第5話 とある女冒険者の小さな収穫
スタンピードから数日が経った。
あの日、瓦礫の中で大きな腹を丸出しにして気絶していた男――持田大福。
その男を見つけた女冒険者――篠宮彗は、街の総合病院の廊下を歩いていた。
明るい金色の髪を顎のラインで切り揃えた、ショートボブの女だった。
手には、近所で評判のパティスリー『ルコント』の紙袋。スタンピードで足を骨折した同業の友人――笹川涼子と一緒に食べるつもりで買ったものだ。
ナースステーションで病室番号を確認しようとして、篠宮はぴたりと足を止めた。
「笹川さんでしたら、今朝退院されましたよ」
「……えっ」
骨折と聞いていたから、もう少しかかると思っていた。まあ、連絡なしに勝手に動くのは、いかにもあいつらしい。自由気ままな猫みたいな女である。
篠宮は手元の紙袋を、無言でちらりと見た。ケーキが四個。
「……仕方ない。全部持って帰るか」
やれやれといった表情をしているが、口角が、ほんの少し上がっていた。
お見舞いの品として購入したが、いざ独り占めできることになり、気分は上向きでいるようだ。
歩きながら、篠宮は数日前から今日までの間、頭の隅にあった疑問を、改めて転がしていた。
スタンピードのボス個体だった黒狼。
ギルドの発表では、発生初期の段階で討伐済みとされていた。
篠宮が現場で見たものと並べてみる。
袋小路に転がった引き裂かれた黒狼の残骸が。
その近くに例の男が気絶していた。
周囲に他の冒険者の姿はなし。
状況だけ見れば、結論は一つしか出ない。
――その男が、黒狼を撃破した
だが、それが信じられなかった。
冒険者の等級は、五段階。下から順に、下級・中級・上級・特級・超級。
そして、その全てとは別枠で『世界百強』という称号がある。
等級はギルドが査定する公的な階級。
世界百強は世界中の冒険者を統括する評議会が認定する人数固定の特別枠だ。
超級の中でも一握りの怪物が、そこに名を連ねる。
ただし、等級は強さの絶対的な指標ではない。
同じ上級でも、地道に積み上げてきたベテランと、化け物じみた才能で駆け上がった若手では実力にかなり差があるし、中級でも上級顔負けの実力者はいる。
年収も得意分野や運次第でブレる。
等級は『だいたいこのくらい』を示す看板にすぎず、中身の詰まり具合は結局のところ個人差がある。
その上で、改めて考える。
あの黒狼を仕留めるのに必要なのは実量を。
発生初期は弱体化されている言われているが、どんなに低く見積もっても上級の上位、現実的には特級。場合によっては超級でようやく安全圏という相手だ。
では、あの男はーー
そこまで考えたところで、廊下の先に人影が見えた。
売店の前。
プリンと炭酸飲料と思しきものを大量に抱え込んだ、丸っこい男が、ほくほくと幸せそうな顔で歩いていた。
「…………」
篠宮は、今まさに記憶を思い起こしていた当人が視界に入り込んだことに、思わず思考が止まった。
自分の中の疑問を解消するために、確かめたいことがあった。
とはいえ、あまりに自分本位なので、声をかけるべきか、一瞬迷う。
冒険者の暗黙のルールとして、初対面の相手にスキルや戦闘の話を直接ぶつけるのはマナー違反だ。
まして相手は、数日前に瓦礫の中から運び出したばかりの男である。
いきなり黒狼の話を切り出せば、探りを入れているようにしか見えない。
それでも、このまま見送るには惜しい遭遇だった。
まずは、あの日あの場で彼を見つけたことだけ伝える。
その流れで、彼がどこまで覚えているのかを少し聞くくらいなら、不自然ではないだろう。
幸い、こちらの手にはケーキという、多少は場を柔らかくしてくれそうな見舞い品がある。
手ぶらで呼び止めるよりは、まだ角が立たない。
意を決して近づくと、男はもう一本炭酸飲料を追加で買おうかどうか、本気で悩んでいる顔をしていた。
……まだ買うんだ。その腕、もう限界では?
なんというか、慎重に様子を見ようとしていた気持ちたっだのが、一気に馬鹿らしくなっていくような相手だった。
「あの、すみません」
男がきょとんとした顔で振り返る。
「あ、はい?」
「あの、突然すみません。先日のスタンピードの時、瓦礫の中で倒れていたあなたを見つけた者です。篠宮といいます」
男は一瞬、ぽかんとした。
それから、腕いっぱいのプリンと炭酸飲料を抱え直し、気まずそうに笑う。
そして礼を言うべき場面だと気づいたのか、少しだけ背筋を伸ばした。
「……あ、えっと。すみません。その節はご迷惑をおかけしました。助けていただき、ありがとうございます。瓦礫の中で倒れていた持田です」
篠宮はその名乗り方が少しおかしくて、思わず小さく笑った。
「……ふふ、あ、すみません。笑うつもりはなかったんですが」
「いえ、大丈夫です。自分でも少し名乗り方を間違えた気がしていたので」
「確かに、瓦礫の中で倒れていた者です、は少し独特でしたね」
「自分でもそう思います。まさか助けてくれた方とお会いするとは思ってもみなかったので、ちょっとテンパりました」
篠宮はまた、少しだけ笑ってしまった。
「よかったら、こちらどうぞ。友人の見舞い用に買ったものなんですが、退院していたみたいで」
「え、いや、そんな。初対面でいただくわけには」
「このあと用事があって、持って帰ってもすぐには食べられないんです。よければ、もらってください」
「……では、ありがたく」
持田は少し迷ったあと、腕いっぱいのプリンと炭酸飲料を抱え直した。
その顔はにこやかだ。
篠宮は、その空気に乗るように、できるだけ何でもない口調で続けた。
「――あの日、倒れる前後のことって、何か覚えていますか」
篠宮の問いに、持田の笑顔が、ほんの少しだけ固まった。
「持田さんが倒れていたあたり、かなりひどい状況だったので。少し気になっていて」
「……ああ、えっと。正直、ところどころ曖昧でして」
返事はしたものの、明らかに一瞬の間があった。
篠宮にはその反応だけで十分だった。
覚えていない、というより。
ーー何かを隠そうとしている顔
篠宮は瞬時にそう判断し、それ以上踏み込むのをやめた。
ここで聞き続ければ、ただの詮索になるし、変に警戒されるのも本位ではないので、別の話題に転換した。
「あはは、そうですよね。すみません、変なことを聞きました。改めて考えてみたら、いちいち詳細とか覚えてられる状況じゃなかったですもんね。あ、そのケーキ結構評判だったので、また会う機会があれば感想を聞かせてくださいね」
篠宮のその言葉に、持田の顔が分かりやすく明るくなった。
「入院中のところ、急に呼び止めてすみませんでした。発見した時はかなり酷い怪我でしたから心配してたんです。元気そうで少し安心しました」
「こちらこそ、助けていただいて本当にありがとうございました。ケーキ、ありがたくいただきます。またお会いする機会があれば、その時に感想を伝えますね。お礼も、改めてさせてください」
二人は軽く会釈を交わし、その場で別れた。
ケーキを抱えて、どこか浮き足立った様子で病室へ戻っていく持田の背中を見送り、篠宮は病院を出た。
黒狼のことも、あの場で何が起きたのかも、結局聞けないままだ。
だが、名前は聞けた。
持田が何かを覚えていて、あえて言葉を選んでいることも分かった。
ケーキの感想を聞く、という次の口実もできた。
今日のところは、それでよしとするしかない。
それに、収穫がなかったわけではない。
――やはり、あの黒狼を倒したのは持田なのだろう
そう考えるのが、一番自然だった。
ただ、分からないことは増えた。
救助した時に見た装備は、どう見ても下級から中級程度のものだった。
少なくとも、特級や超級の冒険者が身につけるような代物ではない。
よって冒険者の等級的にあまり高くない、ということ。
やはりどう考えても黒狼を倒せるはずがなかった。
だが、倒している。
つまり実力差を覆せる何が起きたということなのだろう。
謎は深まるばかりだ。
それでも、篠宮は不思議と、また会う気がしていた。
根拠はない。
夕暮れの中、篠宮は一人、ゆっくりと歩いていった。




