31話
「それから、顔を合わせるのが気まずいんだよね」
どことなく湿り気を帯びた声に「ま、まあ、そうだよな」と、頷くことしかできなかった。
「次の日の朝、何食わぬ顔で朝飯を作ってるのを見たら、別の生き物みたいに見えるし」
別の生き物……。夜は猛獣だったということか。うまく相槌も打てなかった。駿は、何かを諦めたように鼻先で微かに笑う。
これが自分の部屋にやって来る理由。
一丸は横を向き、口の中に溜まった血を、やりきれない思いと一緒にぺっと吐き捨ててやった。それが、今の自分にできるせめてもの格好つけだ。
「あーあ……」
投げやりに声を上げ、「早く大人になりてぇ~」と、もう一度夜空を仰いだ。
高く澄んだ空に、四つの星がやや歪んだ四角形を描いている。あのマンションの窓明かりのように整っていない、不格好な形が自然と目に留まった。
あれは『秋の大四辺形』といって、その一つ――マルカブという星から、自分の名前はつけられたのだと、小学四年の頃、駿に熱く語ったことを思い出す。
あの当時、駿はクラスで孤立しかけていた。周囲の冷たい視線に晒され、声を上げることすらできずにいた。
その時、無我夢中で駿の前に立ちはだかり、盾になったのは自分だった。
未だに覚えている。その日、一緒に帰って夜まで遊び倒した時の、あの誇らしいような、くすぐったい感覚を。
あの夜と、今。
「駿、覚えてるか? あの星のこと」
見上げている空の形は何も変わらない。
けれど、その輝き方は、あの頃とは少しだけ違っていた。
駿は微笑むように、うんと頷く。
試しに吐いた息は白く夜風に溶けていった。
「大丈夫だよ。丸ちゃんなら」
少しの間をおいて、穏やかに駿が笑った。
「丸ちゃんは、すごいから」
またその台詞か。
「駿、おまえなー」
声に今までの鬱憤が全部出た。ましてやこんな状況で。お互い泥だらけで。
「昔は違ったじゃん?」
「は? 小学生の頃か?」
「あの頃は丸ちゃんが、クラス仕切ってたじゃん。岸本君ともよく喧嘩してたしさ」
まあ、確かにガキ大将的なところがあったことは、否定できない。
「丸ちゃんって、低学年の頃からそんな感じだったの?」
思えば、もっと幼い頃は人前で泣いたことがないのが、ちょっとした自慢だった。もっとも、上履きを隠されても仕返しに校庭の端までぶん投げてやったり、靴箱に戻ってきたその上履きには、画鋲を箱ごと詰めておいたりと、強いというより、ただ執念深かっただけかもしれないが。
「まあ、あの頃は皆、体格もそんなに変わらなかったからなー」
「丸ちゃん、僕が転校してきた時、言ったよね」
「おれ、何か言ったか?」
「おまえ空手やってんだろ、んなら岸本なんかぶっ飛ばしちゃえよ、って」
駿がくすくすした。
「その時、思ったんだ。丸ちゃんって、すごい頭いいんだろうなって。ただ助けてくれるだけじゃなくて、おまえが強くならなきゃ何も変わらないんだぞって、そう言ってくれてる気がして」
「成績学年一位のやつに頭いいとか言われてもな」
苦笑いするしかなかった。
「その時から、丸ちゃんは僕の憧れだよ。運動神経だっていいしさ」
当時はそんな深いことを考えて言ったわけじゃない。ただ、転校してきたばかりで小さくなっている駿に、おまえだって戦えるだろと、それくらいの軽い気持ちだった。
でも駿は、その一言をずっと、お守りみたいに握りしめてきたのかもしれない。そう思うと、こんなおれでも人のためになれたのだと少し誇らしくも思う。
すごいんだから、という言葉の重さが、今になって、じわりと効いてくる。




