表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
欠け星アルフェラッツ もしもダビデ像が服を着てたら  作者: Y.Itoda
第三章 二〇〇〇年〜 遠江詩亜
PR
48/86

48話

 何だろう。ワン切りを返す。するとすぐに、今度は着信がきた。画面には『丸ちゃん』の文字。

 詩亜は思わず口元を緩めて、通話ボタンを押した。


「どしたの、丸ちゃん」


『……いや。やっぱ、声、聞きたいと思って』


 ぶっきらぼうな声が、耳元で言う。


『どっちみち、詩亜に起こされるしな』


「当たり前でしょ!」


 笑ってしまった。

 結局私たちは、ワン切りだけでは終わらず、毎晩電話をしている。毎日、私が好きな人の声を聞きたいから。

 明日も学校なのに。電話代だって、馬鹿にならないのに。

 それでも毎日、繋がっていたかった。

 今日見つけた言葉を、また一つ、教えてあげる。


『降りみ降らずみ』


 気まぐれな雨。

 こういった古い言葉を話すのは、いつからか二人の習慣みたいになっていた。勉強はからきしのくせに、何故かこういう話だけは面白がって聞く。ひょっとしたら意外にも、丸ちゃんは、私なんかよりもずっと、ロマンチストなのかもしれない。


『この季語みたいな言葉、詩亜みたいだな』


 笑いながらぽつりとした丸ちゃんの声に、鼓動がびくりとした。

 鈍感で、無神経なくせに。時々こうして、はっとするようなことを言う。

 だから、油断ならない。

 電話を切る頃には、雨の音も、いつの間にか、気にならなくなっていた。

 いつの間にか、自分の日常の真ん中に、丸ちゃんがいる。

 なのにどうして。

 ふっと吐息がこぼれる。


 --どんつき半ば。


 そんな言葉を、私はノートに綴っている。




 7:30AM。

 まだ人のまばらな校舎に、詩亜は一番乗りに近い時間で着く。それは誰よりも早く練習室を押さえるため。国立市にあるこの音楽高校では、朝練が当たり前だった。

 防音の小部屋にこもって、まずはバッハから朝は始まる。指先がまだ微睡んでいるうちに奏でる平均律は、頭の芯をゆっくりと解き明かしていく。一音ずつ、慈しむように。鍵盤の底まで指を沈めると、確かな手応えが指先に伝わった。

 一限のソルフェージュは、神経を削る時間だ。壇上の先生が紡ぐ旋律を、五線譜の上に必死で写し取っていく。耳だけを頼りに音を追いかける。普通科の高校生たちが英語や数学の教科書と向き合っている頃、詩亜たちの一日は、その大半を、音という素材だけで編み上げていた。

 四限の鐘が鳴ると、移動教室へ足早に向かう。楽典の教室は校舎の端にある。譜面とノートを抱え、廊下を小走りに駆ける。


 12:15PM。

 昼食は教室で皆と円を作り、購買のパンと紙パックのジュースで済ませる。他愛のないお喋りが弾む一方で、昼休みの半分は練習室へ吸い込まれていく者も多い。詩亜も、その例外ではなかった。

 午後の授業の後には部活が待っている。合唱部で声を重ねる時間は、ピアノという孤独な対話とはまた違った。自分の声が、隣の誰かの声と混じり、いつしか境目がわからなくなる。そのひと時だけは、抱えているちっぽけな悩みを忘れていられた。

 部活が終わっても、まだ終わらない。コールユーブンゲンの復習。リズムと、音程。基礎を、ひたすら繰り返した。


 7:30PM。

 ようやく重い鞄を背負い、校門へ向かう。


 ――こんな毎日を、自分は選び取ったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ