第77話 フリー世界観の謎
ヴァリスが宮中の会議に入ったのは、朝食を終えてすぐのことだった。カルスが「本日は一日拘束になります」と告げ、廊下に戻っていった。
フェリルが現れたのは、それから少しして、城の東翼の廊下でだった。「コイチさん、少し時間はありますか」と言って、東翼の端にある小部屋へ案内した。南向きの窓が広く、外の草地に午前の光が入っていた。薄い紙の乾いた気配と草の匂いが混じる、誰かが実際に使っている部屋の匂いだった。
「先日の続きを話したかったんです」フェリルは椅子を引いて机の上で手を組んだ。「あの場では、受け取れる量を考えて止めた部分があります」
「TRPGの話を、もう少し聞かせてもらえますか」
「基本的なルールブックを使っていました。地名と魔法体系の名前は、ユミナが設定してくれていた。だから正確には、ユミナの知識から来ています」
「なるほど」フェリルは続けた。「恒一さんがミレオスの名前を最初に知ったのは、そのゲームを通じてでしたね」
「この世界に来て街の名前を聞いた時に、ゲームと同じだと気づいた。最初に外に出た日でした」
「その時、どう思いましたか」
「……ゲーム世界への転生というのは前の世界でよく聞く話でした。だから、そういう話の一つかと思って——あまり深く考えなかった」
「気になりながら流してきた感じでしたか」
「……気にはなっていました。ただ、目の前のことが多くて。それに——答えが見つかっても、変わることは何もないかもしれないと思っていた」
フェリルは窓の外の草地を一度見た。「わたしも似たようなことがありました。十歳で前の記憶が戻った時——わたしはここで生まれ、ここで育って、十年分の記憶を持っていた。それに加えて、前の世界の記憶が戻ってきた。そして前の世界で書いた物語の名前と、自分が生まれた国の名前が同じだと分かった」
「一人で抱えていたんですか」
「そうです。確認できる相手もいなくて」
「一つ、聞いてもいいですか。フェリルさんの小説には——この世界に存在していないものがありますか。書いたのに見当たらない人物とか、起きなかった出来事とか」
「ありますよ」フェリルは少し目を細めた。「登場人物が何人か、対応する人物がいない。それから——わたしが書いた物語では、ヴァリスは悪役として設定されていた。でも彼は、そうはなっていない。この世界はわたしの書いた話の通りには動いていない」
「フェリルさんが書いた世界と、ここにある世界は、別物だということですか」
「そう思っています」フェリルは言った。「わたしが小説に使ったのは、フリー世界観——地名と魔法体系の名前を借りた。でも、その設定を最初に書いたのはわたしではない。ネット上で共同で作られた、誰でも使える設定でした。それに基づいてわたしが物語を書いて、ヴァリスが転生して、恒一さんがTRPGで遊んだ。全部の出発点は、一つのフリー世界観です」
「その"なぜか"が、分からない」
「二十年以上経っても」フェリルは微かに笑みを浮かべた。責めているのではなかった。事実として言っていた。「一つだけ、仮説があります。フリー世界観は——誰かがこの世界を記述したものかもしれない。この世界が先にあって、それを誰かが書き留めたものが、ネット上で広まった。逆の方向で」
「世界観からここが生まれたのではなく、ここから世界観が来た」
「確認する手段はないですが。もしかするとこの世界に同じように転生した誰かが現実世界に戻ることが出来て、作ったのかもしれない」
「俺がエルセアのダンジョンにいた時——ゴーレムに刻まれた文字を写し取ったことがありました」恒一は言った。「制御文字ではなく、別の種類のものだった。形を見た時に、TRPGのセッション記録に似ているような感触があった。……それも流してました」
フェリルはその言葉を聞いて、少しの間を置いた。「どんな感じの形でしたか」
「等間隔に並んでいた。表のような配置で、規則がある感じがした。——送る側と受け取る側が決まっているような、そういう印象だった。ただ、読めなかった」
「この話はヴァリスたちにも共有して良いですか」
恒一は断る理由もなく頷いた。
「ユミナは」恒一は言った。「この問いに、俺より近い場所にいると思います」
「そうですね」フェリルは静かに言った。「わたしもそう思っています」
二人とも、それ以上言わなかった。しばらくして、恒一は椅子から立った。
廊下に出ると、昼前の光が石壁を照らしていた。
エリンに来た最初の頃から、ずっと持っていた感触があった。街の名前が同じ、魔法の名前が同じ、ゴーレムの文字に見覚えのある形があった——どれも流してきた。前の世界では、見たくないものを見ないまま二十年働いた。この世界でも同じことをしかけていた。
——もう流せない。
その感触が、はっきりとあった。




