91話
たまたま乗り合わせた各駅停車は、拍子抜けするほど空いていた。波立つ感情の合間を縫うように、走る電車に揺られた。窓の外の街明かりは、容赦なく後ろへと流れていた。
一人で座ってただ眺める夜の景色は無情だった。この隙間に入り込める余地などない。散髪したばかりの清々しい短い髪が、かえって得体の知れない不安や葛藤を押し上げた。
街の色を反射した空に、暗闇はないのだろうか。
ほんのわずかに込み上げた光の揺らぎさえも、その空は無情に立ち塞がった。
西千葉、稲毛とホームを通り過ぎた頃だ。ようやく鼻の奥に残っていた煙草の残香が消えたのは。
次の駅に停車してドアが閉まると、ソリーが今日、自分を呼び出した理由が、すとんと胸に落ちる。別れ際、ソリーは言っていた。
『俺、今、結婚したい女いんだよね』
奇しくも、それは一丸と同じ。自分よりも惨めな人間を眺めて、安心したかっただけ。
行き場のない荒れ狂う大海原みたいな感情から、目を逸らすために脇役が必要なのだ。それは自分よりも不孝な映画のないのヒロインに涙を寄せながら、心のどこかでほっとしている観客たちと大差はないとも思う。
所詮は借り物の人生。ソリーもきっと何かを演じているだけで、どこかで気づくはずだ。ああ、自分は誰かの人生を生きていただけなのだと。
ソリーはこうも言っていた。
『だから今回の仕事先は、真面目に働こうと思ってる』
別れ際の思い詰めたような顔。その思いもまた、一丸の心の中にあるものと違いはなかった。
二人はきっとどこかが似通っている。膝の上で組んだ手に、無意識に力がこもった。いつも何か踏み出すための理由を求め、己を突き動かす火種を探している。自分以外の誰かを支えにしなければ、生きていくことすらままならない。
停車した見慣れたホームの温かな明かりを見つめていると、ふと高校三年の頃の記憶が蘇ってきた。微々たるバイト代を握りしめ、一人こうして電車に揺られていた。大好きな彼女に会いたいという一心だけで。
そして今、胸の底で渦巻いている感覚は、あの時の寂しさと似ている。名残惜しそうに『またね』と手を振って最後まで見送る彼女の姿。一人で戻る帰路の車内は、行きよりもずっと静かで、車窓の暗闇をぼんやりと見つめることしかできなかった。
津田沼駅に停車したあたりから、車内の空気がにわかに浮き立ち始めた。乗り込んできた客たちの話し声や、若い女たちの弾んだ笑い声が、耳を突く。
--またこれだ。
行きの電車と同じ感覚だった。たまらず行きと同じように強く瞼を閉じた。だけどもすり抜けてくる声は止んではくれない。ドクドクと鼓動の拍子だけが早くなっていく。
衝動に押されるように、気づけば次の東船橋のホームへ踏み出していた。吸い寄せられるように、自然と足が動いていた。
自販機で買い求めた水を一口含むと、冷めたさが喉を通り過ぎ、身体の芯までじわりと染み込んでいく。
--詩亜。
たまらず、あの頃の懐かしい面影を追いかけた。
ベンチに腰を下ろすと、いつもくだらない喧嘩ばかりしていた情景が目の前に広がった。周囲には誰もいない。次の列車が来るまでの間、一丸はまた、一人になる。




