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古都怪異帖(千年の時を超えて語り継がれる、京都の怪異譚集)  作者: カトラス


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『向月台の眼――銀閣寺・満月の怪』

 銀閣寺。

 その静寂に包まれた庭園のなか、侘び寂びを体現する美の極致として名高いその場所に、ひときわ異様な存在感を放つ白砂の構造物がある。

 向月台――月を愛でるために築かれたとされる、円錐形の白砂の山。

 だが、その真の意味は、誰にも解き明かされていない。


 これは、大学の天文サークルに所属する青年・斎藤悠人が体験した、満月の夜の一夜の恐怖である。


*


 その夜は、完璧な満月だった。

 空は雲ひとつなく、湿気もなく、空気は肌にひやりと心地よかった。

 特別公開の夜間拝観に訪れた悠人は、天文写真の撮影を目的に銀閣寺を訪れていた。


 彼は向月台の脇にそっと三脚を立て、機材を整えながら息を整える。

 人の少ない夜の庭園は、不思議なほど静まり返っていた。

 蝉の声もない。ただ、遠くで微かに木々が揺れる音がするだけ。


 「……やっぱり、ここからだと月がよく見えるな」


 悠人はファインダーを覗き込み、シャッターの角度を調整する。

 その瞬間、ふと視界の端に、何かが映った。


 向月台の頂点――白砂の鋭い山の先端に、黒く染まった奇妙な“影”のようなもの。

 最初はレンズの不具合かと目を瞬かせた。

 だがそれは、ゆっくりと、確かに“彼”を見返していた。


 眼だった。

 人間のものではない。爬虫類のように縦長で、冷たく濁った黒い光が月明かりの中できらりと光る。

 悠人は反射的にカメラから目を離したが、肉眼では何も見えない。


 「……なんだ今の……」


 喉が乾き、冷や汗が背を流れる。

 心臓の鼓動が、カメラのシャッター音のように耳に響く。


 意を決して再びファインダーを覗いた悠人の目に、さらなる異様が映った。

 向月台の斜面、その白砂の面に……無数の“手”が生えていた。

 それは人間の手ではなかった。

 細長く、節くれ立ち、砂の中から這い出ようと蠢いていた。


 「……っ!」


 全身が凍りつく。

 目をそらそうにも、首が動かない。

 そのときだった。


 頭上、いや、脳の奥から、声のような音が響いた。

 それは耳で聞く音ではない。

 夢の中で誰かに囁かれるような、異様に近く、異様に遠い声。


 ――見つけた。


 悠人の視界が、突然真っ白に塗り潰された。

 現実の音が消え、風の気配が止み、ただ月の光だけが肌を焼くように突き刺さる。

 砂の山の上、あの“眼”が、明らかにこちらを見つめていた。

 悠人は、月を撮っていたはずだった。

 なのに、撮っていたのは――“月のフリをした何か”だった。


*


 翌朝、銀閣寺は普段と変わらぬ静けさを取り戻していた。

 だが、庭園の片隅にぽつりと置かれた木製の立て札には、筆で書かれた注意書きがあった。


 『満月の夜、向月台に背を向けること』


 その文字はかすれており、いつ書かれたのかも、誰が書いたのかも分からない。


 ただひとつ、監視カメラの記録には異変が残っていた。

 深夜二時過ぎ、庭園に誰の姿もないにもかかわらず、向月台の頂点にだけ、“光る眼”がふたつ、じっとこちらを見上げていた。


 それは、悠人がファインダー越しに見たものと、まったく同じ“眼”だった。



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