『幽霊子育て飴――鳥辺山奇譚』
それは慶長四年、冬の終わりのことだった。
京の町に雪解けのぬかるみが残る頃、六道の辻にほど近い轆轤町で飴屋を営む「みなと屋」の店主・吾兵衛は、ある客のことを奇妙に思い始めていた。
その女は、毎晩のように現れた。
白い襟元から覗くのは喪服のような墨染の着物。足元は濡れており、まるで墓地を歩いてきたかのような湿り気を帯びていた。
髪は肩にかかるほど長く、夜気に貼りつくようにして艶めいている。顔立ちは整っていたが、血の気がまるでなく、まるで土人形のような蒼白さだった。
「……飴を、一文……」
掠れるような声でそう呟くと、女は差し出した手のひらに一文銭を載せる。吾兵衛が黙って飴を渡すと、女はぺこりと頭を下げて、ゆるゆると夜の通りに消えていく。
翌朝、銭箱を開けてみると、そこにあったのは一文銭と、なぜかしきみの葉だった。
しきみは墓前に供えるもので、生きた者が持ち歩くものではない。はじめは悪戯かと笑っていた吾兵衛も、十日も続けば笑えなくなる。
「……まさか、あれは……いや、まさか……」
そう呟きながらも、疑念は日に日に濃くなった。
ある晩、吾兵衛は意を決し、女の後をつけることにした。
戸を静かに閉め、足音を忍ばせて裏通りへ。女は飴を受け取ると、何も言わずに歩き出した。
京の町を東へ、六道の辻を越え、鳥辺山の方へ――。
雪混じりの冷たい風が、竹の葉を震わせる。女は振り返ることなく進み、ついには墓石が立ち並ぶ暗がりへと足を踏み入れた。
そして、石塔の影に紛れたその瞬間。
女の姿は、ふっと、風に溶けるように消えた。
「……え……?」
ぞわり、と全身の皮膚が粟立つ。
闇の中で、誰もいないはずの場所から――かすかな声がした。
「おぎゃあ……おぎゃあ……」
それは、確かに赤子の泣き声だった。
吾兵衛は、恐怖で喉を詰まらせたまま、転げ落ちるように山を下りた。
息は上がり、額からは冷や汗が流れ、足は震えて止まらない。
「なんまいだぶ、なんまいだぶ……っ」
家に戻っても、布団の中でも、あの泣き声が耳から離れなかった。
翌朝、吾兵衛は町の寺を訪ね、住職にすべてを打ち明けた。
住職は顔を曇らせながらも頷き、ふたりで鳥辺山の墓地へ向かった。
女の消えたあたりを掘り返すと、湿った土の中から現れたのは、白骨化した女の遺体だった。
その腕の中には、抱かれるようにして小さな赤子が――飴玉をくわえたまま、ぐったりと眠っていた。
「……まだ、生きておる……」
住職が目を見張った。
吾兵衛は膝をつき、恐る恐る赤子を抱き上げた。
その顔は青白く、飴の匂いが仄かにした。
「……あの女は、死んでもなお……この子を……」
その場にいた誰もが、母の執念とも愛情とも言える想いに言葉を失った。
吾兵衛は赤子を「みなと屋」で引き取り、“蓮蔵”と名づけた。
蓮蔵は健やかに育ち、八歳のときに仏門へ入り、やがては高僧と称されるほどの人物となった。
この出来事は町中に語り継がれ、いつしか「みなと屋」の飴は『幽霊子育て飴』と呼ばれるようになった。
今も轆轤町の一角で、その飴は静かに売られている。
ただし、夜更けに白い着物の女がやって来たなら。
どうか、決して目を合わせぬように。
――もしも、その目があなたを見返したなら。
その夜、あなたの枕元に「おぎゃあ……」という泣き声が届くかもしれないのだから。




