第10話 理の外ー風の道しるべー
アイリス様の年齢を修正しました。
サバ読んじゃってごめんよ、アイリス様。
☆
「主体……、ねぇ。その言葉に二言は無いわね、『旋律』」
「えぇ。だって、私が出たらすぐに終わっちゃうじゃない」
エカチェリーナの表情が露骨に強張った。
頬が不自然なほどに引きつっている。
怒りか、怯えか。
いずれにせよ、師匠の魔法使いとしての格の高さを思わせる反応だった。
「師匠、良いんですか?」
「あら」
口を挟んだ俺へ、師匠は本当に驚いた表情を見せた。
「珍しいこともあったものね」
「何の話です?」
何か致命的な食い違いが起こっている気がして質問する。
「だって、この獲物俺が貰っていいんですかって質問でしょう? 随分と好戦的になったじゃない。悪くないわね」
「こんな所でチンタラやってて良いんですかって意味ですよ!」
悪くないわね、じゃないんだよ。
ふざけんな。
属性奥義の投下は防げたが、これでは『ユグドラシル』の拠点襲撃に向かえない。
本来の目的はそちらだったはずだ。
「余所見なんて随分と余裕じゃない」
ふわり、と。
風の音。
咄嗟に身体を捻る。
振るわれた手刀を仰け反って回避。地に着いた手を軸に下半身を回転させ、回し蹴りを繰り出した。それを気化することで防いだエカチェリーナから、風属性の魔法球が殺到する。それらを『弾丸の雨』で相殺した。
足元に違和感。
跳躍したが、既に遅かった。
風属性の蔦が、俺の右足に絡みついている。
動きの鈍った俺へエカチェリーナが距離を詰めてきた。
振るわれた拳を首の動きだけで躱し、その腕を掴む。しかし、掴んだ箇所が気化して俺の手は空を切った。『魔力暴走』状態で垂れ流している魔力量だけでは、残念ながらエカチェリーナクラスの魔法使いが発現する属性同調の効力を上回ることができないようだ。
当たり前ではあったが、良い情報ではある。
気化したエカチェリーナの腕が、そのまま俺の首の周りに集まり締め上げてきた。ゼロ距離で魔法を発現されたら流石にまずい。すぐに放出している魔力量を増やし、強引にエカチェリーナの魔力を吹き飛ばした。
口笛。
エカチェリーナが笑みを深める。
そして、その直後にエカチェリーナの全身が気化した。
ぼふっという音と共に、俺の余波に乗じて吹き飛ばされていく。
「逃がさないって言ったよな」
魔力の流れは手に取るように分かっている。
出し惜しみせずに『知覚拡大』まで使っておいて正解だった。
俺の身体から放出されている魔力が教えてくれる。
自分とは違う、異質な魔力の流れを。
風の道しるべを。
「『不可視の束縛』」
「うっ!?」
逃走を図ろうとしていたエカチェリーナの動きが鈍った。
そこへ、今度は俺が距離を詰める。
手刀をエカチェリーナ目掛けて振り下ろした。
「……まあ、当たらないよな」
嘆息する。
振り返った先には、ローブに付着した汚れを払うエカチェリーナがいた。
「君のそれ、怖いわね」
それとは、『神の書き換え作業術』を纏った手刀のことだろう。
やはり、この女も感知できるのだ。
発現の兆候を。
それもそのはず。
エカチェリーナ・トルシナ。
師匠や泰然と肩を並べる、ClassMの資格を持つ大魔法使い。
アメリカと覇を競う魔法大国、ロシア最強の大魔法使いだ。
そもそも、ここまで戦闘らしい戦闘をさせて貰えている時点で上出来なのだ。
しかし、それは俺の実力がエカチェリーナと拮抗しているからではない。
エカチェリーナが本気では無いから。俺が『魔力暴走』と『知覚拡大』で限界を超えた実力を発揮できているから。そしてなにより、エカチェリーナの最大の警戒対象である師匠が、俺の後ろにいるからだ。
エカチェリーナは本気で俺と戦おうとしているわけではない。
彼女の勝利条件は俺に勝つことではない。
隙を突いて、逃げようとしている。
彼女の勝利条件は、師匠の射程範囲から逃れること。
「回避以外を選択したら、一瞬で後悔しそうだわ」
それなら、もう少し感情を込めて言って欲しい。
欠片も恐怖を感じているようには見えない。
俺の技量では自分には当てられない。
そんな絶対的な自信があるのだろう。
視界の端で師匠を捉える。
貴族の屋敷の塀に身体を預け、お好きにどうぞと言わんばかりに手を振るだけだった。
俺が主体、という表現は本当に正しいのか。
俺が戦って、取りこぼしだけを拾うつもりだろう。
と言うより、本当にいいんだな。
このまま戦闘を継続して。
思考を切り替えようとしたところで、俺はようやく察することができた。属性奥義の投下に失敗している時点で、既に『ユグドラシル』側は異変を察知してしまっていることに。鈴の音が鳴る空間移動魔法を用意したのは、タイミング的にも十中八九『ユグドラシル』で間違いない。それならば、属性奥義が発現するか否かは注視していただろう。
発現直前の属性奥義を対処できる手法など限られている。
おまけに、完全なる不意打ちでの投下だ。
防げるわけがない。
本来ならば。
やってしまった。
ちくしょう。
俺は一手目で既に失敗していたのだ。
『ユグドラシル』拠点を襲撃するためには、貴族都市ゴシャスを見捨てるべきだったのだ。
なんて酷い二択だよ。
不意に縁先輩の言葉が蘇る。
今回ルートでは無い、古代都市モルティナを一緒に移動中だった時に投げかけられた言葉。
『余計なことまで背負うなよ』
迷走する俺に対する、核心を突いた言葉だったと今になって思う。
あの時は、縁先輩から正されていなければここで取り残されるか、場合によっては余計な事をしないよう殺されていたかもしれない、と考える程度だった。だが、今だからこそ心に刺さる。
貴族都市ゴシャスを救うという雑念を抱いたからこそ、俺達は『ユグドラシル』拠点襲撃という目的に失敗してしまったのだ。
「……雑念? この私を前にして?」
その言葉が無ければ、俺は死んでいた。
マスター、と。
ウリウムの叫びすら間に合わない。
ぱっくりと右腕が裂ける。
色鮮やかな赤が視界の右半分から噴き出した。
後退。
貴族の屋敷を2つほど挟んで足を止める。
ウリウムの治癒魔法が、俺の右腕からの出血を抑えていた。
幸いにも切断は免れたらしい。
とはいえ、だ。
どっ、と汗が噴き出る。
ぶわり、と鳥肌が立つ。
早鐘のように心音が高鳴った。
全てが遅い。
反射で生じる生体反応、その全てが遅れてやってきた。
そして、その隙に乗じてエカチェリーナの全身が気化する。
「T・メイカー」
「……くそっ!」
自らの心音を宥めている暇も無い。
師匠からの凍てついた指摘に返す言葉も無い。
『不可視の束縛』と『神の書き換え作業術』を発現。
エカチェリーナの気化を阻害し、すぐ傍へと転移する。
舌打ち。
肘で俺の蹴りを受け止めたエカチェリーナは、もう片方の手のひらを俺へと向けた。
「『疾風の砲弾』」
再度『神の書き換え作業術』を発現して距離を空ける。
威力極大の風の砲弾が吹き抜けた。
遥か後方で轟音。
悲鳴と何かが崩れ落ちる音。
おそらく、着弾した箇所にあった屋敷は崩壊したな。
それを視界に入れて確認する余裕など、残念ながらありはしないのだが。
「貴方、少し自分を買い被っているんじゃない? 自分のバックに『旋律』がいるからって油断してるのかな。舐められたものねぇ」
エカチェリーナは、自らの長髪を払いながら続ける。
「目の前にいるのは私、エカチェリーナ・トルシナ。貴方の後ろにいるバグキャラと、一応は同格に位置付けられているClassMの魔法使いなんだけど?」
まさにその通りだ。
余計な事に思考を回して戦える相手では無い。
そんなこと、最初から分かっているはずだ。
それでも、後悔の感情が消えない。
振り払えない。
このルートへの執着が薄れてきているのを感じてしまう。
ここで頑張ったところで意味はあるのか。
天地神明の討伐どころか、『ユグドラシル』そのものが雲隠れしてしまった可能性すらあるこのルートを。
「リナリー・エヴァンス!」
声。
師匠の周囲に、複数の影が降り立った。
アルティア・エース。
ウィリアム・スペード。
クランベリー・ハート。
王族護衛『トランプ』の到着だ。
そんな期待値マックスの援軍に対して師匠は言う。
「あら、いいところに来たわね。余波の対処をお願い。狼藉者の相手は私の弟子がやるから」
「貴族都市ゴシャスへの通行許可が下りていない貴様らも、俺達からすれば狼藉者と同じなのだが?」
アルティア・エースがうんざりした口調で返した。
「あらー、おかしいわねぇ。でも緊急事態だったから仕方が無いわ」
「判断するのはこっちだよ! 相変わらずだな、あんたは!」
叫ぶようにして答えたのはウィリアム・スペードだ。クランベリー・ハートはというと、こちらに向けて呑気に手を振っていると思ったら、地面を蹴ってどこかへと行ってしまった。
そんなことに気を取られていたのを察した師匠が口を開く。
「T・メイカー、次は無いわよ」
ちょいちょい、と。
師匠が人差し指を向ける。
そちらに視線を向けてみれば、エカチェリーナがいた場所には誰もいなかった。
「ちくしょう!」
叫ぶ。
そして『知覚拡大』の範囲を最大にする。
見つけた。
既に実体化している。
全速力で貴族都市ゴシャスから中央都市リスティルに向けて疾走しているようだ。
地面を蹴る。
同時に、ポケットからシャープペンシルの芯が入ったケースを取り出した。
『神の書き換え作業術』、発現。
発現回数は2回。
1回目で、シャープペンシルの芯をエカチェリーナの心臓部へと転移。
2回目で、俺自身をエカチェリーナの正面へと転移。
聞こえたのは舌打ち。
身体の中央部分に風穴が空いているのを見るに、エカチェリーナは属性同調は発現したままにしていたらしい。跳ばしたシャープペンシルの芯が地へと着く前に、俺とエカチェリーナの拳が交差した。
俺とエカチェリーナを中心として、衝撃波が撒き散らされる。
地面は円形状に隆起し、周囲の屋敷の側壁には亀裂が入り、屋根は剥がれ、窓は破壊された。
高密度の魔力と魔力が擦れ合い、甲高い耳障りな摩擦音が鳴り響く。
プラズマのような眩い光の軌跡が蜘蛛の巣状に奔り回った。
「貴方、本当に何者!? 私と対等に打ち合える人が無名なワケ無い!」
「不本意だが無名じゃねーんだよ! さっきあんたが言ってただろう!」
拡散。
俺とエカチェリーナの拳を介して拮抗を保っていた衝撃波がついに弾けた。
馬鹿みたいに吹き飛ばされる。
しかし、ぐんぐんと離されていくエカチェリーナは、自らの身体を気化させて勢いを殺したらしい。
まずい。
このままでは取り逃がす。
『神の書き換え作業術』、発現。
魔力を集中させて突き込んだ手刀は、エカチェリーナの脇腹を捉える寸前のところで受け止められていた。吹き飛んだ勢いを利用して放った一撃を、エカチェリーナは冷や汗を滲ませながら両手で受け止めている。しかし、その身体もまた気化した。俺のみを残して、エカチェリーナが逃走を図ろうとしている。
「逃がさねぇよ」
『弾丸の雨』を撒き散らす。
それも魔力を込めまくった高威力のものだ。
気化した状態で受け止めきれないと判断したエカチェリーナが、障壁を展開して回避の構えを見せる。数発被弾した辺りで障壁は破壊されていく。そこで得た時間を使って逃げるつもりだろうが、そうはさせない。再び距離を詰めてエカチェリーナに近接戦闘を仕掛けていく。
「鬱陶しい!」
エカチェリーナが吠えた。
彼女を中心として暴風が吹き荒れる。
踏み留まれずに吹っ飛ばされた。
咄嗟に放出する魔力を強化する。
貴族の屋敷をいくつ破壊しただろうか。直線上にあったものを根こそぎ貫通して、ようやく勢いが止まったと感じた時には、既に上空にエカチェリーナの姿があった。向けられた手のひらを見て、一気に悪寒が迸る。
「『疾風の砲弾』」
風の塊。
まるで、台風を一点に凝縮したかのようなエネルギーの塊。
それが落ちてきた。
これは受け止められない。
いや、受け止めるわけにはいかない。
『神の書き換え作業術』を発現。
エカチェリーナが放った『疾風の砲弾』を、エカチェリーナへと向かうように転移する。遠目からでもエカチェリーナの双眸が見開かれたのが分かった。
轟音。
空が爆ぜた。
衝撃波は空から降ってくる。
重力が何倍にも膨れ上がったかのような錯覚。
周囲の建物がぺしゃんこになった。
立っていられない。
膝をつく。
肘を立てて何とか倒れ伏すことを防いだ。
みしみし、と。
骨が軋むのを感じ取る。
魔力を身に纏っていなければ、潰れていたに違いない。
逃げ遅れた奴らはいないよな。
ここは魔法世界。
それも貴族都市ゴシャスだ。
自分の身は自分で守れる奴らであると信じたい。
どのくらい続いただろうか。
ようやく、衝撃波の雨が止んだ。
顔を上げる。
視線の先にいた。
上空。
衝撃波で吹き飛ばされ、周囲に雲1つ無くなった晴天の中。
蒼空に坐すように飛ぶ大魔法使いが。
「君を……、敵と認める」
その声は、不思議とよく響いた。
「やろうか、T・メイカー。邪魔が入る前に」
ロシア最強の大魔法使い。
理の外側に踏み出したバグキャラの1人。
ClassM『妖精』エカチェリーナ・トルシナ。
その瞳は、ようやく俺を真正面から捉えてそう言った。
★
「場所は」
「貴族都市ゴシャスの第1級貴族街、ガルガンテッラ邸付近でございます」
「状況は」
「属性奥義の兆候と思われる魔法陣は消失。直後、上空で謎の大規模魔法の発現。なお、これに伴う被害は今のところ報告されておりません。現在は、属性奥義の発現者と思われる魔法使いと、その場に居合わせた『黄金色の旋律』が応戦中とのこと」
王城エルトクリア。
真紅の絨毯の上を先導するのはアイリス・ペコ―リア・ラ=ルイナ・エルトクリア。
齢10して女王の冠を戴いた少女である。
突き従うのは少女専属のメイドが1人、そして女王直属近衛兵が2人。
アイリスからの問いに、メイドはスラスラと仕入れた情報を口にしていく。そのメイドが最後に口にした情報を聞いて、アイリスは片眉を吊り上げた。
「居合わせた? 『黄金色の旋律』が?」
「はい。確認できているのは2名で、『旋律』リナリー・エヴァンスと『色彩』T・メイカーとのことですが、現時点で入国履歴はありません」
「うむ。まあ、そこは良い」
どうせいつものことだろう、とアイリスは濁し気味の口調で頷く。
しかし、看過できない部分もある。
「で、相手は」
「『妖精』エカチェリーナ・トルシナと聞いております」
「ロシアか。我らの預かり知らぬところで、アメリカとの火種を撒かないで欲しいと言いたいところではあるが、魔法世界内で属性奥義を発現しようとしていたのなら話は変わるな。『妖精』が未遂となった属性奥義の発現者で間違いは無いか」
「間違いございません」
「そうか。外交ルートで抗議するとしよう。準備しておけ。現場には誰を向かわせた」
「クイーンより、スペード、エース、ハートを向かわせたと」
「なるほど」
開かれた扉を潜り、最奥の席へと腰を下ろす。
同時に、廊下で待機していた別のメイドから声が掛かった。
「クイーン・ガルルガが、お目通りを願い出ています」
「通せ」
アイリスの許可を得て、真紅のドレスに身を包んだ妙齢の女性が入室する。
恭しく一礼するその女性に向けて、アイリスは言う。
「さて、説明せよ」
次回の更新予定日は、5月7日(木)です。




