた。「三年前の見込みでは、今年中に劣化が表面化する可能性があった。それが——今は、前倒しになっている」


「どのくらい」


「月単位では見える。週は合わない」とミリアは言った。「今年の前半のうちに、何かが起きる」


 ユミナがペンを置いた。「よろしいですか」


 全員が向いた。ユミナは書き付けを少し引いてから、口を開いた。「古文書の記録では——楔は送信の起点がなくなっても、受信を継続します。ただ、受信の質は起点の状態に依存しています。起点が不安定になれば、受信の精度も落ちる」


「送信の起点とは」とレイナが言った。


「楔に信号を送り続けているものです。詳細な記録はすでに除かれていて確認できませんが——存在するとすれば、それが今、機能を低下させています」ユミナは短く止まった。「断定はしません。現時点での調査の範囲での話です」


 ヴァリスが黙って地図に目を戻した。レイナは手を剣の柄に向かいかけて、止めた。


 ---


「公表については」とレイナが口を開いた。「現時点では難しいとヴァリスも判断しております。理由を申し上げますわ」


「聞かせてくれ」


「一つ。封印の劣化を公にすれば、各地の市場と人の動きが先に変わります。問題が実際に起きる前に、影だけが先に走ります。二つ。教国が動きます。異端の関与があると判断された場合、聖戦の手続きが始まる——こちらの調査を待たずに」


 ミリアが補足した。「あたしがここにいる間は、手続きに一段の手間はかけられるよ。でも、それも限界はあるの」


「三つ目は」と恒一は聞いた。


 レイナが少し間を置いた。「この部屋の外に情報が出れば、引き戻すことはできません。一度出た話は、先を歩きます」


 恒一は机の地図を見た。五つの墨の点。その外に広がっている大陸の大半は、今日この話を知らない。知らないまま今日も動いている。「何か動けるか」と恒一は言った。「公表せずに」


「それが、今日ここで話したかったことだ」とヴァリスが言った。


 ---


 部屋を出る前、恒一は一度だけ地図を見返した。


 印の数は変わらない。どの印も、誰かが現場で見て、書いて、届けた記録だった。エルセアに残っているヘルマやヴェルダが出した数字も、その中に入っていた。


 政治の問題と世界の問題が、同じ机の上にあった。どちらが先に動くかは、今のところ答えが出ていなかった。封印が劣化する速度と、噂が広がる速度と、教国が動く速度——三つが別の軸を走っていて、どこかで交差する。その前に、何かをしなければならない。


 何を、はまだ分からなかった。ただヴァリスは「今日ここで話したかったことがある」と言って、扉を開けなかった。



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