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欠け星アルフェラッツ もしもダビデ像が服を着てたら  作者: Y.Itoda
第三章 二〇〇〇年〜 遠江詩亜
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68話

 息を切らして角を曲がる。路上を抜け、駅へ向かって一本に伸びた並木道を急いだ。クリスマスのイルミネーションが視界の先まで続いていた。


 --いた。


 家路を急ぐ人影の合間に、その背中はすぐに見つかった。


「丸ちゃん!」


 よかった、と息をついたのは、ほんの一瞬のこと。

 丸ちゃんは独りではなかった。レトロな街路灯が作る淡い光の輪の中に、誰かと向かい合っている。


 黒木先生……か? どうして、先生が。


 二人に接点などあるはずがない。音楽の道を極める先生と、生きる世界が違うはずの丸ちゃんが、どうして今、ここで。

 呼びかけようとした足が、その場に縫いつけられた。

 黒木先生の視線は、丸ちゃんを真っ直ぐにとらえている。その目は、詩亜が幾度となく向けられてきた、相手を品定めする冷ややかなものと同じだった。

 声をかけるきっかけを失った詩亜は、街路樹の陰で立ちすくんだ。

 黒木先生の声は、夜気の中で驚くほどよく通る。


「あなたね、詩亜さんの彼氏というのは」


 丸ちゃんの背筋が、わずかに緊張で硬くなるのが見えた。


「……はあ。そうですけど、何ですか?」


「そう」


 短い響きを確かめるように繰り返してから、黒木先生は小さく吐息をついた。それが嘲笑なのか、呆れなのか、すっと伸びた背中からは何も読み取れない。ただ、冬の冷気に似た不穏さだけが、二人の間に漂っている。


「あなた、高校生よね。卒業したら、どうするの」


「……えっと、専門学校に。デザインの」


「まあデザイン。絵を描くのね?」


 先生が微かに笑う。子供の遊びを見守るような、取り合う価値もないという音が、そこには含まれていた。


「いや、それはまだ、これからっていうか」


 丸ちゃんの語尾が、自信なげに震えて小さくなっていく。


「あなた。将来、何になりたいの。何を目指しているの?」


 その問いに、丸ちゃんは答えなかった。

 いや、答えられないのだ。詩亜にはわかってしまった。

 将来のことは、今の丸ちゃんには絶対に訊いてはいけない。それはずっと詩亜も気にかけてきたこと。


「笑止千万ね。何もないのね。将来の夢も、目標も、何ひとつ」


 黒木先生は、自分の言っていることを、(つゆ)ほども疑っていない。その傲慢(ごうまん)さが何より恐ろしかった。


「私たち音楽に精通する者はね、自分の人生の全てを賭けて闘っているの。血の滲むような場所でね」


 丸ちゃんは(うつむ)いている。


「だから、あなたみたいな人が隣にいると、あの子の足枷になるのよ」


 わかるかしら、と先生が問いかけ、一度言葉を切る。


「別れなさい。それが、あの子のためよ」


 その一言が、詩亜の奥にあった何かを、勢いよく突き動かした。


 ――しあちゃんのとなり。


 幼稚園の頃に、画用紙に書いた辿々しい文字。丸ちゃんは、将来の夢をそれしか書けなかった。発表会の客席の一番前で、口をぽかんと開けて、こちらを見上げていた幼い丸ちゃん。

 気がつくと、走り出していた。


「もう、やめてっ……!」


 二人の間に体ごと割り込む。丸ちゃんを背に庇い、先生を見上げた。震えた声は続かない。代わりに、堪えていたものが(せき)を切ったように頬を伝っていく。

 レッスン室では一滴も零れなかった涙が、今は止めどなく溢れてくる。


「丸ちゃんを、いじめないで!」


 子供のように、しゃしゃくりあげていた。みっともないと頭のどこかでわかっていても、止まらなかった。

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