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古都怪異帖(千年の時を超えて語り継がれる、京都の怪異譚集)  作者: カトラス


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『見えない鉾』

 宵山の夜。四条通は光の海だった。無数の駒形提灯が頭上に揺れ、道には浴衣姿の人々がひしめいている。屋台の焼きそば、うちわを仰ぐ手、鈴の音。夏の京都が、息づいていた。


 「うわ、すごいな……」


 僕はカメラを首から下げ、汗を拭いながら人波に紛れていた。


 シャッターを切るたびに、どこか異物のようなざわつきを感じていた。祭の華やかさの裏で、何かが静かにひっそりと、こちらを見ている気がした。


 そのときだった。


 「来るで! 見えん山が通る!!」


 割れるような声が通りに響いた。


 周囲がピタリと静まり返る。


 声の主は、白髪を乱した老婆だった。腰を曲げ、震える手を広げ、群衆を押しのけるように前に出てきた。


 「はよどかんかい! どかんと、轢かれてまうで!」


 通行人たちは一瞬たじろいだが、すぐに笑い声とざわめきが戻る。


 「誰かの演出か?」「観光客のコスプレ?」「なんや、ビビらせやがって」


 そう言いながらも、人々は老婆の迫力に圧され、じわじわと道の中央を空けていった。


 だが、そこには何もなかった。

 鉾も山も、何ひとつ、通っていない。


 僕は思わずカメラを構えた。その“空白”が気になったのだ。


 「う……あ……」


 低いうめき声が背後から聞こえた。


 振り返ると、若い男が胸を押さえてうずくまっていた。苦悶の表情で肩を上下させ、目は大きく見開かれている。


 「け、健太!? どないしたん!?」


 隣にいた女性が叫び、周囲が騒然とする。


 「誰か! 救急車! 誰か呼んで!」


 僕の指は反射的にシャッターを切っていた。人のざわめき、女の悲鳴、目の前で倒れた男の蒼白な顔……


 そして、その奥。


 老婆の姿は、もう消えていた。


 その夜、ホテルでデータを確認していると、一枚だけ妙な写真があった。


 観光客が倒れる数秒前。通りの真ん中に、人々が避けるように開けた“空間”が写っていた。


 誰もそこにはいない。

 なのに、人々の身体がその空間を避けるように反っている。


 写真中央の一部だけ、微かに歪んでいた。


 翌朝、その出来事はニュースにならなかった。

 知人のつてで聞いた話によれば、倒れた男性は軽い打撲とされ、病院で一晩の検査で退院した。


 だが、医者が言ったそうだ。


 「胸にね、不自然な圧迫の痕があったんですよ。まるで……重い何かに押されたみたいな痕が」


 数日後、祭りの関係者に頼んで、通りの監視カメラ映像を確認させてもらった。


 そこには、人波が左右に避ける奇妙な動きが映っていた。


 あたかも、目に見えぬ巨大な何かが通るのを避けるように。


 老婆の姿も、一瞬だけ映っていた。


 白髪をなびかせ、笑っていた。


 音声はなかったはずなのに、僕の耳にははっきりと、あの声が響いていた。


 「どきなされ……轢かれてまうで……」



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