↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
古都怪異帖(千年の時を超えて語り継がれる、京都の怪異譚集)  作者: カトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/67

『血天井の手』

 京都・養源院。静寂に包まれた境内には、蝉の声さえも遠慮がちに響いていた。


 僕がこの寺を訪れたのは、大学の民俗学ゼミの調査の一環だった。けれど、学問的な興味よりも、もっと曖昧で、肌の下にひそむ“何かが違う”という直感に突き動かされたような気がしていた。


 受付で靴を脱ぎ、ひんやりとした畳に足を滑らせると、本堂の空気は一層重たく感じられた。静かだった。人の声も、物音も、すべてが遠のいたような、薄く膜を張ったような沈黙がそこにあった。


 天井を見上げた瞬間、僕は息を呑んだ。


 その板張りの天井には、確かに“手形”があった。


 赤黒く滲んだ掌の跡。

 斜めに伸びる指先は、今まさに何かにしがみつこうとするようで、いや、むしろ何かを掴んで離すまいとする執念すら感じられた。


 「……見えるんやな、あんたにも」


 背後から、低く落ち着いた声がした。


 驚いて振り返ると、僧衣をまとった中年の僧が畳の上に立っていた。穏やかな目元だったが、どこか焦点が合っていないような、虚ろな印象を受けた。


 「手形や。あれ、夕方になると動くことがあるんや」


 「……動く?」


 「正確には、“位置が変わる”と言うべきかもしれん。見る者によって、あるいは“見える覚悟がある者”によって、現れる場所が違うんや」


 僕は再び天井を見上げた。


 ──あれ?


 たしか中央にあったはずの手形が、今は右端に移っている。錯覚だ、と言い聞かせた。光の加減か、視線の角度か。


 だが、そのとき心の奥にひやりとしたものが走った。


 まるで誰かが、僕の頭上で這い回っているような──そんな錯覚。


 「それ、伏見城で討ち死にした武士たちの血の跡や。供養のために天井に据えたんやが、なかには……まだ“納得しとらん魂”もおるようでな」


 僧侶の声は冗談のようでいて、どこか冗談で済ませられない冷たさを帯びていた。


 その夜、宿に戻って撮った写真を確認していたとき、僕は思わず声を上げて立ち上がった。


 ──写っていたのだ。


 一枚だけ、天井の染みの中に“顔”があった。


 眼窩が深くくぼみ、口が開いている。

 無表情だが、見ている。こちらを、はっきりと。


 そしてその顔の頬には、血のようなものがこびりついた三本の指が、まるでそこに押し当てられているように見えた。


 僕は翌朝、いても立ってもいられず再び養源院を訪れた。


 あの僧侶に、もう一度会って話を聞きたかった。


 だが、寺務所で僧侶の特徴を伝えても、「そういう者はおりません」と淡々とした声が返ってきただけだった。


 その瞬間、喉の奥がきゅっと縮まるような感覚に襲われた。


 じゃあ、あれは誰だった? 誰が、僕に語りかけてきたんだ?


 それ以来、夜になると夢の中にあの天井が現れる。


 血の染み、手形、そしてあの顔。


 夢の中で見上げるたび、その“位置”が変わっている。

 まるで僕の動きを追うように、あるいは逃がさぬように。


 そして、毎回、最後に聞こえるのだ。


 「……わしの顔、踏んだんは……お前か……?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。