第83話 仲間たちの手紙
昼前に書状が届いた。三通。カルスが廊下で渡してきた。「エルセアからでございます」と添えた。
封蝋が三種類あった。革の印面の形が三つ全部違う。書状という形で届くのは珍しかった——精霊通信で短文が来ることはあるが、紙に書いて封をして馬か船で届けるのは別の手間がかかる。誰かがわざわざそうしたということだ。羊皮紙の乾いた匂いがした。部屋に持ち帰って並べた。
一番厚いのはヴェルダからだった。五枚。他の二通を先に開けた。
ヘルマからは報告書と大差ない内容だった。
エルセアの現況。瘴気の平均濃度が一か月で一割以上増加。地盤の不安定化が広い範囲で確認されており、霊脈整流の施術頻度が以前の倍近くになっている。深層から「押し返されるような圧を感じる」という報告——ドラク商会の探索班から上がったものを、ガルシュタインの班も同じ内容で確認している。六層の奥に近い区画では「進むほど空気に質量が増す感触がある」という記述だった。
最後の行は短かった。「お前は今何をしている。報告書を書いていれば問題ない。以上」
ノルからは「お久しっすねー先輩!」で始まっていた。
内容は軽かったが情報は詰まっていた。ダンジョン内部の気配が変わった、空気の匂いが違う、うまく言えないがと書いて、「浄化線の効きが場所によって手応えが変わったっす。空気の質か密度みたいなものが変わったような感覚っす」と続いた。4層以深の探索が慎重な運用になっているとも書いていた。
「5層に近い区画が最近変わった気がするっす。父がいた階層なんで、つい気になるっすね」と一行あって、すぐに「あ、先輩はちゃんとメシ食えてるっすか。ユミナさんもいるし大丈夫とは思うんすけど」に移っていた。
ヴェルダの手紙に戻った。
整然と並んだ文字だった。一文が短く、段落の間に余白がある。
発端は、エルセアを発つ前に恒一が写し取ったゴーレムの制御文字——あの図形の写し——の解析を続けていたことだった。個体ごとに制御言語の書式は異なる。「しかし」とヴェルダは書いた。「複数の古いゴーレムを比較した結果、下層に共通する構造が判明した」
下層という言葉を、恒一は止まって読み返した。
「命令文の最下部——ゴーレムを動かすための記述の、さらに底にある層——に、命令とは目的が異なる記述が存在する。命令文は何をするかを指定する。しかしこの記述は、それとは別の構造を持っている。経路の指定、あるいは送受信の形式に近い何かに見える。この構造は、異なる時代・異なる目的で作られたゴーレムに共通して存在する。また、この構造には均等な空白を伴う記録様式がある——命令文には見られない規則的な空白が、一定の幅で複数箇所に存在する。この空白の意味は現時点では不明だが、個体を問わず同じ幅であることが確認できている」
最後の段落は短かった。「なぜ共通しているかは、まだわかっていない。気になれば連絡してほしい」
読み終えて、恒一はポーチから書き付けを取り出した。
アルヴェリアに来てから間もない夜に書いたもので、少し折れていた。「夢、均等な間隔、言語ではない、エルセアの記号と同じ手触り」
均等な間隔。
ヴェルダの言葉と並べると、何かが重なった。命令文の底に共通する構造——命令ではない、経路の指定のような何か。あの夢の中の手触りは、塊と塊の間の空白が均等だった。記録ノードが「受け取るだけで応答しない」構造も、その感触に近かった。昨夜ユミナから聞いた話——「記録術式の送信が途絶えると劣化が始まる」「送信の起点は記録から除かれた」——もここに並ぶ気がした。
証拠ではなかった。「似ている」という感触だけだった。
だが方向が同じだ。
---
夕方になって、ユミナが図書館から戻ってきた。
「ヘルマたちから手紙が来た」と恒一は言った。「読むか」
三通を渡すと、ユミナは順に読んだ。ヘルマのを読む時に指が一度止まった。「深層からの圧力、というのが」と言いかけて、止まった。「分かりました」と言い直した。「エルセアの状況は、私たちが思っているより早く悪化しているかもしれない」
「ヴェルダからも来た。ゴーレムの制御言語の下層に、共通する構造があると言っている。命令ではなく、経路の指定に近い何かだと」
ユミナが顔を上げた。「……どのゴーレムにも?」
「複数を比べて共通していたと書いている」
少し間があった。恒一はユミナの目の動きを見ていた。昨夜「記録術式の送信が途絶えると劣化が始まる」と話していた。その話がどこかで今の話と接続しているかどうか——ユミナの顔からは読めなかった。
「ヴェルダに詳細を聞けますか」とユミナが言った。「今の研究と、接続できるかもしれない」
「返書を出す」
部屋の光が傾いていた。卓の上に手紙が三通並んでいた。恒一はポーチのメモのことを言わなかった。確信がなければ言っても何も変わらない。まだ繋げられないものを言葉にしても、返ってくる質問に答えられない。
ヘルマの最後の一行が、机の端に置いた紙の中で見えていた。「お前は今何をしている。報告書を書いていれば問題ない。以上」——気遣いの欠片もない短さで、それでいて意味が読めた。現場が動いている。お前は動けているか。そういうことだった。
ノルの「先輩はちゃんとメシ食えてるっすか」も、似たようなものだった。軽い書き方の奥に、少しだけ別の何かがある気がした。「5層に近い区画が最近変わった」という一行も、読み返すと笑い飛ばしきれない重さがあった。
返書を書かなければならなかった。現状報告と、幾つかの確認事項。アルヴェリア側では分からないことが、エルセアにいる彼らには見えているかもしれない。
もう一つ、すべきことがあった。
---
夜、カルスを通じてヴァリスに時間を請うた。緊急ではないと添えた。それでも早めに通してもらえた。
私室に入ると、ミリアがいた。偶然らしかった。「コイチ? どうした」と軽く言いながら、目の色は変わらなかった。ヴァリスは椅子から立たず、「座れ」とだけ言った。扉を閉める音がして、部屋は三人になった。
恒一は手紙の要点だけを話した。エルセアの瘴気濃度が、一か月で一割以上増加していること。地盤の不安定化が広範囲で確認されていること。深層から「押し返されるような圧」の報告が、複数の探索班から上がっていること。
「六層の奥から、です」と付け加えた。「ドラク商会とガルシュタインの両班が、同じ内容で確認しています。現場の感触では、さらに下——より深い層から来ていると」
ヴァリスは黙って聞いていた。途中で何も挟まなかった。
「以前、マハの封印楔が劣化していると聞きました」と恒一は続けた。「繋がっている可能性があると思いました。判断が合っているかどうかは分かりません。ただ、こちらに持ってくるべき話だと思った」
ミリアが口を開いた。「……時期が」と言いかけて止まった。「予想より早いかも、ね」
目が軽くなかった。
「加速しているのかもしれない」とヴァリスは言った。「あるいは、俺たちが把握していない経路で何かが進んでいる」
短い沈黙があった。
「よく持ってきてくれた」とヴァリスが言った。感謝というより確認の言葉に聞こえた。
「返書を書きます。聞けることは聞いてみます」
「頼む」
ヴァリスはそこで止まらなかった。
「ただし——アルヴェリアがエルセアの冒険会社に直接接触すれば、内政干渉と受け取られる。エルセア側が主導して動いている状況で俺たちが前に出れば、話が別の方向に行く」
「……どうするんですか」
「表口を作る」ヴァリスは指を一本立てた。「王立学院からの技術調査派遣という形で入れれば、商会側も断りにくい。拒否すれば技術支援を断ったことになる。受け入れれば学院の人間が現場に入れる」二本目。「費用をダンジョン安定化の共同支援として出す。エルセアが自国のダンジョン管理に外部資金を入れるのは前例がある。主権の問題にならない」三本目。「精霊機関車の技術協力という実績が既にある。それを根拠に両国間の正式な協力体制として組めば、周辺国も異議を挟みにくい」
「ドラク商会とガルシュタインだったか?気をつわず、損もしない条件にして、数日中に連絡が届くようにする」
恒一は少し間を置いた。「……その筋は、もう考えてあったんですか」
「これ以上、影響が悪化するなら、監視目的で冒険会社をこっそり立ち上げることも考えていたんだが、バレると気まずいし、実績のある会社が信頼できるならそれに越したことはないからな」
「あたしがヒーラーとして冒険会社勤めするつもりだったのに残念」
ミリアが小さく笑った。笑い方だけは軽かった。
部屋を出ると、廊下は暗かった。燭台の光だけが石壁に続いていた。
前の世界で、恒一は課長をやっていた。部署間の調整、外部業者との折衝、予算を通すための根回し——たいていは根拠のある仕事だったが、関係する人間が多いほど時間と手数がかかった。二十年かけてようやく覚えた手順を、あの二十三歳は五分で終わらせていた。前世で地方公務員をやっていたと言っていた。それも、水道の下にある管の仕事を。
どちらの経験がどこに出ているのかは分からない。ただ、あれは技術ではないと思った。どこに手を打てば相手が動けるか、どういう形なら相手に「断る理由がない」と思わせられるか——そういう感覚だった。
見えていたものを置いてきただけだ。それをどう動かすかは、俺には分からない領域だった。
---
数日後、精霊通信の短文が届いた。差出人の表記欄にグレン・ドラクとあった。
文面は短かった。「アルヴェリアの学院と直轄事務局から連絡があった。探索にあたっての技術供与、探索費用の負担、学院研究員の同行派遣——全部込みのとんでもない提案だ。断れる内容じゃない。コウイチ、おまえはそっちで何をした」
恒一はしばらく文面を見ていた。
何もしていない、と言えば嘘になる。何かをした、と言えば正確ではない。見えていたものを置いてきた、というのが一番近かった。
返信は短くした。
「手紙を読んで、知っている人に話しました。支援を受けても後で返せって言わない人なので安心して貰ってください。以上です」




