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常夏の夜の夢 三 慰謝料は分割払いでと言われた話(4)

「ハァ?」

 せっかく化けていったのに、うっかり素が出そうになりました。

 調停員の二人は、彼らが悪いわけでもないのにひどく申し訳なそうで、こっちまで申し訳ない気持ちになったけれど、それはそれ。

 私側が求めていたのは一括払いです。それが何を勝手に分割払いなどと。

 しかしまぁ、とりあえず、圭介側が提示してきた内容を確認します。

「来月に二万、その次の月に一万、さらに翌月が一万と五千円……なんですかこれは」

 訝る石田先生。月々定額なら一万歩譲ってわかる。しかし五万円という月もあれば三千円という月もあり、それを数年かけて払っていくという計画でしたから、石田先生だけでなく調停員も困惑です。そんな中、私はすかさず愛用のガラケーを取り出しちゃっちゃと電卓で計算。

「合計で二九七万円ですね。……足りないですね」

 私側が求めた慰謝料は三五〇万です。名誉毀損について問いただしたところ、彼が認めたため、短い婚姻期間からすると破格の慰謝料を請求することになりました。圭介曰く、私を貶める嘘は優美以外に話していないとのことでしたが、息を吸うように嘘をつく男だと調停員も知った以上、そんなもん通用しません。

 私が印籠のように掲げたガラケーのディスプレイを見て、石田先生と二名の調停員は、あぁぁぁー、と呆れた声を上げました。いやほんと、あぁぁぁー、しか言えないよね。

 小細工すんな一括で支払え慰謝料額に同意しといて勝手に減額すんじゃねぇという意味の伝言をオブラートに包んで残し、私と石田先生は一旦退室。調停はこのように、調停員と話す部屋に自分と相手が交互に入り、相手が調停員と話している間は控え室で待機します。お互いに顔を合わせることはありません。まぁ、そうでないと裁判所内で事件とか起きちゃうもんね。大阪家庭裁判所、金属探知機も手荷物検査もなかったし。

 慰謝料を細切れにして金額を誤魔化そうとするなんて、どんだけせこいんだと、控え室でぶちぶち文句を垂れる私と石田先生。しかし、こんなもんじゃ終わらなかった。

「ええと、分割払いは譲れないそうで、金額は単純に計算を間違えてましたごめんなさい、とのことです」

 調停員に呼ばれ、相手の言い分を聞きながら、新しく出された支払い計画に目を通しました。

「来月が一万と五千、再来月が二万、その翌月が一万……数字入れ替えただけですかこれは」

「二七三万えーん! さっきより減っとるやないかーい!」

 しおらしい演技なんてかなぐり捨て、私は計算を終えたガラケーを机の上に放り投げました。調停員も、そんな私の態度に何も言いません。ただただ皆、呆れるばかりです。

 しかもこれが数回続きました。午前十一時から始まった調停が、午後四時を回っても終わらない。そのうえ圭介側が言い分を重ねるたびに細切れ慰謝料の合計は減っていく。コントか。

「もう、いいかげんにしろよマジで……」

 調停員に呼ばれ、何度目かになる入室。私と石田先生の目は完全に据わっていました。だって昼過ぎには終わると思ってたんですよ。昼ごはん食いっぱぐれてるんですよ。空腹で苛々は最高潮です。

「相手方はどうしても分割だけはお願いしたいと言っています」

「無理です嫌ですお断りします」

 息継ぎなしで答える私に、疲労困憊といった様子の調停員が、ですよねぇと言いつつうんざりした様子で続けます。

「先日、相手方の母方のおじいさまが倒れられたそうです。その入院費で苦しいから、勘弁してくれないかと。また、圭介氏の弟が近々結婚するそうで、結婚式の費用もかかるから、と圭介氏の母親が言っています」

「待ってください、圭介の母親が来てるんですか?」

「はい。分割払いの提案も、どうも母親の指示のようです」

 この大事な局面でママン同伴かよ、くそダセェ。

 っていうか姑。謝罪の言葉もなく無言を貫いてきたサイレントクズが、今さら出しゃばってきてこれか。

 祖父が倒れたからってだからどうした。人はいつか必ず死ぬ。順番からいえば年寄りは尚のこと死ぬ。つーかお宅んとこの爺さんなんて私にとっちゃもう赤の他人だわ。どうなろうと知ったこっちゃねぇわ。爺さんの入院費と私への慰謝料なんの関連性もないしそれによって慰謝料が減額される理由がどこにあるんだ。どこにもねぇわ。弟にしたって結婚するからなんだってんだ。勝手にしとけよ。私は自分の結婚式の費用も新生活にかかる費用も全部自分で出したぞ。お前ら長崎家は一円も出さなかったよなぁ。うち貧乏なんでーってへらへら笑ってさ。私は式なんて別にいらなかったのにやりたいって言ったのお前らなのにな。それにサイレントクズよ。成人した息子のやることは本人たちに任せるんじゃなかったのか。弟だって成人じゃねーか。だったら弟の結婚式は弟が自分で金出すのが道理だろうが。私への慰謝料から天引きしようとしてんじゃねぇぞクソが。

 これを全部叫んでしまいそうで、私はぐっと口を閉じて鼻だけで大きく深呼吸をしました。

「……彼らの狙いはわかります。同情を引いて分割払い及び減額の要求を呑ませようというのでしょう。こう言えば私が絆されると侮っている証拠です。おじいさんが倒れただの弟の結婚式だの、どこまで本当なんだか」

 慎重に口を開いて苦々しく吐き捨てた私に、伝言役である調停員は然もありなんと頷きました。

 時刻は午後五時になろうとしていました。石田先生は腕時計に視線を落とし、机に軽く身を乗り出して、告げます。

「もう時間切れですね。今回の期日で決着がつくものと思っていましたが、これは持ち帰り案件にするしかなさそうです。こちらは三五〇万、一括払い以外は認めません」

「私は何年でも争いますよ。ええ、何年でも」

 石田先生の言葉尻に乗っかり、私も追撃。調停員たちはうんうんと頷き、伝えましょうと言いました。

 ここで終わらなければ圭介は婚姻費用の七万円を毎月延々と支払い続けることになります。それを忘れるなと、暗に言い含めたのです。

 私の言葉はハッタリではありませんでした。何年かかろうと譲歩するつもりはありませんでした。少しでも譲れば、私にも非があったと認めることになってしまう。圭介が、優美が発した侮辱の言葉を、認めることになってしまう。それだけは絶対にできない。

 婚姻関係が解消できなければ私も再婚できませんが、そんなのはどうでも良い。結婚なんて二度と御免被る。彼氏もいらない。恋愛なんてする気も起きない。

 再婚の機会を逃すとか出産のタイムリミットを脅かすことで慰謝料額を譲歩させようという魂胆もあったのかもしれないけれど、その作戦はまったく効かないし粘れば粘るほど不利なのはどちらか、明白でした。

「相手方が条件を呑みました。三五〇万円、一括で支払うそうです」

 午後五時丁度。私と石田先生が入室すると、やりきった笑みを浮かべた調停員がそう告げました。きっと、ゴネる圭介とサイレントクズに、ここで承諾しておかないと結局のところ損だと理解させ説得してくれたのでしょう。

 勝った。勝ちました。完全勝利です。

 裁判所を出た時、金色の空に向かって快哉を叫びたい気分でした。

 これでようやく離婚届が出せます。離婚届は本来、双方のサインと捺印がないといけないんですが、調停離婚の場合は原告(私)が勝手に相手の名前も書いて良いし捺印もなくて良いのです。ただし、裁判所から調停調書が発行されて、それと離婚届を一緒に提出する必要があります。提出期限は調停成立からなんと十日以内。期限を過ぎたら過料――罰金を払わなければいけません。なのに即日発行ではなく、数日後、代理人宛に届くというのです。 土日祝日挟むと猶予がなくなるの、ほんとどうにかしてほしい。

 とはいえ、離婚届は無事に提出。

 慰謝料の振り込み確認後、石田先生を通して「トランクルームの荷物捨てていいよ、あれ全部ゴミだから」と伝え、長崎晴子は小笠原晴子に戻ったのでした。やっほい。


 圭介との戦いは終わりました。でも、まだ優美にとどめを刺せていません。

 債務不存在確認訴訟で私に負け、圭介を捨てて逃げようとした優美。

 圭介との共同不法行為に対する損害賠償請求事件として、再び舞台に戻ってきてもらいました。

 しかし優美はとにかくしらばっくれる。

 出会った時は未婚だと言われていた。あとからバツイチだと言われた。それを信じていたから私悪くないもん。謝る意味がわからない。などなど。女としてのレベルが低いから不倫されるんでしょ? なんて暴言もいただきました。裁判記録に残る書面で。

 対し、私は一貫して、通知後も会っていたのは知っていますよという主張を淡々と続けました。

 そしてとうとう、彼女は言ったのです。

「既婚者だという通知が来て以来、圭介さんとは一度も会っていません。何の交流もありません。証拠もないくせにしつこい。被害妄想もいいかんげんにして」

 答弁書にこの言葉を書いて寄越した時、私と石田先生は「待ってましたー!」と歓喜しました。

 なぜなら、アプリの誤爆データ及びSNSを監視していたことは今まで隠していたから。

 大事な大事な切り札。圭介などという雑魚に使うのはもったいない。優美との争いに備えてずっと温めていたのです。侮辱の言葉に絶えながらじっと我慢していたのです。

 すかさず証拠としてSNSでの交流記録を突きつけた石田先生は、「相手の代理人、さすがに泡食ってましたよ」と、晴れ晴れした様子でした。やはり優美と彼女が雇った弁護士は意思疎通が取れていなかったようです。

 裏アカウントが消された時には監視していることがバレたのかと焦ったけれど、ぼろを出すまでじっと耐えた甲斐がありました。優美は「会ってはいたけどただの友達としてだから! 性的な関係はないから!」と言い訳してきましたが、裁判という場で嘘をつけば裁判官の信用を失います。もはや何を言おうと挽回することはできません。

 しかしながら、ホテルに出入りしてる写真などベタな物的証拠がない限り黒判定にはできません。そんな前例を作ってしまったらこの事件以降の不倫案件を平等に裁けなくなるからです。

 本来なら、私が勝てる要素はありませんでした。

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