11話
「株田先輩ー!」
下級生が三人、階上を見上げて、弾けんばかりの笑顔で手を振っていた。
ほらね、とでも言いたげな駿の視線を振り切ろうとした瞬間、背後から野太い声が突き刺さった。
「おい株田、ちょっと来い」
担任だった。
――今日は厄日か。
吐き出したため息が足元に落ちた。
他の生徒の目がないことを確認してから、一丸は生徒指導室に入った。初めて来たが、中は雑然としていた。担任の後ろを歩いていくと、パイプ椅子に座らされた。
目の前に立つ担任のジャージは、くたびれすぎて元の色がわからない。チャックは腹の圧に負けて半端な位置で止まっていた。担任は学年主任も兼ねている。
「株田、最近どうした。提出物、全部出てないぞ」
腕を組んだまま、まるでお殿様にでもなったかのように押し問答してくる。「すみません」と返したが、顎から首にかけてびっしりと覆う手つかずの髭もじゃが、喋るたびに動いて話に集中できない。
「すみませんじゃなくてさ、理由聞いてんの」
髭もじゃが、間隔を詰めると煙草の匂いが鼻につく。
「理由とかは、特にないです」
「特にないって何だよ。おまえさ」
クリップボードを持ち替えた。赤ペンで丸のついた名簿がちらりと見えた。一丸の名前の横には、丸がひとつもない。
「クラスでおまえだけだぞ、全部未提出なの」
「そうですか」
「聞いてんのか」
悪びれる気も起きず、上の空でぼけぼけと窓の外を眺めていたら、高圧的な叱責とともに、こっちを向けと、耳を強く引っ張られた。じりじりと熱を持つ耳たぶの痛みが、どうしようもなく不甲斐ない自分そのもののように思えて、胃がむかむかした。
教室へ戻る廊下の窓の外には、トン子の姿があった。世界中の倦怠感を背負ったような足取りだ。昨夜の騒ぎっぷりを思えば、よくもまああんな顔で登校できるものだと、思わず苦笑が漏れた。夜更かしした翌日は、決まってこれだ。
教室に入る前に足が止まった。窓際の席で駿が、クラスメイトと談笑していた。表情までは見えない。けれど、相手の様子から楽しげな雰囲気は伝わってきた。
放課後。部活を終え、校門を出る頃には、頭上を重たい雲が覆い尽くしていた。
「株田くん、バイバイ」
振り返ると、女子バスケ部の副キャプテンが手を振っていた。校門のライトに照らされた髪は、透き通った飴色に輝いていた。その屈託のない笑顔が、今の自分にはあまりに眩しすぎて、直視できなかった。
「お疲れー。ひと雨きそうだから、急いだ方がいいぞ」
短く応じて、一人で歩き出した。
--そんなに男前か、おれは。
自嘲気味な問いかけは、湿った海風にさらわれた。
住宅街に入ると、空は途端に窮屈さを増した。電線の網目に押し込められた雲に急かされるように、ぽつり、と額に冷たいものが落ちた。傘は持っていない。早足で家路についた。
家の中に入った瞬間に、耳が痛くなるほどの静寂に支配される。廊下の明かりは消え、雨粒が窓を叩く音だけが執拗に鼓膜を突く。両親の部屋の戸は重く閉ざされたままだ。




