107話
家に戻り、寝て起きたその日は、久しぶりに昼間から目が覚めた。窓の外は曇っていて、太陽の姿は見当たらなかったが、身体は驚くほど軽やかだ。
深く眠れたおかげなのか、それとも樹里が連れ回してくれたせいだろうか。ここ数日、自分を苦しめていた悪夢のような不調も、過ぎ去った幻のように思えてくる。やはり一時の気の迷いに過ぎなかったのかもしれない。
普段なら見過ごしてしまう母親からの着信にも、この日は自然と手が伸びた。
「もしもし」
『やっと電話出た。あんた元気にしてるの?』
「元気だって。ていうか何? どうした?」
けれど期待とは裏腹に、受話器から届いた中身は悪い報せだった。
中学の同級生が亡くなったのだと言う。同じバスケ部で主将を務めていた男だった。今夜、自宅で通夜が執り行われると聞かされた。
卒業してからは一度も会っていない遠い日の知人に過ぎず、わざわざ足を運ぶこともないのではないかと考えたが、一つ忘れられない恩があった。女子バスケ部の連中にいじめられそうになった時、間に入ってくれた日の記憶が浮かぶ。主将と副主将として、同じコートで汗を流した仲でもあった。
今日も明日も仕事は休みだった。今の穏やかな心持ちなら、ちゃんと向き合える気がする。
『私も行くから、あんたも早く帰ってきなさい』
母親のその一言が背中を押し、一丸は自分も行くと決めた。
電車に揺られながら流れる景色を眺めている間も、心は波立つことなく静かだった。千葉駅からモノレールに乗り換え、千葉みなと駅へと向かう。
慎ましく営まれる通夜の場はささやかなもので、知った顔といえば当時の部員たちが三人ほど、肩を寄せ合っているだけだった。
死因は事故で、深夜の高速道路を速度超過したのだと故人の母親から聞かされて、心にどんよりとした揺らぎが生じた。
昨夜の自分も同じだった。暗闇の中で、同じようにバイクを走らせていた。無情に吹き付ける冷たい風の中では、命を失っても構わないとさえ思っていた。
目の前の不幸を、自分が引き寄せてしまったのではないか。立ち上る線香の煙の向こうで、その考えがいつまでも消えなかった。
毎朝走ることを日課にしていた父親についても不憫でならなかった。一人息子を亡くした後も、変わらず走り続け、息子のいない我が家へと帰るのだろうか。
帰り道では、母親の日常会話をだらだらと聞かされながら歩いた。
並んで歩くことなど、いつ以来だろうか。遠い記憶を遡っても思い出せないほど久しぶりのことで、横に目をやると、その背丈が拍子抜けするほど小さくなっていることに気づかされる。
街灯が照らす夜の住宅街は昔と変わらない。けど、変わっていたのは母親の暮らしの方だった。今は昼の勤務に移ったから身も心も楽なのだと、明かりの下で嬉しそうに微笑んでいる。
苦しい夜勤から抜け出した母親の姿は、安堵を覚える反面、自分だけが暗がりの中に置き去りにされたような寂しさを連れてくる。浮き立っていた懐かしい心地に、少しずつ陰が差していった。
一丸は、何でもない様子を装って尋ねてみる。
「母さん、夜勤の時さ。昼間、ちゃんと起きれてた?」




