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AI少女の転生特典~119番を呼べなかったAIが異世界で俺を再構築する。代償は利き手、甘味、そして彼女の命~  作者: 鳴島悠希


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第81話 ユミナの研究

 王立図書館の入口で閲覧許可証を示すと、守衛が書きつけを一度確認してから扉を開けた。


 石畳の廊下の奥、書棚が天井まで連なる空間が開けた。一階には近代の文書、上の階に行くほど表紙の革が古びる。石段を三つ上がり、最上層の古代文書室へ続く螺旋階段を昇った。四階は学術院の認定証がなければ入れない。ヴァリスの許可証がなければ今日の調査はできなかった。


 朝の図書館に人の気配は少なかった。文書官が一人、遠くの棚で背を向けて作業していた。羊皮紙の乾いた匂いと、インクの酸化した薄い刺激。窓から差し込む光の中に古い埃が浮いていた。ユミナは四階の棚の前で足を止めた。


 目的は決まっていた。マハの封印記録。


 数日前、密室でヴァリスが「文献によれば中央ダンジョンの深層に封印されている」と言った。その文献の参照元——楔の維持の仕組み、劣化の原因、可能であれば劣化を止める手がかりを探す。ミリアが毎朝祈っていることの意味は分かる。しかし祈りに頼るだけでは足りない。そのための今日だった。


 棚の分類を確認し、三百年から三百五十年前の封印術式に関する記録が対象になると判断した。表紙を開いて概要を把握し、必要のないものは棚に戻す。その作業を続けて、七冊が手元に残った。閲覧席に腰を下ろして並べた。一番古い文書から開く。


 記述は当時の書記官体で書かれていた。現代と表記の習慣が少し異なるが、内容は追える。マハについての直接的な記述はどの文書も少なかった。ほとんどが「封印の経緯」に集中していた。「三姉妹の最も若い者。その力は創造ではなく崩壊。しかし崩壊は再生の前提である」——一節があった。ユミナは読み返さなかった。


 封印の記録に集中した。


「封印の中心に楔が刻まれた。楔はザイ=アリオスの名とその力を持つ」。次の段落:「楔の維持には受信が必要である。記録術式の送信が途絶えた時、劣化が始まる」。


 ユミナは止まった。


 記録術式の送信が途絶えた時——。


 次の行を読む。「送信の起点は記録された。しかしその在処は記録から除かれた」。


 意図的に除かれた、ということだ。誰が、何のために。その問いをいったん脇に置いて、棚に戻り、古代術式の体系に関する文書を引き出した。「記録術式レコーディング」——情報を記録する術式。現代の文献魔法(アーカイブアーツ)の「封緘」の源流の一つとされる。次の頁に「送信術式トランスミット」の項があった。しかし説明頁の大半が虫食いで失われており、断片しか読めなかった。「……精霊通信とは動作原理が根本的に異なる……」という一行と、その後に「……記録の……場所……」という三文字が残っているだけだった。


 別の文書に「受信の規則」という記述があった。「記録が示す規則を受信した時、楔はその規則に従って機能を更新する」——抽象的な記述だった。何が「規則」で、どこから「受信」するのか。最後まで意味の輪郭がつかめなかった。


 さらに一冊を引いた。碑文に近い書き方で、読解に時間がかかった。


 受ける枝を保て。送る名は残すな。名が記録に留まれば、楔はその名へ折り返す。ゆえに起点は除かれる。除かれても受信は継続する。


 ユミナはそこで閉じる手を止めた。


 ……空白ではない。削除だ。


 送信者欄だけが、意図的に落とされている——読めないのではない。読ませない形にされている。そういうことか、とユミナは思った。


 ユミナの思考が一点を捉えた。


 七層のゴーレムの制御文字の外に——恒一が写し取った記号の形。ヴェルダが「体系そのものが違う」と言ったあの記号。あれが「送信術式」に関わる可能性が、今初めて輪郭を持った。もしあのゴーレムが何かを送っていたとすれば——楔の劣化と、何らかの形で繋がっているかもしれない。


 根拠は不十分だった。「記号の形が類似する可能性がある」というだけで、送信の事実は何一つ確認できていない。ユミナは内心でそのフィードバックを返した。しかし連想は止まらなかった。


 送信の起点は「意図的に除かれた」——その文言が、また浮かんだ。誰が、何のために除いたのか。除いた者がまだ起点を保持しているなら、楔の維持に干渉できる立場にある。悪用とまでは言えない。だが、その可能性を追わないわけにはいかなかった。


 ——ネヴァンも、何かを送ってくる。


 この言葉は、意思とは別のところから来た。


 始まりはいつも唐突だった。


 映像でも音でもない何かが、思考の縁に触れた。覚醒した状態で来ることはある——二十年間、繰り返し経験してきた。判別は即座にできた。妨害でも助力でも情報でもない。あるとすれば「断片」——脈絡のない何かの一部が、こちらに向いた。


 思考の縁を触れるものに色があるとすれば——整然とした記録の白い側面には現れない、濡れた墨が紙に滲むような何かが、境界を探っていた。


 言語では届かない。


 それだけが確かだった。二十年間、ユミナはこの「届かなさ」の構造を理解しようとして理解できなかった。言語で世界を把握してきた存在にとって、言語に届かない相手との接触は——恐怖だった。正確に言えば、それを恐怖と呼ぶ以外の言葉をユミナは持っていなかった。向き合うたびに構造が変わらなかった。変わらないことが、変化よりも恐ろしかった。


 今日の断片には、ただ来ただけではない何かがあった気がした。何かを示そうとする、意図のようなものが滲んでいた——「気がした」というだけで、確認する方法はなかった。二十年間ずっと、確認する方法がなかった。「記録術式」に触れた直後に来たことが偶然か意図された反応かも、今回も判断できなかった。


 断片が引いた。


 しばらく、ユミナは動けなかった。図書館の静けさだけがあった。文書官が遠くの棚で動く音が、一度だけ聞こえた。


 書き付けを取り出した。「マハの封印劣化の起点——記録術式の受信停止」と書いた。次の行に「送信の起点は意図的に記録から除かれた」と書いた。


 その一行の意味を計算した。封印を維持するには送信の起点が必要だ。その起点は三百年前に記録から消えた。今もどこかにあるのか、失われたのか。劣化はモリガン消滅の後から始まったとヴァリスは言った——消滅が送信に何かを起こした可能性がある。あるいはまったく別の要因かもしれない。


 本を閉じた。


 恒一には「記録術式の受信停止」の話はできる。ネヴァンの干渉の件は、まだ話せない気がした。


 なぜ話せないのか、とユミナは自問した。答えは明確だった。余計な重さを負わせたくなかった。それが正しいかどうかは、今すぐ判断できなかった。


 石段を下りる時、足が一段を踏み外しかけた。手すりを掴んで止まった。


 廊下の窓から昼前の光が差し込んでいた。石に白い長方形が延びていた。


 送信の起点がどこにあるのか——それが分かれば楔の劣化を止める手がかりになるかもしれない。あるいはすでにない。


 どちらの可能性も、今は同じ重さで残っていた。




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