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98話

 よく目を凝らすと、そこにいたのはセンター長だと気づく。私服姿を見るのは初めてのせいか、一瞬、誰だかわからずにいた。少し着崩した格好をしている。


「何かあった?」


 心配そうな声に「いえ、別に」と首を振ると、センター長はにこりとして、「よかったら、どう? 株田くんも明日、休みだったよね?」と、隣のベンチを手で指し示した。


 二人共、今日、明日と休みなのは同じだったが、センター長は、倉庫の急なトラブルで呼び出されていたのだという。


「で、株田くんは? どうしたの?」


「あー、今さっき、健康診断を受けてきたんですよ」


 何気なく答えると、センター長の顔色が少し変化した。


「え、もしかして……?」


「大丈夫です、結果に大きな異常はなかったので。体重が基準値を下回ってるから、しっかり食べろとは言われましたけど」


「そっか、それならよかった」


 安堵して息を吐いてから「ビールしかないけど」と、センター長は冷えた缶を差し出してくる。


「株田くん、さっき何か、この世の中終わりみたいな顔してたから心配したよ」


 コンビニで買い込んできたという袋の中には、氷まで入っていて、キシキシと軽快な音を立てる。夜、こうして普通の生活をしている人々を眺めていると、自分がその日常の景色の一部になれた気がして落ち着くのだと、センター長はしみじみと照れ臭そうに語る。


 一本目を飲み終える頃にはすっかり日も落ちていて、仕事仲間のたわいもない話から、米国へ渡ったイチローがシーズン最多安打記録の257本を更新したという偉業まで、あれこれ話しているうちに、センター長との距離もいつの間にか縮まっていた。もう帽子も被っていない。

 だけど、どれだけ話が弾んでも、最後には決まって、就職氷河期やら、大学卒業者の就職率が過去最低を記録したなど、世の中の暗いニュースへと行き着くのは、世の常か。

 ふと近づく夜の闇に、病院で言われたことがまた頭を占め、気持ちが沈んでいく。表情に出ていたのか、隣から視線を感じた。


「まあさ」と、センター長が缶の底を眺めながら、ぽとんと声を落とした。


「株田くんくらいの歳だと色々と悩みごとも多いよね。僕も大変でしたよ。大きな声では言えないけどね」


 普段通りの軽い調子に、少しだけ暗い影が差したような気がした。


 センター長は不思議そうに様子を窺(うかが)い、「どうした? もう一本飲む?」と言って缶ビールをもう一本渡してきた。


 ――この大人は信用に値するのかもしれない。


 センター長の笑みが、仏のように見える。

 気づけば一丸は打ち明けていた。今日病院で聞かされた、病名のこと、心療内科を勧められたこと。最近気にかけていた自分の身の回りで起きていたこと全部を。


 センター長は、通り過ぎていく街の景色を優しく見つめたまま、「そっか、そっか、今まで頑張ってきたんですね」と柔らかい表情を浮かべている。


「奇遇だね。僕も一緒でした。うつ病。パニック障害はなかったけどね」


 その静かな告白に、一丸は思わずベンチから立ち上がっていた。


「え……本当ですか?」

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