来客の多い日
アストラル王国と魔族領。
隣り合わせに存在するこの2つの国は昔から仲が悪い。
その原因は今よりずっと昔に起こった些細な喧嘩からだそうだ。
元々2つの国は隣同士という事もあって普通に国交があった。
両国の王同士の会談も定期的に行われていたのだが……その際の会食でちょっとした口喧嘩が起きた。
そこからだんだんとこじれていき、口喧嘩の規模が大きくなり――一時は戦争にまでなるくらい関係は悪化していたらしい。
今でこそ最悪の状況までは行ってはいないものの、アストラル王国側は勇者を送り込むような事はしているので、相変わらず関係は悪いままである。
もっとも魔族領側も「魔王は姫君をさらうもの」という、何ともふわっとした理由で、ロザリーを攫っていたので、どっちもどっちかもしれない。
……なんて、当事者である僕が言えた事ではないのだけどね。
だからこそ、マリアンヌさんが見せてくれた新聞記事の内容はよくない。
魔族領側が、あの新聞記事が元勇者である僕の作戦だと懸念を抱いたように、アストラル王国側はもっと悪い感情が膨れているかもしれない。
あの新聞記事で国民の感情を煽り、その勢いで魔族領へ攻め込んでしまおう。
——そんな物騒な事を考える人間がいるかもしれないのだ。
僕個人の評判は地の底なので、今更どう噂されようが構わない。
けれど魔族領へのイメージが悪くなると、勇者にだけ任されていた魔王討伐のような仕事が、民間組織にまで依頼されるようになるかもしれない。
そんな事になれば大きな争いの種になってしまう。
僕が王国へ戻って事情を説明したところで信じてはもらえないだろうし、下手な事を言えば逆上されて、もっとまずい事になってしまうだろう。
とすると、どうすれば良いか……という話なんだけど。
攻め込んで来るアストラル王国側の人間を追い返しつつ、地道に噂を上書きしていくしかないだろう。
信頼できる相手から、信ぴょう性の高い噂を流してもらうのが一番じゃないかと思う。
何人か思い当たる人物はいるから手紙を出して頼んではみたんだけど――果たして今の僕の言葉を、どれだけ信用してくれるかは分からない。
僕の存在が火種になってしまったので、出来る限りの事はしたいんだけど、次はどういう手段を取るべきだろうか。
そんな事を悩んでいたら、
「レオ、悩み事?」
と、至近距離からロザリーの声が聞こえた。
あれっと思って顔を向けると、僕のいるカウンターの向かい側にロザリーが立っていた。
考え事に没頭していたせいで、ロザリーの気配に気付けなかったようだ。
さ、さすがにこれは勇者失格……。
いや、そもそも失格になったからここにいるんだけど……。
「いらっしゃい、ロザリー。ごめんね、全然気が付かなくて。いつから来ていたの?」
「ついさっき。準備中って書いてあったから、一応ノックをしたんだけど、返事がなかった。待っていたら『星降り』が「いいよ」って言って入れてくれた」
『そうだぞー。何度も呼びかけたけど、レオは全然反応しなかったぜー。立ったまま寝るなんて器用だなー』
どうやら『星降り』の声にも気付かなかったらしい。
さすがに気がそぞろになりすぎている。
カフェの中だったから良かったけれど、これが外だったら、誰かにぶつかって怪我をさせてしまう事になっていたかもしれない。
気を付けないとなと思いながら僕が指で頬をかく。
「ああー……本当にごめんね。ちょっと考え事をしていて……」
「レオ、何かあった? この間から、少し様子が変」
「うん……少しね」
さすがにロザリーにあの新聞記事について話すのは少し考えてしまい、僕は曖昧に誤魔化した。
けれどロザリーは首を傾げるくらいで、深く追求してくる事はなかった。
「そっか。でも、私に何か手伝える事があったら言ってね。レオの手伝いならしたいから」
「ありがとう、ロザリー。その時は頼りにさせてもらうね」
「うん。……ところでレオ、さっきから何を作っているの?」
ひょいとロザリーは僕の手元を覗き込んで来る。
あ、そうそう、今ね、クッキーを作っているところだったんだよ。
料理をしながら考え事をするのが一番捗るんだ。
今回作っているのはシンプルなプレーンクッキー。寝かせる時間が終わったから、生地を伸ばして型抜きしようと思っていたところなんだ。
「これはね、クッキーの生地だよ。今から型抜きしようと思って」
「…………」
するとロザリーが、興味津々という目でクッキー生地を見つめていた。
食べてみたい……と言うよりは、作ってみたいというような感じもする。
ちょっと訊いてみようかな。
「ねぇ、ロザリー。良かったら一緒にクッキー作らない?」
「いいの?」
僕がそう聞くと、ロザリーは目をキラキラと輝かせてこちらを見た。
素直な反応が可愛くて、くすりと笑う。
「うん、いいよ。それじゃあ……よいしょっと。この中から好きな型を使ってクッキー生地を……」
——と言いかけた時。
カフェのドアが勢い良く開かれて、今度はディが飛び込んできた。
「楽しそうな話が聞こえた! ずるいぞ! 俺もやりたい!」
「ディ、ドアは静かに開けようね」
『そうだぞー、静かに開けるんだぞー。さすがにびっくりするからなー』
僕と『星降り』がそう言うと、ディはハッとした顔で「すまん!」と謝ってくれた。こちらもこちらで素直である。
元気な2人の声に、悩んでどんよりとしていた気持ちが軽くなる。
つられて笑顔になりながら、僕はロザリーとディに予備のエプロンを渡して着てもらった。
もちろん手洗いもしっかりしてもらったよ。
それからカウンターの内側に来てもらい、2人にクッキー型を見せる。
「それじゃあ、この中から好きな型を選んでね」
「丸いのとか星型のとか色々あるね。……これは何?」
「それはマンドラゴラの型だね。意外と人気があるんだよ」
「正気か? 地面から引っこ抜いたらめちゃめちゃ叫ぶアレが人気……?」
「本の挿絵にデフォルメされたマンドラゴラが描かれていたんだけど、それがかわいいって評判になってね。あ、ディの前にあるのはドラゴンの型だよ」
「へぇ! なら俺はドラゴンが良い。かっこいいからな!」
ディはウキウキした様子で、こちらもデフォルメされたドラゴンの型を手に取った。分かる分かる、かっこいいよね、その型。
ディはランプストーンの町でもドラゴンの光石ランプを推していたよね。何となく彼の好みが分かってきたぞ。
「……私はこれにする」
ロザリーは少し考えてから、ハートの型を手に取った。
「あ、いいね。そのハート形かわいいよね」
「お前、ハートってガラか?」
あ、こらディ。またそういう、余計な事を言って……。
「ディの頭髪をハート型にする事が決定した」
「やめろ! 決定するな!」
ディは大慌てでヒメから距離を取った。
でもこの間は丸刈り予定だったから、髪が残る分は良かったんじゃないかな。
……いや、中途半端に残る分、大変なのか?
そんなやり取りをしながら、僕達はクッキーの型抜きを始める。
伸ばしたクッキー生地に型を押し付けくり抜くだけなんだけど、これが結構楽しいんだよね。
型に張り付いて、ちょっと崩れてしまうのもあるけど、それもそれで味がある。
「レオは丸型?」
「うん、シンプルにね。でもね、これを……」
そう言いながら、僕は料理用に使っている針で、丸く型を抜いたクッキー生地に点を2つと、小さな半円を描いた。
それを見てろざりーが「あ」と目を瞬く。
「顔だ」
「うん、正解!」
「へぇ、こういうのもあるんだな。何か楽しいな、これ」
ディも楽しそうにそう言った。
シンプルなクッキーの、ちょっと遊び心が入ると、目で見ても楽しいよね。
チョコやドライフルーツで飾るのも美味しいし良いと思う。
さて、型抜きを終えたら後は焼くだけだ。
この焼く時間がまた好きなんだよなぁ。
ワクワクした気持ちになっていると、再びカフェのドアが開いた。
誰だろうとそちらを向くと、入って来たのはマリアンヌさんだ。
「お邪魔します。こちらに魔王様と姫様が……あ、いらっしゃいましたね」
そのとたんロザリーとディが脱兎のごとく、入り口の反対側――僕の生活空間がある方へ逃げ出した。
は、速い……! そして判断が早い!
思わず感心しているが、2人よりもマリアンヌさんの方がさらに素早かった。
「はい、捕まえました」
ヒュンッと風を切る音が聞こえたかと思うと、マリアンヌさんが笑顔を浮かべて、2人の首根っこを掴んでいる。
「まままマリアンヌ! こ、これは違うんだ!」
「そう。違う。理由がある。聞いて、マリアンヌ」
「ええ、分かっていますよ、魔王様。そして姫様。2人がこっそり抜け出したという事は、このマリアンヌ、よぉく分かっております」
にこにことマリアンヌさんは美しい笑顔を浮かべている。
けれどこの笑顔はいつものそれではなく怒っているタイプの奴だ。
ああ、これは……しっかりお説教される奴だね。
「やだー! いやだー! クッキーを食べるんだ!」
「あと少しで焼き上がる。だから先にクッキー」
「駄目です。お仕事とお説教とお説教とお説教があります」
「説教の回数多くない!?」
「大丈夫ですよ。お説教の後はお説教です」
「何が大丈夫なの!? 増えてない!? ぐえっ」
マリアンヌさんは片方の腕にそれぞれロザリーとディを抱える。
……マリアンヌさんって意外と力持ちなんだなぁ。
「レオナルドさん。いつもいつも、お騒がせして申し訳ありません」
「あ、いえ……。僕としては2人が来てくれて嬉しいですから」
それから僕は悲愴な顔をしているロザリーとディの方へ顔を向けて、
「大丈夫。クッキーが焼きあがったら、すぐに届けに行くよ」
と言った。すると2人の表情がパッと明るくなる。
「レオ、約束。楽しみにしてる」
「絶対だぞ、レオ!」
「うん。マリアンヌさんも、その時ご一緒にお茶でもいかがですか?」
「あら、良いのですか? ふふ、ありがとうございます、レオナルドさん」
あ、マリアンヌさんの機嫌が少し直ったっぽい。
これなら2人の食らう説教も少しは軽く……。
「さあ、ではしっかり、お説教しましょうね」
……ならないな、うん。
でもクッキーを持って行けば、お説教の時間も少し短くなるだろう。
頑張れと心の中で応援しながら、僕は3人を見送って、クッキー作りを再開した。
クッキーを焼くための鉄板を油で拭いて、そこに型抜いた生地を並べる。
そしてオーブンに入れて、焼き上がるのを待つ。
少しすると、だんだんと香ばしい匂いが漂ってくる。
うーん、いいな。クッキーとかパウンドケーキを焼く時のこの匂いが、僕は結構好きだ。
ロザリーとディが頑張って型抜きしてくれたからね。美味しく出来るといいな。
2人の事を思い出して小さく笑っていると、ドアがまた開いた。
もしかしてロザリーたちが何か忘れ物でもしたのかな?
そんな風に思って僕は振り返り、
「どうしたの、何か忘れ物でも……」
――と言いかけた時、強烈な殺気を感じた。
「っ!」
咄嗟に横に飛びのく。
次の瞬間、僕がいた目の前のカウンターに躊躇いなく、剣が振り下ろされていた。
嫌な音がしてカウンターに刃がめり込む。
『レオ!』
「大丈夫!」
焦った声の『星降り』を安心さるようにそう言いながら、僕は襲撃者から距離を取った。
だけど。
「――――チッ、外したか」
続いて聞こえてきた覚えのある声にギクリとする。
顔を上げて襲撃者を確認する。
数は3人。
「君達は……」
そこにいたのは僕のかつての仲間達だった。




