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古都怪異帖(千年の時を超えて語り継がれる、京都の怪異譚集)  作者: カトラス


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『狐の嫁入り――ねねの道の奇譚』

 その日、京都は絵に描いたような秋晴れだった。

 風は穏やかに木の葉を揺らし、円山公園の紅葉はまるで手鞠のように色づき始めていた。陽射しは斜めに傾き、石畳をまばらに照らし出す。銀杏の葉がはらりと落ちるたび、地面に舞い落ちる黄金色の記憶がそこに刻まれていくようだった。


 私は恋人と並んで歩いていた。手のひらが触れ合う感覚が、初秋の空気のなかにやさしく溶け込んでいた。


 「やっぱり京都って、空が高いね」

 そう言って彼女がふと空を仰ぐ。その横顔は日差しに照らされ、まるで絵巻の中の人のように静かに美しかった。


 ねねの道へと抜ける石畳の道にさしかかると、不意に風が変わった。

 生ぬるく、湿気を孕んだ風が、私たちの間をすり抜けていく。


 「ん……?」


 ぱら、ぱら……と髪に冷たい感触。

 見上げれば、空には一片の雲もない。それでも雨粒だけが確かに私たちを打った。


 「え……雨……? 変なの」

 彼女も不思議そうに空を見上げ、眉を寄せた。


 周囲の観光客も戸惑っていた。誰もが傘を持っておらず、スマートフォンで空を確認する者もいたが、天気予報アプリには「晴れ」の表示しかない。

 それなのに、雨だけが確かに降っていた。


 私は、妙な胸騒ぎを覚えた。心臓がじわりと冷たくなり、手を繋いだ指先から体温が失われていく感覚。


 そして、ねねの道の中ほど──石垣と木塀に挟まれた狭い一角に差しかかったときだった。


 向こうから、行列がやってきた。

 静かに、しかし確かに足音を響かせながら、まるで異世界の裂け目から流れ込んできたように。


 白無垢に身を包んだ花嫁。

 彼女の後ろには、赤い提灯を持った童子たちが並び、その背後には白装束の男たちが静かに従っていた。

 そして、列の最後尾には狐面をかぶった女たち。


 提灯の火は風もないのにゆらめき、影が石畳に踊った。

 誰も彼らに目を向けていない。

 周囲の観光客は、あたかも“そこに何も存在しない”かのように、その行列の横をすり抜けていた。


 「……やばい……」

 背中に冷たい汗が伝う。

 私は反射的に彼女の手を引こうとした。


 しかし、指先にはもう、ぬくもりがなかった。

 振り返ると、そこには誰もいなかった。


 視線を上げたとき、私は絶句した。

 行列の最後尾──狐面の女たちの一人が、こちらを向いていた。

 その手には扇子。扇の隙間からのぞく唇が、微笑んでいた。

 その女は、彼女だった。


 「……うそ、だろ……?」


 世界が音を失った。

 喧騒が消え、風も止まり、ただ、耳鳴りのような音が遠くから響いてくる。


 私は一歩、また一歩と足を踏み出した。

 行列はゆっくりと進み、彼女もまた、その一部となっていた。

 その姿は美しかった。

 でも、どこか違っていた。

 目が、焦点を結んでいなかった。


 「返して……」

 そうつぶやいた瞬間、雷でもなく風でもない、どこか“声”のような振動が空から響いた。

 気づけば私は、ただの雨の中、濡れた石畳の上にひとり立っていた。

 狐の行列も、彼女の姿も、すでにどこにもなかった。


 観光客のざわめきとカメラのシャッター音が戻ってくる。

 だが、私の時間だけが、取り残されたように止まっていた。


 後日、資料を調べて知った。

 このあたりには、「晴れた日に狐の嫁入りを見た者は、大切な人を奪われる」という古い言い伝えがあるのだという。


 それ以来、私は何度もこの道を訪れた。

 雨が降るのを待ち、空が青いのを確かめてから歩く。


 でも、行列にはもう出会えない。

 彼女も戻ってこない。


 ただ、ある日。

 狐面の絵が描かれた小さな絵馬が、ねねの道の塀に結びつけられているのを見つけた。

 それにはこう書かれていた。


 ――また、いつか、会えるよね。


 その字は、彼女の字だった。



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