124話
「携帯見たって……詩亜、まだそんな犯罪じみたことしてんのかよ」
「違う。コンクールが終わった後に、撮ってもらった写真を見せてもらってただけ」
聞けば、その中に、眠っている間に撮られた裸の画像が紛れていたのだという。互いの両親もいる控え室で全て消させたものの、怒りは収まらず、その足でこの家まで駆けつけた。ただ、どこかへ流出していないかが気がかりなのだと、詩亜は手を止めずに話した。それでも、携帯は真っ二つにへし折ってきたから大丈夫、と明日の天気でも話すように笑っている。
詩亜は八年前にも、盗撮されかけたことがある。これ以上は訊かないことにした。
「よし、ご飯食べよ。もうお腹限界」
最後のひと品を押し込むと、詩亜は満足そうに冷蔵庫の扉を閉めた。
買ってきた弁当を温め直している間に、詩亜はテーブルに置き去りにしていたバッグをソファーへ移した。
ダイニングで向かい合って座り、テレビのバラエティ番組の笑い声に耳を傾けながら夕飯をとる。時折、詩亜の箸がこちらの唐揚げへと伸びてくる。そのたびに一丸は黙って譲った。ここで文句を言えば、何倍にもなって返ってくる。
食べ終えると、詩亜は遠慮もなく、棚の上に積み上がっていた雑誌を一冊引っ張り出した。すると、間に挟まっていた古いノートが、ばさりと床に落ちた。
拾い上げた詩亜が、何気なくページを捲っていく。
専門学校の頃、毎日のように描かされたデッサンのノートだった。机の上のりんごや空き缶、石膏像、自分の左手。手当たり次第に描いた線が、どのページにもびっしりと並んでいる。
その手が、あるページでぴたりと止まった。
女性の横顔だった。顔立ちは淡い輪郭線だけで済ませているのに、耳の後ろから襟足へ流れる髪だけは、しつこいほど丁寧に描き込まれている。次のページも、その次のページも髪ばかりが細かい。人を描くたびに、一丸は決まって髪型に鉛筆を費やしていた。
「この髪型、すごく可愛い。これ、丸ちゃんが描いたの? 超上手いじゃん」
「いいから返せよ」
取り返そうと手を伸ばしたが、詩亜はするりと身をかわし、ソファーに深く腰かけて、膝の上でノートを捲り続けた。
昔から、そうだった。幼い頃、画用紙の端っこに描いた小さな落書きを、詩亜はいつだって愛おしそうに褒めてくれた。たったそれだけの温もりが、今日までずっと、自分のささやかな支えだったような気もする。
「私もそろそろ髪切ろっかな〜」
独り言のような呟きが聞こえてきた。それから詩亜はページから目を離さずに、そっと言葉を置いた。
「丸ちゃん。美容師になったら?」
その一言を、詩亜の口から聞く日が来るとは思わなかった。付き合っていた頃、あんなにも嫌がっていたはずなのに。
「……何だよ、急に」
「前に言ってたじゃん。カリスマ美容師になるって。私もこんな髪型にしてほしい。それに、丸ちゃん手先器用だから、向いてるってずっと思ってたし」
「ずっとって。今、言うのかよ」
意固地になった声には、自分でもわかるほど棘があった。詩亜を、ごめんとでも言いたげな顔のまま黙り込ませてしまう。
それでも、詩亜は引き下がらなかった。
「仕事、悩んでるんなら、今から学校行けばいいじゃん」
「これから二年も通えってか? 専門の学費だって、まだ親に返せてないのに」
こんなことが言いたいわけじゃない。このわからずやの口が、勝手に止まらないだけだ。
「そんなの働きながら貯めて、美容師になってから返せばいいじゃん」
「簡単に言うなよ」
一丸はわざと軽く笑ってみせた。もう詩亜を追い詰めるような真似はしたくない。
「それに、おれなんて顔しか取り柄ないしな」
冗談のつもりだった。けれど、詩亜の瞳は曇ったまま動かない。
「……またそうやって逃げる」
「逃げてないって」
本当のことを突かれたくなかった。専門学校も、仕事も、全部途中で投げ出してきたのだから。
「今更だろ」
「今更って何。まだ二十二でしょ」
「二十二にもなって、だよ」
自分で言っておきながら、その響きの惨めさに笑えてくる。
「詩亜みたいに、ずっと一つのことだけやってきた奴にはわかんねえよ」
言った瞬間に、しまったと思った。




