32話
「もっと僕も、丸ちゃんみたいに要領よく生きられたらなあ」
「そんなことないだろ」
即座に否定したけれど、本当は逆だった。
勉強ができて、将来を約束されている駿。そのことに、自分はずっと、嫉妬していたのかもしれない。世の中の正解を生きているのは、どう考えても駿の方だ。口にはしなかったが。
しばらく、二人の間に沈黙が降りた。窓明かりが一つ、また一つと、夜の色の中へと消えていく。
先に口を開いたのは、駿だった。
「僕さ……転校するんだ」
その一言を言うのに、ずいぶん時間をかけたみたいだった。
「は? まじか。いつからだよ」
「来月には」
「急だな! おい。どこ行くんだよ」
「東京」
東京。最寄りの千葉みなと駅から、電車で一時間とちょっと。冷静に考えれば、会えない距離じゃない。
それなのに、その三文字は、一丸にとって、とてつもなく遠い場所に思えた。海の向こうの、別の国の名前みたいに。
「ごめん。なかなか言えなくてさ。学校休んでたのも、引っ越しの準備とか、その下見でさ」
ああ、そうか。
このことだったのか。
駿がここ最近、上の空だったのも。一週間も学校を休んでいたのも。全部、自分との関係が拗れたせいだと思い込んでいた。
でも違った。駿はただ一人で、この別れを抱えていた。
もう、会えなくなる。
瞼の裏に、これまでの夜が浮かんでは消えた。四人でゲームをした夜。通信ケーブルで繋いだモンスターを戦わせた夜。詩亜の平手も、トン子の超ウケるも、駿のえへへも、全て部屋の六畳間と、この町の中にあった。
それが、当たり前に続くものだと、思っていた。
--おれは、何に怯えているんだろう。
少しばかりはモテて、スポーツは大体できる。足だって速い。たぶん、普通に恵まれているらしい。なのに、いつも何かに焦っていて、よくわからない迫り来る時間に怯えている。本当はただ、昔みたいに、何も考えずにはしゃいでいたいだけなのに。
その時間を分け合ってきた一人が、いなくなる。
「……ま、まあ。東京なら、会えない距離でもないしな」
そう言うのが精一杯な自分の頭をどついてやりたい。
「そうだね。またすぐ会えるよね」
その言葉が、どれだけ嘘くさいか、お互いわかっていた。すぐ会える。その『すぐ』なんて、たぶん来ないことも。それでも、うん、と頷き合うしかなかった。
遠くから、足音が近づいてくる。
「あ、いた! いたよ、トン子!」
詩亜の声だった。植え込みの向こうから、こっちに向かって手招きしている。トン子の姿もあった。




