12話
洗面所の鏡の前に立つ。
そこに映るのは、誰からも『童顔』と持て囃される、記号的なまでに整った幼い顔立ちだ。それが、自分にはどうしようもない呪いに見えた。部活の連中が誇らしげに語る男の象徴である髭は、この顔のどこにも見当たらない。脱皮できない子供のまま、冷え切った家に取り残されている。その事実だけが、鏡の中で残酷に光っていた。
痛い。
黒くて硬い髪の毛は、触れれば反抗するように指先に刺さった。情趣に欠けたゴワゴワとした毛質は、セットするのも容易ではない。
それから、少しばかり大きな前歯もコンプレックスだった。出っ歯ではないが、異様に存在感がある。笑えば嫌でも目についているはずだろう。
小学六年の頃だった。クラスの女子に『ビーバー』とからかわれ、思わず蹴りを入れた。足先が綺麗に腹に入り、相手はその場でうずくまって泣き出した。本気で後悔した。
あのときの感触が、今でも足の甲に残っている。あれ以来、二度と手は出すまいと決めている。
柔らかいものを蹴った感触。泣き声。駆け寄ってくる先生の足音。そして、教室中の目が自分に集まった瞬間の、あの凍りつくような視線。暴力は一瞬で立場を逆転させる。被害者だった自分が、一発で加害者に変わった。あの経験が拳を永遠に封じていた。
同時にそれがきっかけで、一丸は笑い方を研究するようになった。卒業アルバムの個人写真。そこにはどうしても笑顔を残さなければならなかったからだ。
鏡の前で何度も試行錯誤を繰り返し、編み出した表情。結果、前歯を半分ほどしか隠せなかったが、当時の自分にとっては、それが精一杯の防衛だった。
蛇口を捻った。冷たい水が手のひらを叩く。顔を洗ったところで、鏡の中の呪縛は落としきれない。
風呂場で汗を流してから、迷わずリビングのテレビをつけると、バラエティ番組の笑い声が流れ込んできた。食卓の上には、母親の字で『おかず冷蔵庫』とだけ記されたメモがある。ラップを外し、皿をレンジに放り込んだ。加熱の終わりを告げる電子音が、やけに大きく部屋中に侘しく響いた。
母親の字を見るたびに思う。この人は、自分のために何かを用意してくれている。でもそれは、不在の代わりに置かれたものだ。メモと皿。それが母の輪郭だった。顔を合わせるのは日に数回あるかないか。愛情がないとは思わない。ただ、形が見えない。
温め直したおかずを箸先でつつきながら、今日という一日を思い返す。厄日と呼ぶにしても、あまりに不運が重なりすぎていた。こんな日が明日も明後日も続くのかと思うと、ただただ、暗澹たる心地になる。
ふと顔を上げると、テレビの中ではタレントたちがリズムに乗り、言葉を使ってマジカルな連想ゲームを始めていた。誰かが失敗するたびにブザーが鳴り、スタジオに笑いが湧く。気づけば箸を止め、無意識に次の答えを脳裏で探していた。
バナナと黄色。
単純な言葉と色が、思考を塗りつぶしていく。明日くらいは、何か良いことがないだろうか。そんな淡い期待で、どうにか気持ちを紛らわせていた。




