85話
詩亜にはあらかじめ、電話で大まかな事情を伝えてあった。警察が自分の身の回りを探っていること。それとその対象には、詩亜、丸ちゃん、駿も含まれていること。
「ほんとごめん、詩亜。思い出したくないことまで、引っ張り出して」
詩亜は八年前、自らが巻き込まれた事件の傷を今も抱えている。主犯格だった矢刃を逮捕したのが橘さんだ。盗撮は未遂で終わった。それだけがせめてもの救いだった。
「何でまた橘さんなの? ひょっとして私たちの誰かが、何かの事件に巻き込まれてるってこと?」
「わかんない。警察って、詳しい捜査情報までは教えてくれないんだよね」
コーヒーを一口含んだ詩亜は、味わうこともなくカップを戻した。かしゃん、と大きな音が店内に響く。
「え……もしかして、丸ちゃん?」
仁子は努めて声を平坦に保った。詩亜の動揺を鎮めようと、無意識に呼吸を整える。
「それはないと思うけど。丸ちゃんに限って」
言いながら、仁子は店先へ目を向けた。外では白い陽射しが、行き交う人たちを照らしている。
「――あの日から、連絡つかないから、何とも言えないけど」
「まったく、あのバカ」
と詩亜が短く舌打ちをこぼした。
「丸ちゃん、まだ連絡つかないんだ?」
苛立ちを隠せないのか、眉間に深い皺が寄る。
「ほんと、しょーもない、やつ」
「駿の方は、メールだけれど連絡は取れているから。そっちは安心して」
「そっか。それなら良かった」
小さく息をついて肩の力を抜く詩亜を見て思った。駿なら大丈夫。名門大学へ進み、順風満帆な未来が待っているはずだ。ただ一つの気掛かりを除けば。
「あーあ」
詩亜はぐったりと力を失い、カウンターへ額を預けた。
「どうして、こんなことになっちゃったんだろー」
その徒労感は、仁子も同じだった。四人で過ごしたあの日々は、何にも代えがたい特別な記憶として心に刻まれている。だからこそ今も、三人との細い繋がりを手放せずにいた。
うなだれる詩亜の肩へ、仁子はそっと手を置く。冷えた指先に伝わる詩亜の体温が、言うべきかどうか、迷いを生じさせる。
「詩亜。言いにくいんだけど」
少し、口ごもった。これは丸ちゃんに口止めされている話。黙っていた方が、二人のためなのかもしれない。
それでも――言うべきだと仁子は思った。詩亜だってもう、子供じゃない。
「丸ちゃんさ……。高校の卒業式の日、矢刃にボコられてんだよね」
詩亜が椅子から飛び上がった。
「は?」
何を意味するのか理解できないとでもいうように、大きく目を見開いている。
「何それ、トン子。詳しく聞かせて」




