25話
家は目と鼻の先にある。夜の八時を回った頃。チャイムを鳴らしても応答はなく、窓に灯るはずの明かりも消えていた。
――不在か。
足を向けた公園には、誰も座っていないブランコが、風もないのに小さく揺れている。
続いて、トン子の住む団地へ急いだ。弧を描いて並ぶ高層マンション群。四人でよく集まる真ん中の広場も、街灯に照らされた植え込みや木陰も、静まり返っている。見上げる先、窓明かりだけが点々と散らばっていた。
ここにもいない。
コンビニの明かりが見えると、自然と足が止まった。見るからに柄の悪い連中がたむろしている。煙草の煙と、地面を擦るような笑い声。関わりたくなくて、回れ右をして、別の道を選んだ。
一本裏へ入ると、街灯が途端に頼りなくなる。アスファルトの継ぎ目に足を取られそうになりながら、見慣れない路地を縫うように進んだ。塀の向こうで犬が一度だけ吠え、また静かになる。角を一つ曲がり損ねたようで、同じような家並みがどこまでも続いていた。
思っていたより、ずっと遠回りになった。歩き出してから、後悔した。自転車にすればよかった。
ようやく見覚えのある通りに出る頃には、ふくらはぎが鈍く張っていた。夜の住宅街は、昼間とは違い別次元の世界に感じる。街灯と街灯の間に、たっぷりと闇が溜まっていた。
--あ……。
ポケットの中の物が、続けて鳴った。預かったままの、詩亜のポケベル。液晶に浮かんだ数字を見て、足が止まる。
『110』
意味はわからない。わからないのに、その三桁の並びに、胸の鼓動が速さを増した。
何か、よくないことが起きている。
理屈ではなく、そう感じた。兎にも角にも、考えるよりも先に、足は来た道を駆けていた。
どうして今日は、こうも悪いことばかり続くのか。足早に息だけが上がっていく。
思い起こすのは、朝の占い、蠍座十二位。ラッキーアイテムの抹茶アイスには、結局ありつけなかった。
めざましの神様も気まぐれだ。一位の時にはあんなに浮かれさせておいて。
一丸は、八つ当たり同然に毒づいた。それでも足を止めることはしなかった。
詩亜の家の二階、窓から漏れる四角い光が、地面の砂利を照らしていた。一階からは、石鹸の匂いの混じった白い蒸気が、夜気の中へ立ちのぼっている。
その壁沿いを、人影がゆっくりと回り込んでいくのが見えた。
心臓が、嫌な音を立てて打つ。
息を殺し、足音を盗んで、その後を追った。
少しだけ開いた浴室の窓。そこへ、インスタントカメラが差し込まれようとしていた。暗がりで顔まではわからない。ただ、影は四つ。即座に体は動いていた。手を伸ばし、その手首を静かに押さえる。
中にいるのは、おそらく――。聴き覚えのある鼻歌が、この不穏な状況下でも、優しく鼓膜へ届いた。
気づかせまいと、さらに息を潜める。これ以上、事を荒立てたくない。その一心だった。
だが、不意を突かれた男の一人が、短く声を漏らしてしまう。
直後、浴室の中から悲鳴が上がった。詩亜の声だ。その声に弾かれたように、四つの影が一斉に逃げ出した。
一丸は、闇の中へと消えて行くその背中を追った。




