100話
古朱仁子
「ねえ、きてきてー」
夜空を見上げていた陽葵が、小さく振り返って手招きをする。
「ママが教えてくれたお星さま、隠れちゃった。何で? さっきは四個ちゃんと光ってたのに。東京の空が汚いから? それとも、お家のマンションがオンボロさんだから?」
「雲だよ。それに、お家と星は関係ないでしょ。オンボロとか言わないの」
洗い物の手を止めて娘の隣から暗がりを見てやると、確かに、星一つも見えない。白く霞んで消えてしまっていた。
「たまにはお休みさせてあげな。お星さまも、ずっと光ってたら疲れちゃうでしょ」
適当な理屈で誤魔化しながら窓を閉める。十月に入ってから、夜の空気は急に肌寒さを増していた。
「ほら、陽葵も眠る時間。明日はちゃんと起きるんだよ」
今日は、幼稚園でドッジボールをして、仲の良い友達と喧嘩もしたらしく、家に帰ってから随分とご立腹だった。小さな身体でたくさんの出来事を抱え込んだ一日だったのだろう。あっという間に寝息が聞こえてきた。
子供部屋をそうっと抜け出し、居間の座卓へ腰を下ろすと、束の間の静けさに息をついた。最近日課である日記を付けようと携帯を開いたところで、玄関の鍵が回る音がした。
夫が帰宅して「ただいま」に「おかえり」を返す。
今日は店自体は休みだが、色々とやる仕事は尽きないのだと言う。
「ん、またmixi?」
携帯に顔を寄せてきた夫に「うん」とだけ頷いてから、向けた視線をまた画面へ戻した。
「陽葵は?」
「今さっき寝たよ」
そう伝えると、夫は「あー、間に合わなかったかー」と肩を落としながらも、子供部屋へ急いだ。
やがて、弾んだ甘い声が届いた。
「くまさん、おかえりー!」
「ただいま。くまさん、帰ってきたぞ〜」
すぐに聞こえた夫のとろけるような声。陽葵のやつ……嘘寝だったか。
耳を澄ませると娘はどうやら、大好きな父親が夜遅くに帰ってくるのを、胸をときめかせながら待っていたようだ。
温め直した晩ご飯を並べ終える頃には、娘をあやし終えた夫が缶を開けて晩酌を始めていた。
「mixiで何書いてんだ?」
「子育てのこと。色々大変なんだよ、女子は」
「女子ね〜」
大して興味もなさそうな熊さんの相槌に、内心少しむっときた。誰が豚さんだ。
「地元の友達とか、ママ友と交流もできて便利なんだって。何なら招待しよっか? あたしとマイミクになる?」
冗談を交えて訊いてみたが、答えは予想どおり「いや、いい」の一言だった。
「まあ、店の告知とかに使えるなら、やってみてもいいけどな」
ビールの缶を傾けながら、何気ない様子で夫は呟いた。
「そういえば今日、久しぶりに橘さん来たぞ。あと、ホストも」
「ホスト?」
予期せぬ言葉に持っていた携帯をテーブルに置いた。警察とホスト。どうにも不吉でならない。
「とりあえず、明日なら店にいるって言っといたけど」
夫はそう付け加えると、つまみの唐揚げをひとつ摘まんだ。口に運んでから「なあ?」とこちらへ顔を向ける。
「俺、疑われてないよな?」
驚いた。
「知ってたの? 警察って」
「そりゃそうだろ。あの人、千葉駅周辺の風俗とか違法営業、片っ端からなぎ倒していった人だからな」
それは初耳だ。もしかして、その腕を買われて新宿まで来たのか。




