閑話 ヒメとカフェと魔王
「やあ、いらっしゃいヒメ!」
その日、ヒメこと私がカフェ『星降り』を訪れると、店主のレオがにこにこと笑顔で迎え入れてくれた。
初めてカフェにお邪魔してから、私はちょくちょくここにご飯を食べに来ている。
レオの作るご飯は美味しい。
中でも一番好きなのはやっぱり、あの日食べたフレンチトーストだ。
焼きたての良い香りと、甘くて香ばしいあの味。
思い出すとまた食べたくなってきたけれど、今日は我慢だ。
私はここのメニューを順番に全部食べると決めているのである。
そう思いながら、私は注文したシフォンケーキに目を落した。すると頬が緩むのを感じた。
「何だこれ、知らないぞ!」
うきうきした気持ちでいると、入り口の方からそんな騒がしい声が聞こえて来た。
聞き覚えのある声に、私はむう、と眉間にしわを寄せて、そちらを向く。
彼は魔王。
この魔族領の主で、私をここに攫って来た張本人である。
「魔王、うるさい。ここはお店の中。声量に気を付けた方がいい」
「いや、ってか何してんの姫! 抜け出すなって、いつもいつも言っているだろ! 何であっさり抜け出せてんの!?」
注意をすると、魔王は違う方面で怒りながら私の方へと近づいて来た。
私は元々アストラル王国に住んでいた。それをある日、魔王に攫われてここへやって来たのだ。
それからは魔王城に住んで――間違えた。魔王城に閉じ込められている。
でも、ずっと閉じ込められていると息が詰まるので、散歩と称してよく外出をしている。
魔王城の警備は意外とザルだ。
部屋の前にいる見張りには、眠り茸かマヒ茸をぶつければ簡単に沈められるし、魔王城の中を私が歩いていても、ごく一部の幹部以外には、あまり気に留められない。だからあっさり抜け出せる。
なので今日も今日とて私はカフェに通っていた――のだけど。
……面倒な人に見つかってしまった。
「抜け出せるような警備をする方が悪いと思う。アストラルの方がまだ厳重だった」
「いやいやいや。普通に考えて? 姫って城を抜け出したりしないじゃん?」
「魔王は時代遅れ。今の姫は城だって普通に抜け出すし、カフェにだって通う。世間の流行をもっと勉強した方が良い。」
「何だと。俺はいつだって最先端だ。むしろ俺が選んだものが流行だ」
魔王はそう言って胸を張った。ずいぶんな自信家である。
「一度、最先端という言葉を、辞書で引いてみたらいい」
「お前は俺を何だと思っているんだ」
言い返せば、彼は腰に手を当てて、私をじろりと睨んでくる。
……この人、見た目はレオと同じくらいでも、彼よりずっと年上のくせに、妙に子供っぽい。
年齢に見合った落着きっぷりを身に着けてから物を言ってほしい。
「いつも落着きがなく元気な魔王」
「えっ、何だよ、急に褒めるなよ」
ちょっと嬉しそうな顔をする魔王に、私は顔をしかめた。
一度だって褒めていないのに、ポジティブ過ぎると思う。
「じゃなくて、抜け出すなって言ってるんだよ」
「アストラル王国に帰らずに、魔王城に戻ってあげているのだから、文句を言われる筋合いはないと思う」
「あるんだよ。お前が抜け出すたびに、俺が他の連中に怒られるんだぞ」
「魔王は威厳がない」
「何だと! 姫らしさが欠片もないお前が言うな!」
「魔王、とても失礼」
「どっこいどっこいだろうが」
むう、と私は口を尖らせる。
……せっかくのシフォンケーキに唾が飛ぶから、近くで怒鳴るのを止めて欲しい。
サッと手でシフォンケーキをかばいながら、私は魔王を睨む。
「はい、ストップ」
そうしていたら、レオが手に持っていたメニュー表で、私と魔王の間に壁を作ってくれた。
これでケーキは安全。ありがたい。
すると魔王はじろりとレオの方を睨んだ。
「……何だ、お前は」
「僕はこのカフェ『星降り』の店主です。お店の中で喧嘩はやめてね」
そしてレオは魔王に向かって、堂々とそう言い放った。
……レオって、魔王の事が怖くないのかな?
そう言えば、彼は私の事も知らないみたいだったし。もしかしたら彼が魔王という事も知らないのかもしれない。
この魔王は偉そうだし、自信家だし、うるさいし、子供みたいに癇癪を起して面倒くさい。
でも腕っぷしという意味ではすごく強い。
怒らせたらレオが危ないかもしれない。レオに何かあったら、美味しいご飯も食べられない。
……それは、いや。
「貴様、俺を誰だと……」
「知っていますよ。お客さんでしょ?」
ムッとした魔王に、レオはそう笑いかける。
すると魔王はきょとんとした顔になった。
……お客さん、では、ないと思う。でもレオはそう思っていないみたい。
レオは魔王の肩に手を置くと、ずいずいと押して、私の前の席に魔王を座らせた。
細い腕に見えるのに、力は結構強いみたい。あっという間に座らされて、魔王は「あれ?」って戸惑っている。
「ん? あれ? んん……?」
「ところでお客様。ケーキはお好きですか?」
「は? け、ケーキ? あ、ああ……まぁ、ケーキは好き……だけど……」
「良かった! それじゃあ、ちょっと待っていて下さいね」
レオはそう言うと、カウンターの方へ戻って行った。
本当にお客さんとして相手をするみたい。
何となく目でレオの動きを負っていると、魔王が「おい」と話しかけてきた。
「私は『おい』じゃない。……何?」
「あれは何だ」
そう言って魔王はレオを指差す。
「レオ」
「いや、個体名ではなく」
「このカフェの店主さん」
「役職名でもなく」
ならばどういう意味だというのか。
むう、と私が少し睨んでいると、魔王は何とも居心地が悪そうな顔で、
「……俺は文句を言いに来たんだが」
と言った。
「文句? どうして?」
「お前が、以前にも増して城を抜け出す回数が増えた原因は、コレだろう?」
そう言って魔王は私のケーキを指差した。
確かに前と比べると、しっかりとした目的が出来たから、回数は増えた気がする。
……だって、前払いもちゃんとしたし。魔王城のご飯ちょっと飽きたし。
種族が違うから、人間のメニューとも味付けはやっぱり違う。
魔王城のご飯も美味しいけれど、食べ慣れた人間の味が恋しかった。
それで、たまには良いだろうと、今までは近くの村へ調達に出かけていたのだ。
そうしたら、そこへちょうど良いタイミングでこのカフェが建った。すごく素晴らしい偶然。
しかも料理は美味しいし、レオも優しいし、お店も居心地が良い。
ここは普通の建物とは少し違うみたいだけど、見守られているあったかい感じがして、私は好き。
「あと、こんな場所に勝手に店建ててるし……」
魔王はむう、と口を尖らせた。
……この辺り、魔王が所有している土地だったのかな。それは、まぁ……レオが悪い。
でも私は美味しいご飯が食べたいのでレオの味方。
「でも美味しいから、魔王も食べてみると良い」
なのでそう言うと、魔王は目を瞬いた。
そして私のケーキに目を落とす。
「これは、ダメ。これは私のケーキ」
「…………」
両手でサッとシフォンケーキを隠すと、魔王が半眼になった。
「そんな目をしていても、あげない。これは私の、シフォンケーキ」
「いや別に取らねーよ。そこまで意地汚くねーよ」
「…………」
「めちゃめちゃ疑いの眼差しを向けてくるじゃん……」
そんなやり取りをしていると、
「お待たせしました!」
と、レオが私が食べているものと同じケーキを持って来た。
生クリームののったふわふわのシフォンケーキ。
魔王は目の前に置かれたそれを見て、レオを見て、私を見る。
「美味しいよ」
私がそう言うと、魔王は「うっ」と言葉に詰まった。
それからしばらく魔王は悩んでいたけれど、観念したようにフォークを手に取った。
そしてシフォンケーキを、ぱくりとひと口。
最初は得体の知れないものを食べるような表情だったけど、それはすぐにポカンとしたものに変わった。
「……美味いな」
「でしょ?」
ふふん。レオのケーキが褒められて何だか嬉しくなった。
私がにこにこしていると魔王は呆れた顔で、
「何でお前が胸を張るんだ」
と言った。
「だって、レオのケーキ美味しい。魔王だって美味しいって言った」
「いや、そりゃ……確かに美味いけどよ……」
もぐもぐ。もぐもぐ。魔王の食べる速度はだんだんと早くなっていく。
食べている内に表情も緩んできた。これは機嫌が良くなっている証拠。
食べながら、
「……まぁ、ここを魔王城の範囲だと思えば良いか」
なんて呟いていた。魔王城の範囲だと思えば、というと……もしかして抜け出すの良いよって事なのかな。
まぁ許可がなくても抜け出すけど。
そんな事を思っていたら、レオが目を丸くしていた。
「……魔王?」
……そう言えばレオに、魔王の事を話すの忘れてた。