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モーレア島 最終日 天国に一番近い島(1)

 おはようございます。

 モーレア島四日目。

 今日が最後の一日です。

 寝過ぎたせいで頭がくらくらする。朝食のビュッフェタイムが終わってしまうから急いで身支度をして部屋を出た。今日は白いワンピース。日差しが目に突き刺さる。つば広帽を深めに被った。

 今日は何の予定もない。アクティビティは何も予約していないから、本当に何もすることがない。

 最後はのんびり過ごすと決めていたのだ。

 朝食を終えた私は、部屋に直行することなくそのままホテル敷地内を探索して回ることにした。何しろ広いもんだから、部屋とレストランの行き来だけでは全体像がまったく掴めない。

 まず向かったのは敷板がガタガタのあの橋。いつでも好きな時にイルカが見られると思っていたけど、じっくり見る暇なんてさっぱりなかった。

 背びれで水面を切り、時々思い出したようにジャンプするイルカたち。それを好きなだけ写真に収め、また別の撮影スポットへと向かう。

 次に見つけたのはウミガメの生け簀だった。このホテルにはウミガメの保護施設もあり、怪我をしたり弱っている個体を見つけるとここで保護して回復させる。そうガイドブックに書いてあった。絶滅危惧種であることもそうだが、ポリネシア文化圏ではウミガメはホヌと呼ばれ、神聖な存在なのだそうだ。

 金網で仕切った小さな区画には子ガメもいる。しかしこのウミガメ保護施設、ホテルの中に唐突にあるうえに特別アピールもしていないから、周りに人は誰もいない。通りかかっても気づかないで素通りしてしまう人も多そうだ。……まぁ、たしかに長々見ていてもどうなるもんでもないし。

 写真を数枚撮って、また散策に戻る。敷地内のビーチには椰子の木に引っかけたハンモックもあった。宿泊客なら自由に使ってかまわないものだ。空いているハンモックを見つけたのでとりあえず寝転がってみる。

「……うん」

 だからどうしたって感じ。

 寝心地は悪くない、気がする。でもこれ、たぶん寝るというより写真撮ったりして遊ぶために設置されてるんじゃなかろうか。写真撮ってくれる相手もいない、自撮り棒もない、ぼっちには不向きなアイテムだわ。寝転がってから気づいたわ。

「よっこいせ」

 婆臭い掛け声とともに勢いをつけて起き上がる。転がるようにしてハンモックから脱出した。

 それにしても、本当に何もない。この何もなさこそが売りなのだろうけれど。敷地内で咲いているティアレやプルメリアを撮り、香りを楽しんだりしても、すぐに飽きてしまう。

 ぶらぶらだらだら歩いて、気がつくとホテルのエントランスまで辿り着いていた。

 引き返すか。――いや。

 私はそのまま外へ出ることにした。特にこれといって目的はないが、アクティビティ以外でホテルの外へ出たことはなかったから。島内観光はほぼ車での移動だったし。

 ホテルの外の車道はアスファルトで舗装されていて、歩くのには何も問題ない。日本のように湿気でじめじめしているわけではないし、からっとしているので暑いという感覚もない。これなら散歩を楽しめそうだ。

 車道脇には椰子の木やパンダナスが生えている。パンダナスの葉はタヒチの工芸品によく使われるもので、初日にパペーテのマルシェを回った時にも帽子や籠バッグなどが売られていた。特に帽子はリゾート感溢れるお洒落なデザインが多くて、個人的にオススメしたいお土産ナンバーワンだ。

 誰とすれ違うわけでもない、静かな道。そこを白いワンピースの三十路女が黙々歩く姿はなかなかホラーかもしれない。いろんな意味で。

 しかも、暑くないと思いきやだんだん暑さを感じるようになってきた。日差しが暑い。というか痛い。湿気はないけど太陽光でじりじり焼かれる感覚。

 引き返そうか。でもどのタイミングで踵を返したらいいのかわからない。いや、そんなの自分の意思ひとつで、いつでもいいんだけど、なんとなく。

 もはや景色を楽しむどころではなく修行の如く歩くだけと化していた。いや、ほんと、なんで歩いてんだっけ私。今日はのんびり過ごすんじゃなかったっけ。

 あと一〇メートル。いや五メートル歩いたら帰ろうか。そう考えていた時だった。道の脇の草むらから、ぬっと大きな顔が現れたのは。

「うおっ」

 きゃあとか可愛い悲鳴を上げられない女子力ゼロを晒し、後退ってそれを見た。

「……馬?」

 馬だった。黒い馬だ。馬具らしきものをつけていないのでモツピクニックの猫や鶏みたいに野良かと思いきや、首に縄が掛けられて近くの木に繋がれていた。馬ってこうやって繋ぐもんだっけ。雑すぎない?

 たしかガイドブックには乗馬体験もできると書かれていたから、そのための馬じゃないだろうか。

 草をはむはむしている馬と、しばし見つめ合う。虚無ともいうべき、数秒間。

「……帰るか」

 尻尾をふぁっさふぁさ振る馬の写真を一枚撮って背を向け、元来た道を歩き出した。……本当に何をしにきたんだ、私。

 ホテルに戻った私は足早にエントランスを通り抜けた。向かうはプールサイドのバーだ。

 スツールに腰掛けると同時にメニューを指差し、直感でシーブリーズなるものを注文。出てきたピンク色のカクテルを煽り、おぅぅぅ、と唸り声を上げた。柑橘系の爽やかな香りが身も心も潤していく。

 つまみともう一杯カクテルを注文し、昼食の代わりとした。財布を持って出て正解だった。

 バーではプールで遊ぶ人の様子がよく見える。しかしどうしてビーチリゾートのホテルってプールあるんだろう。すぐ目の前が海なのに。あえて真水のプールに入ることで贅沢を感じられると、そういうことだろうか。なんてどうでもいいことを考える。

 それからは、本当に何をするでもなく過ごした。部屋に戻って休憩して、電気ケトルでお湯を沸かし、アメニティのドリップコーヒーをいれる。それをテラスで飲む。音楽もなく、ただ、何もせず。

 日が傾いていく。

 最後の一日が終わる。

 やがて空の色が変わってきた。私はカメラを手に取り、再び外に出る。

 朱を帯びた金色の空。タヒチに来て見た中で一番綺麗な夕焼けだった。

 逆光の中ではすべてのものがシルエットと化す。椰子の木も、飛ぶイルカも。美しい影絵のようになる。

 イルカの見えるスポットで、シャッターチャンスを待った。すると、橋を渡ってくる足音が聞こえ――

「あ、小笠原さん」

 瑠菜だった。隣には相変わらず、雪村氏がいる。

「イルカの写真、撮ってるんですか?」

「えぇ、まぁ」

 答えながら、私は二人の出で立ちに注目した。雪村氏はジャケット姿で、瑠菜は紺色のワンピース。初日の夕食の席で着ていたのと同じだ。二人はコテージ側から歩いてきたし、きっとこれからレストランに行くのだろう。

「写真、お好きなんですね」

 いや、別にそうでもないけど。

 そう心の中で言いつつ、声に出したのは「下手の横好きですよ」という愛想の良い答え。顔も、ちゃんと笑えていたと思う。

 では、と会釈して通り過ぎていく二人。しかし数歩先で立ち止まった雪村氏が、小笠原さん、と再び呼びかけてきた。

「今夜はきっと、空が綺麗ですよ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、雪村氏は言った。空? と思ったけれど彼は瑠菜と微笑み合うとすぐに背を向けて行ってしまった。

「何事……」

 訝ったけれど、まぁいい。別に大したことではないだろう。

 視線をイルカの生け簀に戻す。それと同時に、夕日を背にしたイルカが二頭同時にジャンプした。

「あー!」

 今のすごい良かった。シャッターチャンスだった。だったのに。

「あぁ、もう、くそ」

 別に写真が好きってわけじゃなけど今のは撮りたかった。タイミング悪く話しかけてきた瑠菜と雪村氏の背中に悪態をつくが、二人の姿はもう遠い。

 気を取り直してカメラを構えてみるものの、今みたいな画はもう二度と撮れなかった。日が完全に落ちてしまった。

 どうにも上手くいかない。これが私だ。私の人生だ。

 カメラをショルダーバッグに仕舞い、私も夕食を摂ることにした。レストランに向かう。

 注文したのはココナッツライスとポワソンクリュ。南国の夜にふさわしい、ココナッツの香りに満たされる。

 海外旅行で食事が口に合わないと悲惨だ、なんて言うけれど、タヒチ料理が美味しくて本当に良かった。

「ごちそうさま」

 空になった皿に、一礼。

 普段はこんなこと、ろくにしてこなかったけれど。

 今日は特別だから。


 部屋に戻った私は、島内観光の時に買ったスパークリングワインを開けた。グラスに注ぎ、横着にもそれでメルカゾール――バセドウ病の薬を流し込む。薬のシートはゴミ箱に捨てることなく、テーブルの上にそのまま放置。

 明日の予定は、朝食後すぐにバスでフェリー乗り場に行き、パペーテへ向かう。パペーテで二泊した後、日本へ帰国する手筈となっている。

 酒を飲みつつ片手間に荷造りを始めた。バスルームに干しっぱなしだった水着もスーツケースに押し込む。簡単な手荷物だけを別にして、朝早く出発できるようにすべてをスーツケースに詰めた。

 片付けが終わると、今度は土産物リストを書いた紙をテーブルの上に並べた。

 そして、カメラ。バッテリーは取りだして、充電中。わざわざ買った電圧変換プラグのおかげで不自由なく過ごせた。ずいぶんたくさん撮った気がする。

 そのカメラもテーブルに置いた。ちびちび飲んでいた酒は最後の一杯になっていた。

 時刻は今、日付を超えようとしている。タヒチの日付を。

 目が回る。くらくらする。ソファから立ち上がると平衡感覚を失い、尻餅をつくようにソファに再び沈んだ。そのまま意識が遠のきそうになるのを堪え、もう一度立ち上がると、残った一杯をぐっと飲み干す。

「さて」

 テーブルにグラスを置き、千鳥足で窓に歩み寄った私は、勢い良くカーテンを開けて。

「死にますか」

 そう言って、笑った。

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