↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
古都怪異帖(千年の時を超えて語り継がれる、京都の怪異譚集)  作者: カトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/67

『動かぬ山、泣く子』

 宵山を終えた翌朝、空は曇天。

 梅雨の残り香を含んだ湿気が、石畳に重く沈んでいた。京都・室町通にひっそりと残る小さな山鉾町では、例年通り、山鉾の曳き出しが始まろうとしていた。


 古くから伝わるこの町の山は「白桐山」。大きな白桐の絵を懸装品に据え、静かで気品ある佇まいが特徴だった。町内でも高齢の氏子たちは、この山を“しろきりさん”と親しみを込めて呼ぶ。


「ほな、いきまひょか」


 木槌の音が鳴り、掛け声とともに曳き手たちが綱を握る。白半纏に手ぬぐい、鼻緒の擦れる音――京都の夏が、またひとつ動き出すはずだった。


 だが。


 ……山は、動かなかった。


「おかしいな、軸回りは昨日、確認済みやのに」

「車輪もちゃんと整うてる。……何やろな、これ」


 曳き手たちは何度も掛け声を合わせ、力を込める。しかし、山は軋みすらせず、まるで地中に根を張ったように、その場に留まり続けた。


 湿気に混じって、不穏な空気が漂いはじめる。


 そして、静けさを破ったのは――


 「ひっく……えぐっ、うわああああん!」


 突如、町角にいた一人の幼児が泣き出した。年端もいかぬ男の子、名を宗太という。

 その子は、町の若夫婦の子で、今日が初めての山鉾見物だった。浴衣姿の母に抱かれていた彼は、さっきまでおとなしく団扇を振っていた。


 泣き声は、尋常ではなかった。

 肩を震わせ、瞳は何かを見ている。だが、大人たちには何も見えなかった。


 「……おにいちゃん……やめて……ひっぱらんといてぇ……!」


 宗太の口から漏れたその言葉に、町中の空気が凍った。


 母親が慌てて「どうしたの、誰がいるの?」と問うが、宗太はただ泣きじゃくるばかり。

 やがて、少年はひとこと。


 「足、痛い……足が、燃えてる……」


 その言葉を聞いたとき、白桐山の車軸の下――かつて事故死した若者の話を思い出した者がいた。


 それは、昭和二十年代のこと。

 曳き出しの直前に、整備中の山の下敷きになり、若衆のひとりが命を落とした。彼の足元には当時、焚き火が焚かれており、服に火が燃え移ったまま動けず……そのまま。


 その事故の詳細は、代替わりとともに封じられ、今では語る者もほとんどいなかった。


 曳き出しは中止された。

 午後、町内の古老たちが集い、山鉾の前に白木の小さな香台を置き、線香を焚いた。


「戻ってくれて、ええんやで……今年はもう、曳かへんさかいな」


 誰にともなく語りかけるその声は、震えていた。


 夕暮れ、再び曳き手たちが綱を手にすると、白桐山は静かに――軋む音と共に、わずかに前へと転がった。


 子どもはもう泣かなかった。

 風が通り過ぎ、綿のように白い桐の花が、どこからかひとひら舞い降りてきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。