45話
「私さ、結局、花火ちゃんと観れなかったんだよね」
「誰のせいだよ」
「丸ちゃんのせい!」
即答だった。けれど、甘い余韻だけが残る。その声はもう怒ってなんかいない。
「だからさ。また、観に行きたいな。今度は、ちゃんと最後まで」
詩亜が、そっと小指を突き出してくる。幼い頃、あの公園で何度も交わした仕草。一丸は苦笑しながら、自分の指をゆっくりと絡めた。詩亜の指先は、ひんやりとしていて自分なんかよりずっと細い。
「ああ。約束」
授業の合間の短い休息のように、国立駅までの一時間四十分は、いつの間にか過ぎ去っていた。
改札を抜けると、東京の喧騒がぷつりと途切れる。
街灯に照らされた、赤い三角屋根の木造駅舎。歴史に浮かぶレトロな佇まいは、ネオンとは異なる白い光を放ち、静かな夜を一枚の絵画のように切り取っていた。
知らない街だ。
こうして見知らぬ土地を夜更けに歩くのは、生まれて初めての経験だった。地元の港町なら、目をつぶっていても歩ける。どこに何があるか、すべてを知っている。けれど、ここは違う。ロータリーから真っ直ぐに伸びる並木道も、行き交う人たちのゆったりとした歩調も、全てが新鮮に映る。
その中を、詩亜は平然と歩いていく。
からん、からんと、アスファルトを打つ下駄の音が遠ざかっていく。目立つその姿を眺めながら、一丸は目頭がわずかに熱を帯びるのを感じた。
こいつは、この格好のまま、はるばる千葉まで来たのか。たった一人で。
そう思うと、居たたまれない気持ちがこみ上げる。ここが、もう詩亜の日常なのだ。ほんの数年で、この東京という街を自分のものにしていた。音大を目指し、確かな足取りで前へ進んでいる。
翻って、自分はどうだ。地元に留まり、髪を染めて、周囲のクラスメイトに流されるだけの日々。来年のことさえ、何も見えていない。
――惨めだな。
そう思いかけて、すぐに打ち消した。
結局、寮のある学校まで送ることになった。
寮までの道すがら、夜風が抜ける商店街を歩く。シャッターの下りた店と、まだ灯りの灯る店が、交互に並んでいた。
年季の入った家の窓からはテレビの音が耳元に触れ、飲食店の戸口からは、食欲をそそる香ばしい匂いが鼻をくすぐる。その確かな生活の気配に、凝り固まっていた心が少しだけ解けるのを感じた。
詩亜もここで買い物をしたりするのだろうか。そんなとりとめもないことをあれこれと想像する。
歩みを進めると、つま先に何かがこつりと当たった。
視線を落とせば、足下に転がっていたのは、誰かがぐしゃりと丸めた紙屑だった。無意識に舌打ちした一丸は、それを拾い上げる。




