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常夏の夜の夢 二 旦那の不倫相手が予想の斜め上だった話(3)

「どういうことですか?」

「これを見てください」

 私が示したのは通販サイトの注文履歴と彼の鞄の中身を写した写真でした。

「通販履歴によると避妊具を買っています。新山さんと出会ってすぐに一箱、さらに二ヶ月後に同じ品をもう一箱。そしてこっちは彼の鞄に入っていた同商品の写真で、箱の中身を検めたものです。三個消費されています。この写真は二箱目が買われた後に撮影したものですから、鞄に入っていたのは二箱目であると考えるのが自然でしょう。一箱が十二個入りで、二箱目は三個消費されている。ということは、少なくとも十五回です」

 ついでに言うと、誤爆データの中で圭介は優美へご丁寧に、「これ買うね」と商品ページのURLを送っていました。そしてこの期間、というか優美と出会って以降、私とはレスです。

 私が示した写真を見比べ、石田先生は力強く頷きました。

「見事な推認です。これなら、よほど偏屈な調停員に当たらない限りこちらの味方につけることができます。それにしても……」

 圭介と優美が出会って、データが誤爆されるまで二ヶ月。そこから家捜しに至るまでが一ヶ月。合計約三ヶ月。さらに大阪と神奈川という遠距離不倫なわけですが。

「十五回ですか……」

「十五回ですねぇ」

 何をか言わんや。

「ともかく、これで圭介さんとの係争に関しては問題なく進められるでしょう。お話しを伺う限りあまり頭の回る方ではないようですし、これらの証拠で揺さぶれば観念するんじゃないでしょうか。というわけで――」

「はい!」

「まずはコンインヒヨウブンタンセイキュウを行います」

「はい! ――はい?」

 すぐ離婚手続きに進むものと思って勇んでいた私は、聞き慣れない言葉に首を傾げました。

「こん……?」

「婚姻費用分担請求です。夫婦は互いに、社会生活を維持するための費用を分担し支え合わなければいけません。しかし現在、長崎さんは圭介さんの不法行為によって別居を余儀なくされていますよね。ご実家に戻られているとはいえ住所は不安定です。長崎さんのご職業は特殊ですが、通常であればお仕事にも支障が出ます。そういう場合、別居の原因を作ったほうが配偶者の生活費を負担する義務があるんですよ。その費用を請求するんです。これは仮に、長崎さんのほうが高収入であっても請求できますし、離婚が成立するまでの間ずっと月々いくらという形で支払わせることができます。給与の差し押さえも可能です。生活費ですから、一日でも早く手続きをしたほうが良いですね」

 少しややこしいですが、ここで『長崎さん』と呼ばれているのは私です。まだ離婚成立前ですからね。

 それは置いといて、婚姻費用分担請求。まるっきり初耳です。ドラマやなんかのイメージでは離婚といえば真っ先に緑の紙が出てくるもんですが。

 現実はいろいろとやることが多いんですね。

 石田先生は資料の中から一枚の紙を手に取りました。家捜しのついでに拝借してきた圭介の給与明細です。

「これが圭介さんの月収ですね。んー、じゃあちょっと強気に七万あたりで兵糧攻めしましょうか。きっと不倫なんかしてる場合じゃなくなりますよ」

 意外と軽いノリで決まる請求額。しかし確かに七万は大きい。私にとっても圭介にとっても。

「あまり取り過ぎて、自棄になって退職や失踪なんてされたら元も子もありませんからね。このあたりが妥当でしょう」

 失踪。その言葉に、どきりとしました。

 婚姻費用に慰謝料。今まで具体的に考えてはこなかったけれど、お金を取るということはそういうことだ。彼を水際に追い詰める。

 ここに至ってまだ残っていた情が、罪悪感となってちりちり胸を焦がしました。

 でも、やらなければ。この離婚において、私に非はないと証明するために。

 私の名誉と尊厳を守るために。

「すべて先生にお任せします」

 意識してぐっと顔を上げ、告げました。もう後戻りできないと強く感じながら。

「では、こちらの手続きはなるべく早く進めましょう。それと同時進行で、新山さんへの通知を行います」

「通知、ですか」

「圭介さんが独身と偽って交際している以上、新山さんから慰謝料を取ることは難しいです。ただ、既婚者であると通知すれば慌てて和解金を用意してくる可能性も考えられます。芸能人ですし、騒ぎになる前に事を収めたいでしょうからね。なので、内容証明で通知を行います。もっとも、新山さんの住所や連絡先を手に入れなければいけませんから、これは圭介さんから聞き出す必要がありますね」

 なるほど、慰謝料と和解金は別々で考えるのか。勉強になります。

「でも、吐きますかね?」

「やってみましょう」

 少し自信ありげに、石田先生は微笑んだのでした。

 その夜、私は圭介に、最後のメールを送りました。誤爆データを復元してからも、家捜し後も、それを悟られないように、しおらしく送り続けていた朝晩のメールです。

『もう、きりがないのでメールはこれでおしまいにします。お元気で』

 彼からの返信はありませんでした。きっと、やっと私が諦めたものと思ってほくそ笑んでいたことでしょう。SNSでもご機嫌に「今から酒盛りだイェェェイ!」なんて言ってましたからね。

 でも、残念でした。

 開戦の合図だよ、ばーかばーか。

 石田先生の指示により、これ以降は代理人――弁護士を通さない接触は厳禁となりました。メールや電話も含め、すべてです。

 だから本当に、これが最後のメッセージでした。

 そして同時に、私の母から圭介の母へ送っていたメールも止めてもらいました。

 私が実家へ戻ってから母親同士で連絡を取り合っていたようでしたが、圭介が私の実家へ来た日以降、「もう成人した息子のことですから、あとは本人に任せます」と急によそよそしくなり、メールの返信も来なくなっていたのだとか。それでも私の母は根気よくメールを送り続けていましたが、音沙汰はなし。

 きっと彼の母はその時点で息子の不倫を知っていたのでしょう。そして私と優美を天秤にかけ、優美を選んだ。新しい嫁候補がモデルだから? 単に私が気にくわなかった? まぁ、今さらどっちでもいいけど。

 圭介の父親はと言えば、事が起こってから一切の連絡なし。こちらからのメールも電話も無視。今までは彼の両親共、あれやこれやと言ってきては少し鬱陶しいくらいだったのに、極端もいいところです。

 息子が不倫に走った場合、親の反応は平謝りか、または、うちの子は悪くない! 嫁が不出来だから浮気なんてしたんだ! と逆ギレするかのどちらかだと思っていました。

 ところがまさかの無言スタイル。これは新しい。私は彼の両親を、サイレントクズと呼ぶことにしました。

 さて、石田先生から連絡があったのは、それから約二週間後。

「圭介さんと連絡がつきました。家庭裁判所からの通知が先に行っていたので、かなり動揺していましたね。最初はしらを切ったり、彼の制止を振り切って長崎さんが勝手に出て行ったなんて言ってましたが、新山さんの存在を把握していると告げたら観念して認めましたよ。そして、新山さんの連絡先を教えてくれなければ彼女の所属事務所に問い合わせるしかないと仄めかしたところ、住所と電話番号も吐きました」

 鮮やかな仕事ぶりに驚嘆です。プロはすごいなぁ。

 ていうか、彼の制止を振り切って私が出て行っただと? 息を吐くように嘘つくんだな。もしくは首根っこ引っ掴んで物理的にドアの向こうへ引きずり出さない限り『追い出した』には該当しないとでも思ってんのか?

「婚姻費用分担請求もあっさり応じましたよ。ただ、とりあえず七万円払えば済むと思っている様子で、それが毎月、離婚が成立するまで続くとは理解していないようです」

「うわぁ……」

 アホだ。アホすぎる。もしかしてたった七万円ぽっちが慰謝料だとでも思っているんだろうか。彼の動揺に乗じて考える暇を与えず支払いに同意させた石田先生の手腕もあるのだろうけれど。

 そして案の定、翌月には早くも困窮しはじめたようでした。

「圭介さんから連絡が来ました。アパートを早く引き払いたいそうです。家賃が苦しくなったんでしょうね。長崎さんの私物や共同財産を勝手に処分したら賠償金払うことになりますよと伝えたら、荷物はトランクルームに預ける、と。どうしますか?」

 実は、最後のメールをした翌日、私は両親と共にアパートへ行って必要な私物はすべて運び出していたのでした。なので、この時点で残っていたのは全部、不要品。リサイクルに出しても二束三文の家具家電や、古着などです。もし捨てられてもまったく困らないし、粗大ゴミなんかはあちらで処分してもらったほうが楽ですが――

「構いませんよ、トランクルームでも。要るか要らないかはまだ考え中ということにしておいてください」

「承知しました」

 月々七万を私に払いながら家賃もなると、それは苦しいでしょう。でも、これは別に同情したわけでも譲歩でもありません。石田先生の言った通り、自棄になって退職され、ない袖は振れないと開き直られるのを防ぐためです。トランクルームでも、それなりの足枷にはなるでしょうしね。それに、これから慰謝料だって払ってもらわなきゃいけないのですから。

 段々、私も戦い方を理解してきていました。

 優美とコンタクトが取れたとの連絡が入ったのは、そんな折です。

「新山さんサイドからの返答が届きました。あちらも代理人を雇ったようですね。『婚姻の事実を知らなかった。故意ではないので支払義務はない。金銭は払わない』『圭介氏との関係は解消し、今後は交際しない』だそうです。まぁ、予想通りですね」

「ですねぇ」

 妥当な判断です。私も彼女への処罰感情は持っていませんでしたし、法的にも責められませんからね。

 ところが、です。

 なんで、この返答があった後も、SNSで堂々と会話してるんですかねぇ?

 以前に比べて友人たちの目を気にすることなくイチャついてるし。それどころか二人で旅行まで行ってる。東京と言いつつ千葉な某リゾートに。優美の誕生日に。

 誤爆データを復元したことは圭介にも優美にも伝えていませんでしたから、油断しまくりなSNSも監視し放題でした。

 圭介は気づいても良さそうなものでしたが、機械音痴でスマホも持ってない私がデータ復元なんてできるとは夢にも思ってなかったでしょう。いろいろバレたのは探偵でも雇ったと考えていたのかな。

 優美は優美で、某リゾートに行ったことをブログにしれっと書く始末。誰と行ったのかは伏せていましたが、やたらハート飛び交う文面から頭の蕩け具合が窺えました。

 こちらが優美の素性を把握していると、彼女はもう知っています。ブログをチェックされていることも想定済みでしょう。そのうえでブログにそんなことを書くって、完全に私を挑発していますね。SNSの裏アカウントまで見られているのは誤算だったのでしょうけれど。

 これは見過ごせない。よって、優美も訴えることになりました。既婚者と告げた後も交際を続けるのであれば、圭介との共同不法行為が成立しますからね。

 別に、圭介が誰と親しくしていようと、今さらどうでも良かったのです。ただ、離婚調停をするからには、“夫の不貞に心痛める妻”を演じ続けなければいけません。あんな奴もうどうでもええわという態度を調停員に悟られたら慰謝料減っちゃう。そんな理由でもって優美に交際解消を求めたわけですが、まさかこんな展開になるとは。

 まぁ、もともと二股かけてた女だし。モラルを求めるほうが間違っていたということでしょうが、売られた喧嘩は買わにゃならん。

 段々と混迷をきわめてまいりました離婚劇。

 泥仕合の第三ラウンドはまた明日の夜に。

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