114話
タイムカードを差し込むと、ジジジと機械が短く鳴って、今日の日付を噛んだ。
「株田くん、ちょっといいかな?」
間延びした声に振り返れば、缶コーヒーを片手にしたセンター長の姿があった。
少し薄くなった頭頂部に、使い込まれた作業着。見慣れた姿に安堵を覚えながらも、いざ向き合うと、後ろめたさで腹の底が冷たく縮こまる。
無断で穴を空けてしまったのだ。どんなお叱りも受ける覚悟はしていた。結局、あの後も折り返しの連絡すらできずにいた。
クビ、という残酷な結末ばかりが、頭の中で膨らんでいく。
「体調、もういいの?」
「はい」
「病院には?」
「行ってないです」
すっと、嘘が出た。
センター長は、一丸の顔をしばらく無言で見つめていた。どこか焦点を結ばない目を、確かめるような穏やかな眼差しだった。
全てを見透かされている気がして、一丸は思わず目を伏せた。
「そっか」
落ちてきたのは、拍子抜けするほど何でもない声だった。
「なら、いつも通りよろしくお願いしますね」
差し出された優しさに応えるように、深く頭を下げる。
「すみませんでした。風邪を引いて、寝過ごしてしまって……」
思っていた以上に、自分の声が大きく響いた。
生きるためには、働かなければならない。
「これからは、ちゃんと生活、立て直します」
顔を上げると、センター長は目尻を和ませて笑っていた。それから、手にした缶コーヒーの温もりを感じさせるように、のんびりとした口調で話し始める。一丸はその合間に、小さく頷くことしかできなかった。
「規則正しく暮らそうなんて、思わなくていいんですよ」
「夜勤のドライバーなんて、もともと不規則極まりないんだから」
「寝たい時は寝る。動きたくなったら動く」
「僕もね、調子を崩していた頃は、よく夜中に歩いていました」
「部屋でじっとしていると、このまま消えてしまいそうな気がしてね」
「結局、死なないっていう安心感は、心が正常な時じゃないと得られないものなんですよね」
「株田くんのペースで、かまわないからね」
最後の台詞だけは、頷き返すことができなかった。涙腺のすぐ手前に、そっと触れられた気がした。
センター長は事務所の方へと静かに歩いていった。
きっと、不安を隠し切れていなかったのだろう。その優しさを、また裏切ってしまうかもしれないと思うと、足取りがいっそう重い。
樹里に対しても、心の片隅に引け目があった。
「先輩、おはようございます!」
待ち構えていた樹里が、明るい声で手を振る。一丸もまた、いつも通りの自分で挨拶を返した。
すれ違う同僚たちと気さくに言葉を交わしながら、二人で作業場へ向かう。こうして職場に溶け込んでいられるのも、飾らない樹里の存在があってこそだった。
礼を言う言葉を探すうちに、つい横顔を見つめていたらしい。
「なんすか先輩、うちの顔に目ヤニでも付いてます?」
「違う、違う」
一丸は苦笑混じりに受け流して、話を変えた。
「新しい配送ルートを教えてくれないか。始まる前に予習しておきたいから」
「相変わらず真面目っすね。そんな張り切らなくても、初日はちゃんとうちが同乗するから平気ですよ」
「それは助かるけど」
「ま、来週からでしたよね。新しいルート、後でメールしときます」
樹里は自分の持ち場へ向かう前に、「肩の力抜いてくださいね」と冗談混じりに笑う。
「張り切りすぎて事故でも起こしたら元も子もないっすから。昨日も事故っちゃった人がそのまま辞めちゃって大変だったんすよ。警察は来るわで大騒ぎで」
樹里の話はまだ続いていたが、その先はもう耳に入ってこなかった。
救急車で運ばれたあの夜のことが、薄明かりのように浮かび上がる。院を出たところで呼び止められ、職務質問を受けた時のことだ。




