29話
駿はその気配を敏感に察したのか、あえて追及することを選ばなかった。
「丸ちゃんこそ。ほんとは強いんだから、やっちゃえばよかったじゃん」
代わりに、そう言って笑った。
「たまたまだよ。漫画の技。何回も読んでたから体が勝手に動いた」
「矢刃先輩やったんでしょ? 僕、ちょっとスカッとしたよ」
砂だらけの顔で駿は小さく、えへへとする。
その表情が皮肉なのか、本心なのか。でも、名付けようのない無力感を二人で分け合っていることだけは、肌の温度を通して伝わってきた。
矢刃は執念深い。地元の暴走族と繋がっているという噂もある。トン子にも『ああいうタイプは必ず仕返しにくるから』と、釘を刺されていたことを思い出す。
「……やり返してくるかな」
訊くと「さあ? どうだろ」と、駿は意外なほどあっけらかんとしている。
「ボコられたのはこっちだし。それで手打ちなんじゃないかな」
駿の前髪を揺らす風が、ことさら火照った頬の熱をさらっていく。
「てか、大丈夫なの? 明日、練習試合でしょ?」
言われるまで、完全に忘れていた。この足では、まともに歩くことさえままならない。バスケなんて、なおさらだ。
「丸ちゃん、副キャプテンなのにね」
冗談めかして笑う駿につられ、「はは」と声を漏らした。けれど、その響きはどこにも届かず、夜の日常に吸い込まれるだけだった。
二人とも、しばらく黙った。
あの夜から、何かが決定的にずれたままだ。最近、駿が学校へ姿を見せないのも、きっと自身のせいなのだろう。四角関係を自分が壊してしまった。
「駿、あのさ……」
「どうしたの、改まって」
「ごめんな」
「え、何で丸ちゃんが謝るのさ。僕の方こそ、ごめん。色々と気が利かなくて」
「いや、違うんだ」
駿の目が、前髪の隙間から、はっきりと見えた。
「おれ、牧野とは別れたんだ」
全部、おれが悪いんだ。胸の中でそう続けた。
「え! どうして? もう?」
「んー。何か、思ってたのと違ってたみたい」
牧野とは、数週間付き合ってみたものの、恋人らしいことは何ひとつできなかった。
告白されたのは自分だ。そんな驕りがあったのかもしれない。相手が超がつくほどの照れ屋で、何も言ってこないのをいいことに、ただ放置してしまった。結局、何も進展しないまま、あっけなく終わった。
そして、何よりも、別れた後が最悪だった。




