53話
ファミレスを出ると、夜風が冷たくなっていた。
寮までの短い道を、二人で並んで歩く。さっきまであんなに喋っていたのに、もう別れる時間だと思うと、急に言葉が出てこなくなる。
「もう秋も終わりだな。寒いなら、おれの上着、着るか?」
「いい。すぐ着くし。丸ちゃんこそ、風邪引かないでよ」
寮の門が見えてからも、二人は互いの歩幅をわざと緩めていた。
「……なあ」
丸ちゃんが、言いにくそうに切り出した。
「国立って、ホテルとか、ないの?」
「は? ……ラブホ?」
「ま、まあ」
「もしかして、今日来たのはそれが狙いだろ?」
「い、いいだろ別に。おれだって、男なんだから」
体温が一気に熱くなるのを感じた。こんな暗がりとはいえ、心臓の音が丸ちゃんに聞こえてしまいそうだ。
「公園とか、行く?」
「ばか! 外なんて絶対やだ。猿じゃあるまいし」
「じゃあ、詩亜は、したくないのかよ」
「……そんなこと、ないけど」
言いかけて、唇を噛む。丸ちゃんは不思議そうな顔をした。
「何だよ」
「……だって。丸ちゃん、浴びさせてくれないんだもん」
「ん。シャワーのこと?」
「そうだよ。今度は、ちゃんと時間ちょうだいね」
「いや、悪い。そういうもんだと思ってたから。おれはそのままでも、全然平気だけどな」
「どんだけ変態なの!」
「心配すんなって。おれは、ちゃんと浴びてから来たから」
「そういう問題じゃない!」
すっかりいつもの調子に戻り、互いに遠慮のない言葉を投げ合う。
門の前で、ようやく本当に立ち止まる。
「じゃあ、おれ、帰るわ。終電あるし」
「うん。気をつけて、帰ってね」
名残惜しさは、あえて口にしない。その代わりに、詩亜は「んっ」と、顔を少しだけ突き出して目を閉じた。
「んっ。ほら早く」
いつもの儀式。丸ちゃんは「たくぅ」とこぼしながら周囲をちらりと見て、こっ恥ずかしそうに唇をちょこんと触れ合わせた。
「ね。好き?」
「ああ、好き」
「もっと!」
「もっと?」
「当たり前でしょ」
「……ああ、愛してるよ」
「もっと!」
「なんだよそれ。その上か〜」
丸ちゃんは本気で困り果て、「そうだなー……」としばらく考え込んだ末に、夜空を見上げてぼそりと吐き出した。
「……また、一緒に星、見れるといいな」
詩亜は、んー、と勿体ぶってから、小さく微笑んだ。
「まあ、いいか。よし、合格」
丸ちゃんが片手を上げて歩いて行く。そして、声が届かなくなる距離くらいになると、丸ちゃんは振り返ってもう一度手を上げた。
今日も同じだった。
その夜は布団に入っても、心は凪ぐことを知らない。
まだ、頬が緩んでいる。こんなに満たされた夜を、知らなかった。
起き上がって、ノートを開く。書きかけの、曲のための詩。
『好き』や『愛してる』それ以上の、一番深いところにある言葉を探していた。
でも、見つからない。きっと、二人ともまだ、その言葉を知らないのだ。それが少しだけ、もどかしい。
ペンを置いて目を閉じると、瞼の裏に今夜の幸福がちらちらと灯った。
この光を、誰にも渡したくない。他の誰とも、こんなふうに笑ってほしくない。今、この瞬間も、ずっと、ずっと、自分だけのものでいてほしい。
その独占したい気持ちが、苦しいくらいに心を満たしていた。
卒業したら、どうなるんだろう。
ファミレスで飲み込んだ問いが、ふと頭をよぎる。けれど、ハンバーグを頬張る丸ちゃんの顔や、『ずっといてほしい』という不器用な声を思い返すと、その不安は、優しく押し流されていった。
大丈夫。きっと、なんとかなる。
この幸せが、このまま永遠に続くのだと。詩亜はその時、疑うこともなく信じていた。
季節が、変わろうとしていた。




