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古都怪異帖(千年の時を超えて語り継がれる、京都の怪異譚集)  作者: カトラス


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『不思議展の標本』

 あれは、ちょうど二十年ほど前。まだスマートフォンも普及しておらず、SNSという言葉もなかった時代。僕は京都の「みやこめっせ」で、夜間の施設警備員の仕事をしていた。


 そのとき開催されていたのが、『人体の不思議展』だった。


 本物の人間の遺体を特殊な処理で保存し、標本として展示するという、衝撃的な内容だった。骨、筋肉、血管、神経までもが生々しく露出した“人体”が、まるで彫刻のように並べられている。


 薄暗い展示室に入った瞬間、空気が変わった。冷房のせいだけではない、体温を拒むような無機質な冷気。あれは“死者”の持つ空気だったのかもしれない。


 「……なんや、やっぱ気持ち悪いな」


 初日の夜、展示室を一巡した帰り際に、同僚の坂本さんがぽつりと漏らした。


 「人間って、ここまで剥き出しにされるもんなんやなあ……」


 彼の声には、好奇心というより、畏れが滲んでいた。


 僕も同じだった。最初の数日は、どの標本の前に立っても背筋がじんと冷えた。だが、慣れとは恐ろしいもので、三日もすれば感覚は鈍っていった。


 それが“起こった”のは、四日目の夜。


 午前二時を過ぎたころ、展示室の見回りに入った。

 誰もいないはずの会場で、ふと、床が軋んだような音がした。


 「……?」


 足を止め、耳を澄ます。


 ──いたい……いたい……


 空調の音ではなかった。かすれた、小さな、けれど確かに“人の声”だった。


 「誰かいるんですか?」


 思わず声を張ったが、返事はない。ただ、その声は──標本がずらりと並ぶ中央通路の奥から、微かに、確かに届いていた。


 「……坂本さんのイタズラか……?」


 独り言を呟きながら照明をつけ、足早に通路を進む。


 そして、あの標本の前で足が止まった。


 筋肉が剥き出しになった男性の全身標本。

 両腕を横に広げ、表情はない。だが──その頬に、水滴のようなものが一筋、つたっていた。


 「……汗? そんなわけ……」


 標本は完全な防腐処理を施されている。水分など、出るはずがない。


 背中に嫌な汗がじっとり滲んだ。


 その夜、休憩室に戻ると、別の警備員が話していたことを思い出した。


 「なあ、あの標本……出所、ほんまに安全なんやろか」

 「中国の刑務所とか、政治犯とか、聞いたことあるで。法輪功とか、勝手に……」


 くだらない噂話だと思っていた。でも今は違う。僕の背後に、誰かの“目”を感じていた。


 翌夜、モニター室で展示室の映像を眺めていた。画面の奥、あの標本が、かすかに“揺れた”。


 「……えっ……」


 誰もいないはずなのに、指先だけが微かに震えていた。


 我を忘れて展示室に駆け込んだ。標本は動いていなかった。元の姿勢のままだった。


 ただ、説明パネルが一枚、床に落ちていた。


 拾い上げて裏返すと、そこには指でなぞったような跡が、薄く書かれていた。


 ──ここに いる


 それを見た瞬間、吐き気がこみ上げてきた。


 数日後、僕は体調不良を理由に勤務を外された。


 だが、本当の理由は分かっていた。

 あの夜から、眠っていても、夢の中で誰かが僕を見つめている。


 『いたい……いたい……』


 くぐもった声が、布団の下から聞こえる。


 あの展示は、その後もしばらく全国を巡回した。

 標本の出所については、やがて複数のメディアが「中国の無断提供遺体の可能性」を報じ始めた。


 でも、あの夜、僕が聞いた声は、報道なんかよりもずっとはっきりと、真実だった。


 あの展示室の片隅、誰にも知られず、何の同意もなく“展示”されていた人間。


 あの目が、僕を見ていた。


 「ここに、いるんや」



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