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モーレア島 二日目 魚ですら添い遂げるっていうのに(2)

 そして再び車に乗り込み、島内観光へ戻る。車内ではマサヒロさんがタヒチの楽しみ方をいろいろと教えてくれた。海で魚を見たい時はパンなどの食べ物でおびき寄せると良いなどなど。そして、遺跡や伝承についても。

「あら、あれは何ですか? あの花壇みたいな……」

 窓越しに外を見ていた瑠菜が何かを見つけて声を上げる。つられて私もそちらを見てみると、たしかに大きめの花壇のような、石を並べて囲っている場所があった。

「あぁ、あれは昔の人の、道具置き場の跡ですよ」

「倉庫みたいな小屋があったんですか?」

「いえ、野ざらしです。勝手に持って行く人なんていなかったってことですね。まぁ、置いてあったのは生活道具だけですし」

 マサヒロさんは瑠菜の質問にすぐさま答える。

 道具類があっちこっちどこにいったのかわからなくなるのを防ぐために、とりあえず置いておく場所、といったところか。

「でもね、西洋から来た宣教師たちは、ここを武器置き場として記録したんです」

「武器、ですか?」

「そうです。ここの島民は争いを好む野蛮人だと教会に報告するためです。その上で、宣教師たちが神の教えを説いて、正道に導いたんだと嘘をついたんですね。そうすることで協会内での自分の地位を上げて、出世しようとしたわけです」

「いつの時代にもいるんですねー、そういうの」

 と、これは私。他人を貶め、保身や成り上がりを狙うクズならよくよく知っている。

「似たような感じで、ある洞窟を食人の現場として記録した報告書もありました。発掘調査で出てきたのは魚の骨や貝殻、植物の種ばかりなんですけどね」

「ただの食堂ですね、それ」

 世界各地にある食人鬼伝説。おそらく似たような経緯で誕生したのだろう。ネタがワンパターンなのも頷ける。

「まぁ、あまり愉快な話ではありませんね。では、せっかくなのでロマンチックな話でもしましょうか。――マヒマヒという魚をご存じですか?」

「日本ではシイラと呼ばれている魚ですね。昨日、夕食の時に頂きました」

 マサヒロさんの問いに雪村氏が答える。私は見落としていたが、昨日のビュッフェにあったようだ。

 私もシイラなら知っていた。日本近海でも捕れる、つるっと丸い形の頭が特徴的な魚だ。

「そうです。その魚です。タヒチではマヒマヒを捕る時、必ず二匹同時に捕まえるんですよ。マヒマヒは雄と雌、ずっと同じパートナーとつかず離れず泳いでいると言われていますから、一匹だけ捕ってしまうと残されたほうが船から決して離れない。そのままではかわいそうだと漁師たちは考えているんです」

「オシドリみたいなんですね」

 瑠菜が感心したように言ったが、残念ながらオシドリは繁殖期ごとにパートナーを変える。

 シイラ――マヒマヒが本当に生涯同じパートナーとだけ過ごすのかどうか、私は知らない。でも、一匹捕れたらもう一匹近くにいるということなら漁の成果も上がるだろう。マヒマヒの愛の物語は、そうやって漁師たちに受け継がれてきた知恵なのだ。

 しかし、そうはわかっていても――

「魚ですら添い遂げるっていうのにねぇ……」

 たまらず零した言葉に、瑠菜がはっと息を呑んだ。ような気がした。

「さぁ、着きましたよ。本日のメイン、パイナップルの加工場です」

 マサヒロさんの言葉と同時に車が停止する。ところが、何か様子がおかしい。工場の門が閉まっている。

「ちょっと様子を見てきますね」

 雲行きがあやしい中、マサヒロさんが車を降りていき、守衛らしき人と一言二言交わしてすぐに戻ってきた。

「すいません、今日は棚卸しで見学できないそうです」

「そうだったんですか。それは仕方ないですね」

 残念そうにしながらも、物わかりの良い瑠菜とは対照的に、私はがっかりした。露骨にがっかりした。昨日、ホテルのロビーで飲んだパイナップルジュースを思い出し、すっかり飲む気でいたのだ。

 するとマサヒロさんは一瞬だけ思案し、ぽんと手を打った。

「では、特別にモーレア島一番のスーパーマーケットへご案内しましょう!」

 そう言って少し車を走らせ、連れて行かれた先にあったのはコンビニかドラッグストアという規模の商店だった。人口を考えると納得ではある。ここに来るまで地元住民らしき人は片手で数えるほどしか見かけていない。

 道中、道路の真ん中にひと抱えほどの花束が置かれていて、あれは何かと訊ねたらバスへの合図だという。停留所も決まった時間もないので、バスに乗りたい人は家の前の道に花束を置いておき、それを目印にバスはクラクションで住民を呼ぶらしい。そのくらい、人がいないのだ。

 店内に入ってぐるりと見渡す。棚の配置、通路の間隔もコンビニっぽい。しかし置いている商品は見慣れないパッケージばかり。島民の生活が垣間見えるから、これはこれで面白い。

 ガラス戸の冷蔵庫の中には豆腐もあった。表記はまんまTOFUだ。成田から十二時間以上かかる遠い南の島で出会うと奇妙な感じがする。

「あ、これ!」

 少し離れた棚を見ていた瑠菜が驚いたような声を上げた。そして何かを手に取り、小走りに寄ってくる。

「小笠原さん、見てください! ポッキーが売ってました!」

 瑠菜が差し出してきたのは、見慣れたスティック状のチョコ菓子だった。彼女も同じく、異国で見つけた日本の商品に嬉しくなったのだろう。しかし。

「いえ、違いますよ。それMIKADO」

「え?」

 私の指摘に、手にした箱をまじまじと見つめる瑠菜。

「あっ、ほんとだ。ロゴが……」

 パッケージデザインは日本のものとよく似ている。メーカーもグリコ。しかしその名前が違った。記されているのはMIKADOというアルファベット。

「ミカド……? 日本っぽい名前にしてるんでしょうか」

「ヨーロッパでなじみのある、日本由来のボードゲームが元らしいですよ。形が似てるんだそうです」

 私の説明に瑠菜は、ほへーっと感嘆して目を丸くした。彼女の後ろにいた雪村氏も楽しげに笑っている。

「よくご存じですね」

「昔、フランス旅行に行った友人がお土産にくれたんです。その時に教えてもらった受け売りですよ」

 せっかくフランスに行ったんならもっと良い物ちょうだいよ、なんて笑いつつ受け取ったのは十年前のこと。

 私がまだ希望に満ちあふれた小娘だった頃のことだ。

「タヒチはフランス領ですからね。食品の大半はフランスで売られているものと同じですよ」

 近くでやりとりを見ていたマサヒロさんが教えてくれた。

 パンにお菓子、乳製品。パッケージに記されているのはほぼフランス語、だと思う。フランス語わかんないからたぶんだけど。英語すらままならない身にとってはちんぷんかんぷんである。

 それでもある程度、中身が何であるか察しはつくから面白い。

「せっかくなんで、これ買います」

 瑠菜は手に持っているMIKADOに視線を落とし、少し微笑んで言った。

 中身はまんまポッキーだけど。

 心の中で思ったけれど、言わずにおいた。

「じゃあ私は……」

 きょろりと棚を見渡し、私はある一点で目を留めた。

「これにしようかな」

 スパークリングワインの瓶を手に取る。雪村氏が、おや、という顔をした。

「お好きなんですか?」

「こんなのサイダーみたいなもんですよ」

 ふふんとドヤ顔で答えてやった。それはすごい、と雪村氏とマサヒロさんが笑う。

 実を言うと入店してすぐに目を付けていた。

 これは使える。それに、人前で買えたのはラッキーだ。印象に残る会話もした。完璧だ。

 日本では見慣れないベルトコンベア式のレジにおっかなびっくりしつつ精算を済ませ、外へ出ると雨が降っていた。はじめはぱらぱらとだったが、全員が車に乗り込んだ直後、ゲリラ豪雨並みの勢いになる。

「さっきまであんなに晴れてたのに……」

「スコールですよ。すぐ止みます」

 瑠菜の残念そうな溜息に、マサヒロさんはけろりと答える。その言葉通り、ホテルへ向かって走り出してすぐに雲が切れて晴れ間が見えてきた。あっという間の、幻のような雨。

 車がホテルに着いた頃には、すっかり青空に戻っていた。

「ラッキーでしたね。観光中に降らなくて」

 長い間、南国の男として生きているマサヒロさんはポジティブだ。雨だけでなく、何事もそういうふうに捉えられたらいいなと思う。

 でも、私には無理。

 車から降りる際、地面に残った水たまりを踏んで長いスカートの裾を濡らし、こっそりと肩をすくめて自嘲の笑みを零した。


 ホテルのロビーで瑠菜たちとも別れ、私は一人、自室に戻った。朝はあんなに満腹で苦しかったのに、小腹が空いている。時刻は午後三時前。ランチを食べに行くには遅い。むしろおやつ時だ。

 そういえば、と朝に残して置いたパンを思い出す。ついでにさっき教えてもらったタヒチの楽しみ方も思い出して、試してみることにした。

 パンを一切れ食べてから、水着に着替える。今日は昨日と違って、スーツケースから引っ張り出したゴーグルとシュノーケルも装備した。この旅行のために買ったデジカメは防水機能付きだが、念のため専用の防水ケースに入れてネックストラップで首から提げる。そして片手にパンを掴み、テラスの梯子を使ってゆっくり海に入っていく。

 ゴーグル越しに見えた青い世界。午後の日差しが海面から斜めに差し込み、オーロラのようにゆらゆら揺れていた。足元には岩のような塊――珊瑚だ。

 アクアシューズを履いた足は海底まで届かない。シュノーケルの先だけ海面から出して波に漂う。

 するとすぐ、ひらひらと舞うように魚たちが寄ってきた。私に――ではなく、私が持っているパンに。

 青いの、黄色いの、白黒縞模様。名前はよく知らない。水族館でしか見たことがないような魚たち。黒地に白い斑点模様のエイまで目の前を横切っていった。

 水の中でふやけたパンは魚たちにつつき回されてすぐぼろぼろになった。彼らは欠片も残さず平らげていく。

 すばらしい食いっぷりだ。嬉しくなって、シュノーケルを咥えたままの口で笑い、その光景をカメラに収めた。

 パンがなくなると魚たちはてんでばらばら去って行った。取り残された私は背中を上にしてぷかりと浮かび、体の力を抜いた。泳ぎはあまり得意ではないが、シュノーケルのおかげで息ができる。

 眼下には珊瑚の塊。その隙間から小さな魚が出たり入ったりしていた。大きなシャコ貝もいる。ウニはごろごろ転がっていた。これらも写真に撮っておく。

 しばらくそうやって漂っていると、ふいに水中の青が濃くなって海底が見えづらくなった。波に流されて水深の深いところまで来たようだ。三メートルか、四メートルか、いや、もっと。いずれにせよ、底に足がつくことはない。

 軽く水を掻いて前へ進む。とはいえ、ぷかぷか浮いているうちに自分がどちらを向いているのかわからなくっている。

 それでも、光が差して水中が明るくなっている場所がある。そこを目指して泳いだ。

 水の色が、濃い青からエメラルドグリーンへ変わる。水深二メートル、そして……一メートル。

 水の色はほぼ透明になっていた。よし、ここだ、と意を決して足を降ろし、上体を起こした。

 アクアシューズ越しに砂の感触。肩から上が風に触れる。

 シュノーケルとゴーグルをはぎ取るように外し、直に世界を見た。

 目の前はどこまでも海だった。まるで湖のように穏やかな波。モーレア島を囲む環礁もここからはよく見えない。遊泳エリアを教えてくれるブイだけが、人工的な白色でぽつぽつと浮いている。

 だだっ広い大海原に一人きりで取り残されたような、ぞくりとする高揚感。

 ただ、それも一瞬のこと。背後を振り返ってみれば水上コテージが整然と並んでいた。テラスの窓が全開になっているのが私のコテージだ。

 ざっと目測で五〇メートル。水の色の濃淡で、歩いて戻るのは無理だとわかる。シュノーケルがなければ間違いなく溺れていただろう。

「さて……」

 私は考えた。ここに来るまでただ浮かんでいただけでほぼ泳いでいない。

 つまり、流された。引き潮で。

「……さーん。……さわらさーん」

 ふと、どこかから声が聞こえて視線を動かす。すると、私のコテージの三つ隣、テラスの上から笑顔で手を振っている日本人女性がいた。色素薄めのセミロング。ボーダーのシャツにシーンズ姿。

 瑠菜だ。思いのほか近い部屋だったらしい。彼女の声に気づいて奥から雪村氏も顔を出す。さらに隣のコテージのテラスでも、白人のカップルが何事かとこちらに目を向けてきた。

 もし、このうちの誰かに「あれ、戻れないんじゃ?」と悟られたらレスキューを呼ばれてしまう。それはまずい。とてもまずい。

 私はとっさに瑠菜に向けて手を振りかえし、ぐっと親指を立てた。そしてゴーグルとシュノーケルを再び装着し、潮の流れに逆らい泳ぎ出す。

 全身全霊のバタ足。だがしかしなかなか進まない。こうなりゃクロールだと腕を大きく振ったら、体が傾いたせいなのかシュノーケルに海水が流れ込んできた。

「ごふっ!?」

 呼吸を助けてくれるはずのシュノーケルが裏切った。肺に残っていた空気を思いっきり吐き出して事なきを得たがもはやパニック寸前である。

 がむしゃらに手足を動かしてとにかく泳ぐ。というかもがく。そしてどうにかコテージまで泳ぎついた私はテラスの梯子にしがみついた。隣のテラスから白人カップルが「Hoo!」と賞賛の声を上げる。そういうのいいから。

 しかし無碍にもできず、軽く片手を挙げて応え、室内に戻ってカーテンを閉め――

「しんっどー!」

 べたっと床に座り込み、天井を仰いだ。

 これは死ねる。本当にぎりぎりだった。力なく笑いながらバスルームまで這っていく。

 昨日とまるで変わらない。さすがにもう懲りたから、泳ぐのはこれで終わりにしよう。


 観光と海中で撮った写真を確認しながら、南国のゆったりした時間に身を任せているとすぐに夕食時になった。

 ワンピースを着て髪を整え、メイクばっちりのリゾートスタイルをキメてレストランに向かう。

 今日はビュッフェではないから、席に着くとメニューが渡された。英語、フランス語、日本語。ありがたい。

「ポワソンクリュ!」

 すっかりお気に入りとなったタヒチ料理の名前を見つけ、つい声を上げてしまった。ウェイターはにっこり笑って伝票に書き込む。

 ポワソンクリュは前菜らしい。なのでもう一品、メインを選ぶことにした。メニューにざっと目を通し――

「……マヒマヒ」

 昼間、伝承を教えてもらったあの魚の名前があった。マヒマヒのムニエル。

「じゃあ、これ」

 メニューを指差し、注文する。英語ができなくてもなんとかなるもんだ。

 料理を待つ間、周囲を軽く見渡してみた。瑠菜と雪村氏の姿はない。レストランは広く、私がいるのはプールサイドの屋外席なので、どこか離れた所にいる可能性はある。ともあれ、少しほっとする。

 先に届いたのは前菜のポワソンクリュ。サイコロ状に切られたマグロに絡むライムの酸味とココナッツミルクのまろやかさ。そして野菜のしゃきしゃき感。やはり間違いなくおいしい。

 ポワソンクリュを食べ終えるとすぐに次の料理が運ばれてきた。マヒマヒのムニエルだ。

 ナイフで切って、まずは一口。

 思ったよりも淡白な味だった。鱈っぽい。でも鱈のように口の中で身がほろほろ崩れるようなことはなく、歯ごたえはしっかりしている。バターの風味とも良く合っていて、おいしい。

 ナイフで切ってはせっせと口に運んで飲み下す。

 雄なのか雌なのか、切り身になってしまっては素人にはまったくわからないけれど。

 あんたのパートナーも今頃は誰かのお腹の中ね。

 そう心の中でつぶやいて、最後の一切れを口に入れた。


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