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AI少女の転生特典~119番を呼べなかったAIが異世界で俺を再構築する。代償は利き手、甘味、そして彼女の命~  作者: 鳴島悠希


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第101話 瘴気の現実

 翌朝の会議室は、前の夜より人が多かった。


 グレンが自ら来ていた。椅子には座らず、壁際に立っていた。左腕を胸の前で組み、右手の指先で肘をわずかに叩いていた。何かを数えているのか、待っているのか、そのどちらでもないのか——恒一には判断がつかなかった。


 会議室の長机の上に地図が広げてあった。中央ダンジョンの構造図だ。一から四層までが詳細に書かれ、五層以深は省略されて記号になっていた。昨夜ヴェルダから受け取った資料も端に並べてあった。


 会議は恒一が進行した。


 「現状の確認から始める」と恒一は言った。「昨日の議論の続きだ。瘴気の分布を先に見たい。ヘルマ」


 「今朝の報告では、三層の南区画で新たに濃度が上がっている。二週間前の観測値の一・五倍近い」とヘルマが言った。「四層の中央通路でも同様だ。今まで一層と二層の境界で止まっていた影響が、三層まで押し上げられている」


 「一・五倍」とノルが言った。「それって——どのくらいの速さっすか」


 「以前の推算では月に二割増のはずだった。それが一月で五割だ」


 しばらく沈黙があった。


 「加速している」と恒一は言った。


 「ああ」


 地図の上でヘルマの指が三層を示す位置に触れた。それから四層、五層へと動いた。


 「五層以深はどうなっている」


 「計測が困難だ。測定器が三十分以上もたない。計器が焼けるというか——術式が書き直される。計器に込めた記録がすっかり変わってしまう」


 「変わる」と恒一は繰り返した。「消えるのではなく」


 「……ああ。不思議な話だが」


 ヴェルダが手元の記録を見ながら言った。「……上書きが起きている可能性があります。瘴気が単なる汚染ではなく、記録の置き換えとして働いている。深層のゴーレム挙動が変わったのも同じ理由かもしれない」


 それ以上の解説はなかった。ヴェルダが言い切ったわけではなく、まだ検証中の仮説として置いたのだと恒一には分かった。


 「区画の保守をどうするか」と恒一は言った。「ガルシュタインが出た後、中継路の浄化線は誰が維持する」


 「うちでやる」とグレンは壁際から言った。声に起伏はなかった。「人は出す。ただし人数は昨日より少ない」


 「何人」


 「三人だ。以前の半分以下になる。文句を言っても増えない。それで計算しろ」


 恒一はヘルマを見た。


 「二層から三層の中継路が特に厳しい」とヘルマが言った。「三人の巡回では間隔が空きすぎる。浄化線が薄くなる時間帯が出る」


 「カバーできるか」


 「ノルに頑張ってもらうしかない」


 「頑張るっす」とノルが即答した。「——具体的にどのくらいっすか」


 「一日二回だったところを三回にしてほしい。難しいか」


 ノルは少し黙った。「……できます。体力より術式の集中の話っすから、間隔さえ計算すれば」


 「計算の方法は分かるか」


 「……ヴェルダさんに聞いてもいいっすか」


 「……構いません」とヴェルダが言った。「後で一緒に確認しましょう」


 ノルが頷いた。


 グレンは壁際から動かなかった。議論を聞いているだけで、口を挟まなかった。一度だけ、恒一と目が合った。グレンはわずかに顎を引いた。それだけだった。


---


 会議が終わったのは昼前だった。


 参加者が部屋を出た後、恒一はしばらく地図の前に残った。


 三層まで瘴気が来ている。加速している。五層の計器が書き換えられる。


 ダンジョンが変わっている——というより、深層の何かが動いている。封印が劣化しているという話は知っていた。それが表の層にまで出てきているということだ。


 速い、と恒一は思った。


 アルヴェリアを出た時点での想定より速い。一ヶ月の誤差がどこかに生じている。


 (想定外、か。まあそうだな。想定通りにいく話ではなかった)


 地図の上の記号は変わらなかった。何も答えなかった。


 足音が来た。ベックが戻ってきた。恒一を一度見て、地図を見た。それから椅子を引いて座った。何も言わなかった。


 「昨日、歩けると言っていたな」と恒一は言った。


 「ああ」


 「今日も歩けるか」


 「歩ける」


 「今日の午後、三層まで確認に行く。一緒に来てくれるか」


 ベックは地図を見たまま少し黙った。「……誰が行く」


 「俺とお前と、ヘルマと、ノル。ユミナは事務所に残る。ヴェルダも残ってもらう」


 「分かった」


 それだけだった。立ち上がって出ていった。


 恒一は地図を折り畳んだ。


 瘴気の上昇が加速しているなら、降下の判断を前倒しにする必要がある。今週中ではなく、今日の確認次第では明後日か明々後日に繰り上げることになる。


 グレンがまだ残るという選択をした。利益の計算ではなく引き受けた仕事として。それはそれとして、残った人間で何ができるかを考えることだ。


---


 三層への降下は昼過ぎから始まった。


 一層の入口を抜けると、空気が変わった。石の匂いに、少し湿った重さが混じった。前に来た時と同じ匂いだと思った直後に、違う、と気づいた。石の匂いの下に、別のものがある。鉄気のような、薬の蒸れたような——形容しにくい何かが低く混じっていた。


 「これか」と恒一は言った。独り言だった。


 「分かるっすか」とノルが言った。後ろを歩いていた。


 「少し」


 「俺はもう——ずっと嗅いでるんで、前との差が分からなくなってきてるっす。ヘルマさんに言ったら、それが一番危ないって言われて」


 「慣れるな、ということだ」とヘルマが言った。「前の匂いを覚えておけ。比べることが判断の基準になる」


 「どうやって覚えるんすか」


 「最初に入った時のことを、一度書いておけ。言葉で残す。それが後で比較の材料になる」


 ノルが少し考えた。「……恒一先輩のやり方に近いっすね」


 「そうだ」とヘルマは言った。「新入りが最初からやっていたから俺も続けるようにした」


 恒一はそれを聞きながら、三層への経路を頭の中で確認していた。足元が変わった。石の質が変わり、継ぎ目の感触が粗くなった。二層に入った。


 明かりを出した。ノルの灯火(ライト)が前方を照らした。


 四人で歩いた。会話は止まった。


---


 三層の南区画に着いたのは、それから一刻ほど経ってからだった。


 報告通りだった。空気が重かった。ただ重いのではなく、中から押し返してくるような密度があった。ノルが浄化線(パージライン)を張り始めた。術式の光が石床に細く走った。


 「濃い」とヘルマが言った。静かな声だった。感情は入っていなかった。「昨日の報告より上がっている。一日でここまで上がるとは思わなかった」


 「一日で」


 「ああ」


 恒一は周囲を見た。石壁の色が少し変わっていた。前回の探索で見た壁の色よりも、濃い灰色を帯びている。壁が蒸れているのか、何かが付着しているのか——魔力感知(センスオーラ)を展開しても、広がりすぎていて輪郭が掴めなかった。


 ベックが壁に触れた。指先を壁面に当て、数える間、そのままにした。それから手を引いた。「……温かい」と言った。


 「温かい」と恒一は繰り返した。


 「石なのに、温かい」


 それは正確な観察だった。ダンジョンの石は常温より冷たいのが普通だ。それが温かいということは、内側に何かが通っている。


 「動いている」とヘルマが言った。


 恒一は頷いた。


 ここは確認が終わった。


 地図の記号が示していた三層南区画——その報告は正確だった。いや、正確以上だった。一日でここまで変化するなら、降下の判断を前倒しにする以上の話だ。


 「戻ろう」と恒一は言った。


 四人が来た道を引き返した。


 出口に向かって歩きながら、恒一は計算を続けた。残り何日使えるか。深層に入れるのはいつまでか。グレンが残ると言った理由が経営判断ではなかったとしても、経営判断としても今週を超えることはできない、という境界がどこかにある。


 それを越える前に、降りなければならない。


 一層の出口で外の光が見えた。昼過ぎの光だった。冷えた空気が入ってきた。港の匂いが混じった。


 その匂いの中に、朝より底が重くなったものが混ざっていた。

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