118話
搬送先の病院で告げられたのは、あまりに気のない死の知らせだった。
処置室の扉の奥からは、女の人の押し殺した泣き声が絶え間なく漏れてくる。やがて現れた父親らしい男には、激しい足取りで間合いを詰められた。お前たちのような連中とつるんでいたからこんなことになったのだ、帰れ、二度と顔を見せるな。何ひとつ言い返せぬまま、夜間出口の向こうへと追い出された。突き飛ばされた胸の痛みが、冷たい夜気へとそのまま引き継がれる。
ソリーの書き残したmixiの日記は、ベッカムヘアの写真のままで止まっている。よく見返してみれば、数日おきに更新するマメな性分だった。明日になれば、けろりとした顔で新しい日記を上げてきても、何ら不思議ではない気がしてしまう。
たった一人だけのマイミクという繋がりも、数日経てば消えてなくなってしまうのかもしれない。
立ち止まれば何かに追いつかれる気がして、暗闇の中を歩き続けた。だけど、夜の帳を抜け出せる訳もなく、先など見えない道のりは、どれだけ歩いても真っ黒な空に押し潰されていくだけだった。
翌日の仕事場では、まだ興奮が冷めきっていないせいか、不思議と眠気を感じることもなく手元だけが滑らかに動いた。荷物を積み込み、伝票の数を確かめ、すれ違う同僚へと軽い挨拶を返す。その全てを、身体が勝手にこなしてくれていた。
「株田くん。今日は調子いいみたいですね」
「はい」
通り過ぎていくセンター長を見送り、隣を歩く樹里といつものように言葉を交わす。
「あ、原田さんからメール来ましたよ。新コマ劇場で先輩に会ったって」
「まあな」
「下見のついでっすか? どうでした? 歌舞伎町は」
昨日の地獄絵図がフラッシュバックした。あれは本当に現実に起きた出来事だったのか。まだ何か、醒めることのない悪夢の途中に一人取り残されているような心地でいた。
「先輩?」
どうやら身体も心も、とうに限界を超えていたようだった。次の瞬間には、青ざめた樹里の顔が目の前に迫っていた。
早退を許され、ようやく辿り着いた部屋でそのまま崩れ落ちた。
それからの数日間、世界は充電器のコードが届く小さな範囲だけに狭まった。壁のコンセントから一メートル足らず。携帯を握りしめたまま身をよじらせると細い線がピンと張って、それ以上はどこへも進めなくなる。カーテンの隙間から差し込む日差しがゆっくりと移ろい、また暗がりへと沈んでいくたびに、何もなくなった世界の色へと、自分の輪郭まで一緒に薄れていくような気がしていた。
あの日、ソリーから届いていた三度の着信。もしあの時、迷わずに電話に出ていれば、と思う。きっと何か、どうしても伝えたい大事な言葉があったはずだ。
『いまさらベッカムかよ』
ソリーのmixiの日記に、新しいコメントの書き込みがあった。
『どーせならロナウドにしろよ』
『大五郎カットな』
ポチポチと携帯のボタンを押しながら、画面の中で生きているソリーの言葉に、何か救いを求めていた。それは泣けない理由を探す、ひとつの傷心旅行のようでもあった。
『手始めにこれアップしとく』
いつの間にか一番古い投稿にまで遡っていた。その日記には高校時代の写真が添えられていて、タイトルは『千葉幕ルーキーズ』となっていた。
小さな画面の中の同級生たちは、誇らしげに泥だらけの体操着を着て肩を組んでいた。金髪の長髪がいて、隣にはドレッドヘア、その後ろにはパンチパーマ。どういうわけかソリーは違うクラスのはずなのに、当たり前のようにその輪に混ざり込んでいた。
『球技大会で優勝した時のやつ。全員、髪型おかしい。とりあえず、この中でマイミクに入ってないやつには招待は送った。あいつは自分からは絶対に来ないから』
コメントが並んでいた。
『丸ちゃん生きてんの?』
『あの日サヨナラ打った主役が来ねーと話になんねーだろ』
『呼べ。はよ呼べ』
その下にソリーの返事があった。
『無視されてる(笑)でもそのうち来る。命令、来たら全員で足あとつけにいくこと』
たかが野球の最終回に放った一本だ。偶然バットに当たっただけの出来事でしかない。そう言い聞かせているのは、これ以上傷つくのが嫌で、自分から価値を捨てにいっているからだと薄々わかっていた。高校の連中なんてただの成り行きだったし、卒業してからは連絡だってしていない。そうやっていくら卑下したところで、画面の向こうでは仲間だと呼んでくれている。ソリーはもうこの世にいないのに。
結局、また友達と呼べる存在を失ってしまった。
唯一の親友だと思っていた駿とは、いつかのクリスマスに喧嘩別れしたきりだった。あの夜は詩亜とトン子もいた。詩亜は特別な日だからと言って、美容院で切った髪を見せびらかすように何度も首を振っていた。
髪を切るのは、何かを変えたいと願う時だ。もしかすると、ソリーもそうだったのだろうか。一丸が昔の髪型に戻した理由も、そうした思いからだった。
ソリー。
お前はどんな思いを抱えて、会いに来てくれたのだ。
『やっぱおれは……丸ちゃんのその髪型が一番好きだわ』
ソリーと交わした最後の言葉が耳から離れない。頭の中で繰り返すうちに、歌舞伎町で目の当たりにした惨劇が鮮明に押し寄せてくる。
真っ赤に染まったアスファルトには、あのキツネ顔の男も倒れていた。ソリーと何か関係があったのだろうか。
死体の姿がはっきりと目に浮かぶと、喉の奥から酸っぱいものがせり上がる。トイレへと転がり込み、便器を抱え込むようにして全てを吐き出した。空っぽになった胃の底に、ほんの少しだけ隙間ができたような心地がした。
この期に及んで、便器に顔を寄せたまま一丸の口元から小さな笑いが漏れていた。『ゲボお』と岸本がふざけるたびに沸き立っていた、中学の教室を思い出していた。
--岸本。
お前はまだゲボ吐いてるのか?
今、何してる?
大学行ったのか? それとも社会人か?
おれは、もう--
くたばりそうだ。




