72話
「女子は?」
『いるだろ、普通は』
「じゃあ、行かないで」
迷いのない声に自分でも驚いた。言葉が滑らかに溢れてくる。
電話の向こうで、テレビの音がふっと消える。
『詩亜』
名前を呼ぶ声に、いつものへらついた調子はない。
喧嘩はしたくない。けれど、丸ちゃんの隣で笑う女の子たちを想像するだけで、どす黒い感情が渦巻く。どうせ大衆居酒屋へ行き、その後はカラオケで夜を明かすのだろう。
『卒業だぞ? さすがに最後なんだから、参加する』
「だめ」
未成年が飲酒なんて論外だ。
『詩亜だって、参加すればいいだろ』
「私は参加しない。女子だけになったら行く。だからどうしても参加したいなら、丸ちゃんもそうして」
『そんなの無理だろ』
困惑の声。呆れているのか、それとも疲れているのか。その判別さえできなかった。
「無理も何も、それが条件」
理屈などどうでもよかった。嫌なものは嫌だ。
廊下からは寮生たちの楽しげな笑い声が微かに漏れ聞こえ、今日という日が平穏に閉じられようとしている。それなのに自分だけが、こんなにも苛立ちに苛まれている。
ベッドに深く腰を下ろし、熱を持った背中を壁に預けた。
『詩亜、それはさすがにおかしいって。自分でもわかってるだろ』
わかっている。だからこそ、そう指摘されるのが耐え難い。
「丸ちゃんだって、四月から専門学校でしょう? そんな浮かれてる時間あるなら、デッサンとか準備した方がいいんじゃないの? 初めてなんでしょう?」
言ってはいけないと頭の中ではわかっていても、言葉は勝手に転がり出ていた。
『は? 何んだよ、その話』
案の定、丸ちゃんの機嫌を損ねる。
「別に、当たり前のこと言ってるだけ。専門学校って就職するために行く場所でしょ?」
『詩亜がそれ言うのは、違うだろ』
少し、声が刺々しくなった。こんな声を耳にするのは久しぶりだった。
「そもそもそんなこと言ったら、おれは専門学校の飲み会にも行けない訳?」
こめかみの奥で、何かが脈打つ。
「だめ。男だけで行けばいい」
大きなため息が、携帯を通じて耳元に届く。丸ちゃんの、なみなみに注がれたバケツの中の水は、臨界点を超えたのだろう。
詩亜は丸めた膝に、より深く顎を埋めた。
浮かれた日常への嫌悪感がぎゅうっと、さらに胸を苦しくさせる。
――私には、卒業演奏会がある。
選ばれた十六人しか立てない舞台。五百席ほどのホールで、失敗は許されない。浮かれている暇なんて、本当は自分にもないはずだ。
それなのに、こんな軽薄な話題に付き合わされている。
どうしても許せない。そう思った瞬間、身体が勝手に動いた。
額を、硬い壁へと打ち付ける。
ゴツ、という鈍い音が響いた。地獄の淵に立つような静けさが、冷たく部屋を支配した。




