60話
「iモードも、速いぞ」
「いいなー。着うたは? 何入れてるの?」
ボタンを押すたびに、カラーのメニュー画面が色を変える。向かいから身を乗り出す丸ちゃんの特異満面な表情が、液晶の端でうっすらと反射した。
登録項目を何気なくなぞっていく。その時、指先の動きが一点で止まった。
お気に入りに残された一つの行。そこに並ぶ文字を詩亜は知っていた。教室の片隅で、誰かが声を潜めて噂していたサイトの名称だった。
「……ねえ、これ。なに?」
自分の喉から出たとは思えないほど、平らな声だった。
「ん?」
改めて画面を見直した丸ちゃんの顔から、潮が引くように笑みが消えていく。事の重大さを彼なりに悟ったのだろう。
「あ、いや。それは」
「これ、出会い系だよね」
『スタービーチ』。通称スタビ。掲示板でメル友を募集するもの。
その忌々しい男女のやり取りを想像するだけで、手に持つ携帯が一気に重たくなる。
「ちが……いや、ちがくはないけど。それ、ソリーたちが、勝手に」
「勝手に?」
「あいつらが、おれの携帯で、面白半分に登録して。おれは、横で見てただけだって」
しどろもどろの弁解は、きっと本当のことなのだろう。頭の隅では理解している。けれど、納得することと許すことは、全く別の感情だ。
「見てただけで、なんで、お気に入りに残ってるの!」
「それは、ただの、消し忘れで」
「ほかの子と、やりとりしたかったんでしょ」
「してないって」
いつもは喧嘩しても、どこか飄々としている丸ちゃんが、めずらしく声を強くした。
「だいたい、詩亜のほうが、無茶苦茶だろ。人の携帯、勝手に開いて、連絡先まで全部消して。女友達と話すのも禁止って、そんなの無理じゃね?」
こめかみが、ズンと重たく脈打った。
「そんなこと言ったって嫌なものは嫌なの!」
丸ちゃんは、はあと短く息を吐いて天井を仰いだ。もうパフェに手を伸ばすことはない、という無言の拒絶。聞き分けのない子供をあしらうようなその態度が、詩亜の神経を逆撫でする。
和やかな店内で、二人の周りだけが刺々しく張りつめていた。物珍しさにこちらをうかがい、慌てて目を逸らす近くの客すらも、今はただ腹立たしい。
「そういう詩亜はどうなんだよ。他の男と一切話してないと言い切れるのか?」
「話してないよ。私は――」
言いかけた言葉が、唇の裏で途切れる。
不覚にも。落としたキーホルダーを拾ってくれた町野君の、向日葵のような笑顔がはっきりと脳裏に浮かんでしまう。
行き場をなくした声は、小さな震えを帯びて喉の奥で息を潜めた。




