41話
当日。朝の天気予報は、晴れのち晴れ。
夏の盛りの灼くる日差しが、アスファルトに照りつけていた。いつもと同じ駅のはずなのに、今日だけは空気が違っていた。電車のアナウンスも、人の声も、どこか遠くでぼやけて響いている。
約束の改札で先に待っていた詩亜の姿を見て、一丸は言葉を失った。
藍色の地に、白く浮かぶ朝顔の浴衣。結い上げた髪から覗くうなじが、いつもの彼女からは想像できないほど大人びて見えた。制服でも、見慣れたTシャツでもないその装いは、あまりに眩しく、視線を奪う。
「遅い」
こちらに気づいた詩亜が、短くそう言った。夏の熱気だけではないのか、その頬はほんのりと赤らんでいる。
「五分前だろ」
「私が先に来てたんだから、遅いの!」
理屈にもならない理屈をこぼし、詩亜が先に歩き出す。一丸は慌ててその背中を追った。
千葉みなと駅を出ると、潮の香りが風に乗って鼻先を掠める。
夏休みの昼下がり、海沿いの公園には驚くほど人の姿が少なかった。広い芝生と、まばらな木陰。その向こうで、千葉ポートタワーが銀色の鏡面を揺らしながら、空に突き刺さるように立っている。
二人は並んで、あてもなく海の方へと歩を進めた。
「一緒に来るの、幼稚園以来じゃない?」
歩きながら詩亜が言った。花火大会へ向かうという事実に、少しだけ照れくさそうな表情を浮かべていた。
「ああ、確かにそうかも」
横顔を盗み見るようにして歩幅を合わせるけれど、会話は続くようで続かない。電話やメールではあんなに何時間だって喋れていたのに、いざ隣に並ぶと、喉につかえた言葉が迷子になってしまう。
詩亜も同じらしく、やけに遠くの貨物船なんかを眺めて、黙っている。
「……船、でかいな」
「うん。超でかいね」
我ながら間の抜けた会話だと苦笑する。けれど、不思議と悪い沈黙ではなかった。隣を歩く詩亜の、下駄が地面を叩く軽やかな音。時折こちらを見て、視線が合うとぱっと逸らされる。その繰り返しが、こそばゆくて、悪くなかった。
自販機で買ったジュースを、ベンチで静かに飲んだ。詩亜が、ストローの袋を律儀な手つきで小さく折りたたんでいく。そんな何気ない仕草の一つ一つに、いちいち目を奪われてしまう自分は、おそらくおかしいのだろう。
「ねえ、せっかくだからあれ、登ろうよ」
詩亜がポートタワーを指差した。
エレベーターで展望台へと昇ると、千葉の街並みと海が、ぐるりとパノラマのように広がった。
窓に額を寄せるようにして、詩亜が「わあ、すごい」と声を弾ませる。
この街のランドマークは、最上階からの眺望が『日本夜景遺産』に選ばれ、『恋人の聖地』などとも呼ばれている。地元民にとっては気恥ずかしい称号だけれど、今はそんな言葉も悪くないように思えた。
「あっちが、うちらの家かな」
指の先を追いかけるように視線を向ける。霞んだ海岸線のずっと向こう、あの辺りに、一丸の家と、四人で登ったあの屋根があるはずだった。
「去年の花火、あそこで見てたんだよな。四人で」
「……だね」
二人はしばらく言葉を失い、同じ方角を見つめていた。
あの夜、肩を並べて屋根に座っていた四人の影。今は、二人だけ。
口には出さなかったけれど、きっと同じ記憶をなぞっているのだと、一丸は予感していた。
タワーを降りる頃には、太陽が緩やかに傾き始めていた。




