104話
日付の針が午前零時を回る頃、店へと足を運び、借りていた品を返却した。当日中に返せば安くなる。八十円ほどの差額だが、ささやかな出費さえ削りたい身にはありがたい限りだった。
――そんなことよりも。
「お前は、何してんだよ……」
店を出てポケットに両手をねじ込み、音のない駐車場を歩き出した時、呆れた声が自然と落ちていた。考えかけていたことを追い払うように、目の前で一台の黒い中型のスクーターが止まった。
「あー先輩。いた、いたー!」
――いた、いた。じゃねーわ……。
驚く隙さえ埋めるように、半キャップのヘルメットを被った女は片手を額に当て、「お疲れっす。先輩」と軽く敬礼みたいなポーズを作ってみせた。
「何でここにいんだよ? 樹里」
声から生気が失われているのは自分でも明らかだったが、仕方なく相手をする。どうやら樹里には、押し問答をするつもりなど最初からないらしい。質問には答えず早口で喋り出した。
「いや〜、先輩。うち、先輩の靴にGPS仕込んでるんすよ」
「な、何言ってんだ……」
かつて付き合っていた束縛の激しい女に足を掬われたような気がして思わず身が引く。
「何、びびってんすか、先輩。冗談っすよ、じょーだん」
無邪気に笑うと、樹里は「そんなことよりも、先輩」と言ってシートの後ろをぽんぽんと叩き、急かしてきた。
「ほら、乗った乗った! 行きますよ」
行き先を尋ねる間もなく、シートの下から取り出された予備のヘルメットが手元へ放り投げられてくる。
「おい、馬鹿っ。樹里!」
始めは穏やかだった走りが、広い通りに出た途端、待ってましたと言わんばかりに加速する。エンジン音を響き渡らせ、バイクは静まりかえった東京の街を切り裂いていく。沿道の街灯が光の尾を引いて後ろへ流れ去る。
「スピード出し過ぎだって!」
久しぶりに張った大声は、吹きすさぶ風の音に掻き消されて届かない。
「何ー? 何か言いましたー?」
聞こえないふりをするように、樹里は前方だけを見つめている。
「先輩ー! しっかり掴まっててくださいよー!」
さらにアクセルが回った。
遠慮がちに後ろの手持ちを掴んでいた手も、体が後ろへさらわれそうになって、たまらず両手に力を込めた。吹き付ける風があまりにも強く、顔のパーツまで丸ごと持っていかれそうになっていた。このまま手を離したら、本当に死ぬ。そんな予感さえした。
けれど、もしそうなったとしても、それならそれでいいような気がしていた。
身を突き抜ける風の中で、一丸はその身を目の前の小さな背中へと委ねていた。
途中、樹里が喉の渇きを訴え、暗がりにあった自動販売機の前にバイクを停める。するとどちらからともなく「最初はグー!」の掛け声が重なり、缶ジュースを賭けたささやかな戦いが始まっていた。
縁石へ並んで腰を下ろし、二人はしばらく無言で冷たさを喉へと流し込む。ぼんやりとした自販機の光に包まれた樹里の姿は、バイクを降りて見ると、どこか華奢でさっきよりもずっと小さく映った。




