初めてのお客さん
「い、いらっしゃい……ませ?」
「うん」
元気な声で入って来たその子は、こくりと頷いた。
そしてドアをそっと閉めて、僕の方へと歩いて来る。
豪快に入って来たわりには、動きの一つ一つに、どこか品を感じさせる子だ。着ている服にも上等な素材がふんだんに使われている。
もしかしたら、どこか裕福な家のお嬢さんなのかもしれないね。
見た目は人間っぽいけれど、彼女も魔族なのだろうか。
少し呆気に取られていると、彼女はカウンターに一番近いテーブル席に座った。
「……あっ」
僕はハッと我に返る。
ぼーっとしてしまったけれど、この子はもしかして、初めてのお客さんではないだろうか。
慌てて火を消すと、僕はメニュー表を引っ掴んで、彼女の席へと急いだ。
「こんにちは! いらっしゃいませ!」
「こんにちは」
挨拶をすると、彼女は僕を見上げて、同じ様に返してくれた。
それから入って来たドアを、すい、と指さす。
「看板にカフェと書いてあった。合ってる? この間までここになかったから、ちょっとだけ心配。違っていたらごめんなさい」
「大丈夫です、合っていますよ。つい先日オープンしたばかりなんです」
「そうなの?」
「そうです」
何もなかった場所に、突然建物が建ったら、それは驚くだろう。
その事は理解しているけれど、嘘ではないので、僕はしっかりと肯定しておく。
すると彼女は「そう」と小さくつぶやき、何度か頷いた。
「えっと、こちらメニューになります」
「ありがとう」
メニュー表を渡すと、彼女は上から順番に読み始める。
「…………」
「…………」
しばしの無言。こういう時って、どうすればいいんだろう。
ここしばらく接客の仕事はしていなかったから、妙に緊張してしまう。
子供の頃に、両親の手伝いで注文を受けたり、料理を運んだりしていた以来だ。
冒険者になりたての頃は腕力や体力を鍛えたくて、建築現場の手伝いとか、力仕事中心のアルバイトをしていたから、接客業は長い間やっていない。
勇者もある意味で接客業という面はあるかもしれないけれど。
そんな事情で、ずいぶん久しぶりだ。
……だ、大丈夫かな。何か粗相をしてしまったんじゃないかと、だんだん心配になってきた。
い、いや、大丈夫なはずだ。たぶん。
これまでにも王様と何度も謁見したし、その時に不敬罪に問われることはなかった。依頼主とだって揉めたこともなかった。
……なかったんだけど。
「…………」
仲間達の不満に、勇者をクビになる直前まで気付く事が出来なかった僕である。無自覚のうちに何かやらかしていてもおかしくはない。
考えれば考えるほど不安になってくる。いっそ修行の時のように、心を無にしていた方が良いかもしれない。
頭の中にそんな考えがぐるぐると回る。
なるべく顔に出さないように彼女の注文を待っていると「ねぇ」と呼びかけられた。
「はい、何でしょう?」
「そういえば、さっきこの店から漂ってきた、あの良い香りは何?」
彼女は少しだけ首を傾げ、そう言った。
ああ、と僕は軽くつぶやいて、キッチンの方へ顔を向ける。
「あれはフレンチトーストの香りですね。僕のお昼ご飯用に作っていたんです」
「フレンチトースト……」
鸚鵡返しに言った彼女の目は、キラキラと輝いているように見えた。どうやら香り作戦は大成功だったようだ。
広告や張り紙も大事だけど、食べ物を扱う店なら『香り』も大事な宣伝だよね。
僕も城下町の屋台で焼き鳥を買った時も、あの肉の焦げる良い匂いに釣られたのだ。
思い出し笑いを浮かべている間、彼女はじっとキッチンの方を見つめていた。
おや、と僕は目を瞬いた。
……もしかして食べたいのかな?
「……あの。良かったら、フレンチトースト、食べますか?」
「……! いいの?」
彼女はバッと僕を振り返った。
表情の変化が薄いから分かり難いけれど、嬉しそうに見える。
もともとあのフレンチトーストは自分用の賄いだ。
お客様に出すならば、それなりのものに仕上げなければ。
それに彼女は最初のお客さんだ。食べたいって思ってもらえたものを、しっかりお出ししたいよね。
「承りました。それでは少々お待ちくださいませ」
「うん」
彼女が頷くのを見てから、僕はカウンターの内側へと戻る。
そしてもう一度フライパンに火をつけて、フレンチトースト作りを再開する。
フレンチトーストの乗ったフライパンは、ジュワ、という小さな音から、だんだんと賑やかな音へと変化していく。
音とともに、フレンチトーストがこんがりと焼ける匂いも、店内に広がり始めた。
……こうして料理をしていると、両親のことを思い出すなぁ。
父さんと母さんはいつも楽しそうに料理をしていたっけ。
楽しい気持ちは大事。そして楽しい気持ちから浮かぶ笑顔はもっと大事なのだと2人は僕に話してくれた。
懐かしいな……。
昔の事を思い出していると、女の子の方から、ぐう、と可愛らしい音が聞こえた。
顔を向けると、女の子がお腹を押さえながら、こちらをジーッと見つめている。
……これは期待してくていると考えて良いのかな?
「もうちょっと?」
「もうちょっとです」
そう言って、本当に少ししてフレンチトーストは焼き上がった。
うん、良い色だ。焼き上がったフレンチトーストをお皿に乗せて、そこへバターをころんとひと欠片。
その上にサラサラと粉砂糖を振りかける。
すると直ぐに、バターと砂糖が熱で溶け始める。
ああ、この瞬間がたまらなく良い。
あとは紅茶も用意して……よし、完成だ。
完成した料理を持って、彼女の席へと慎重に運ぶ。
「お待たせしました」
「待ってた」
彼女の目の前に置くと、彼女はすぐに、ナイフとフォークを手に取った。
そのままサク、ナイフを入れる。そしてフレンチトーストを一口大に切って口に運んだ。綺麗な所作だ。
……さて、どうだろう?
初めてのお客さんという事もあって、色々な意味でソワソワと気持ちが落ち着かない。
僕が固唾を飲んで見守っていると、彼女はもう一口、フレンチトーストを切り分けて口に運ぶ。
最初と比べると、少し大き目に切ってくれているみたいだ。
「……美味しい」
そして、そんな言葉が言葉が聞こえた。
……ああ、良かった。美味しいって。
僕は思わず天井を見上げる。
お客さんがいるから『星降り』は黙ったままだけど、彼も喜んでくれている雰囲気が伝わってきた。
「ねぇ」
感動を噛みしめていると、呼びかけられた。
「はい、どうしました?」
「ここのカフェ、名前は?」
「名前?」
……そう言えば、名前は考えてなかったなぁ。
カフェとは書いたけれど、具体的な名前はまだ決めてなかったんだよね。
僕は少し考えて、
「……星降り。星降りです。ここはカフェ『星降り』」
と答えた。
このカフェは『星降り』が建ててくれたものだし、彼がいるから僕はこうして生きていられる。
だから『星降り』の名前が一番ふさわしいと思う。
僕が店の名前を告げると、彼女は小さく微笑んだ。
「良い名前。……カフェの名前は分かった。それじゃあ、あなたの名前は?」
「僕はレオナルドと言います」
「そう」
彼女は何度か頷くと、自分の胸に手を当てた。
「私はロザリー。でも皆がヒメとも呼ぶから、ヒメでも良い」
「は、はあ……」
ヒメかぁ……愛称的なものなのかな?
確かに食べ方は綺麗だし、テーブルマナーもしっかりして見える。振る舞いの節々から育ちの良さが感じられた。
名前の通りヒメっぽさがあるよね。
「それじゃあ、ヒメ、さん」
「ヒメでいい」
どうやら『さん』はいらないという事らしい。
それならばお言葉に甘えて、ヒメと呼ばせていただこう。
「……美味しかった」
ヒメはフレンチトーストをぺろりと平らげると、立ち上がる。
そしてテーブルの上に金貨を一枚、コトリと置いた。
……金貨?
いや、待って。もしかしなくてもこれ、お代なのかな?
「また来る」
金貨を置いたヒメは、そのまま店を出て行こうとする。
いや、いやいやいやいや! これはまずい!
「ま、待って! 多い! さすがにこれ多いから! お釣り渡すから待ってて!」
「いい」
良くないよ!
ああ、でも金貨でお支払いいただいた時のお釣り、あったっけ!?
僕が慌ててレジの方へ走ると、ヒメは少し首を傾げて、
「じゃあ、また来るから。その時の代金を、そこから引いて」
と言った。
また来てくれるのは嬉しいけれど……でも、それでも金貨は流石に……。
「じゃあ」
僕がぐるぐると考えていると、ヒメはそのまま出て行ってしまった。
あ、あああ……どうしよう、追いかけた方が良いのかな。
「ど、どうしよう『星降り』……」
『また来るって言ってんだから、それでいいんじゃないかーレオー』
僕が頭を抱えていると『星降り』がそんな風に言ってくれた。
店内が僕だけになったので、話しかけてきてくれたらしい。
……うん、そうだね。せっかくそう言ってくれているんだし、ヒメが来てくれた時はここから代金を引こう。
そう思って僕は大事に金貨をしまうと、ヒメのことをノートに書きとめる。
『初めてのお客さんだったなー。良かったなーレオー』
「うん、良かった。嬉しかったなぁ」
『星降り』の言葉に僕は微笑む。
ヒメかぁ、また来てくれるといいなぁ。




