43話
言葉にしなくとも、お互いに抱いていた予感があった。
だからこそ、詩亜の問いは口をついたのだろう。
「ねえ。他の女の子とは、絶対に話したらダメだからね?」
束縛。その狂気じみた一面を、以前から薄々感じていた。それなのに、詩亜のためならばと、どこかで甘んじていたはずだった。
それだというのに。
「ま、まあ、気をつけるよ」
また、照れ隠しで、曖昧な返事をしてしまった。
花火の残光に照らされた詩亜の横顔から、すっと表情が抜け落ちていく。
「……は?」
底冷えするような低い声だった。
「何それ。気をつける、って」
「いや、そういう意味じゃ……」
「もういい!」
詩亜が、立ち上がった。浴衣の裾が、涼やかな夜風に震える。
「丸ちゃんって、ほんと、そういうとこ」
言い終えることもなく、詩亜は背を向けて人波へ。華やかな浴衣の群れの中に、その背中はまたたく間に紛れてしまった。
頭上では大輪の花火が、何も知らぬまま次々と咲き乱れる。
「お、おい、待てって!」
慌ててレジャーシートを丸め、後を追った。けれど、腰を上げた時には、もう遅かった。花火の爆音が呼びかけた声を、無慈悲に根こそぎ掻っさらっていく。
たった数メートルのはずだった。それなのに、詩亜の背中は、もうどこにもない。
――しまった。
詩亜は、取扱注意なのだとわかっていたのに。
視界は、花火の明滅でめまぐるしく色を変える。似たような浴衣姿が、いくつも目の前を過ぎ去っていく。藍色を探した。白い朝顔の模様を探した。けれど、どれも詩亜ではない。
必死に駆け回った。駅の改札。ポートタワーのふもと。さっき二人で座った芝生の縁石。どこにも、いない。
携帯を開いたが、圏外のままだ。人混みのせいか、それとも今日は電波すら味方してくれないのか。
どうして、あんな返事をしたのだろう。
他の女の子と話さないでほしい。詩亜の精一杯の願いに、自分は『気をつける』なんて、まるで他人事のように突き放してしまった。詩亜の危うさを、誰よりも知っていたはずなのに。胸がぬじれるように痛む。
一度、家に帰った。
きかん坊の詩亜のことだ。とっくに電車に乗って、帰宅しているに違いない。そう言い聞かせようとした。
だが、部屋にいても何ひとつ手につかない。窓の外から、祭りの熱気が絶え間なく流れ込んでくる。携帯は沈黙したままで、詩亜との繋がりは途切れたままだった。
一人でいることに、どうしようもなく耐えきれなくなる。
もう一度、駅へ。
無心で走った。誰に言われたわけでもない。ただ、体が勝手に求めていた。浴衣の詩亜が、まだどこかで待っている。なぜか、そんな確信に近い予感があった。
そして、見つけた。
駅へ続く階段の、隅。照明の届かない影の奥で、詩亜は膝を抱えてうずくまっていた。小さく肩を震わせ、顔を伏せたまま動かない。
遠くで、ひときわ大きな花火が空を焦がした。きっと、これが最後の一発だ。
その光が、一瞬だけ、うずくまる詩亜を青白く照らし出す。その姿が、目に焼きついて離れなかった。
「……ごめん。詩亜」
声が、震えた。
詩亜が、ゆっくりと顔を上げる。
「遅いよ……」
涙で滲んだ、か細い囁きが響いた。
何も考えられなかった。ただ、詩亜の震える肩へ、手が自然と伸びていた。




