番外編☆〜アレックス登場の巻〜(中)
まず、謝らせて下さい。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!
窓に背を向け、椅子に座った令嬢。彼女の目の前には、侍女がかがんでいた。細く、小さい筆が、顔の上を滑る。繊細かつ慎重に動かされる筆。何度も何度も重ねるようになぞられる。侍女のすぐ横には大きめの箱が置いてあった。蓋が開けられており、まるで絵の具のように鮮やかな色が並べられていた。
筆が離れると同時に、侍女が満足したように溜め息を吐いた。
「ふぅ……。出来ましたわ、アレクサンドリア様。これでどうでしょうか」
手渡された手鏡を見て、令嬢も満足気に頷く。
「えぇ、これでいいわ。流石は優秀たる私の侍女ね、クリステル」
ふふふっ、と艶然に微笑む。手鏡の中に映るのは、美しいプラチナブロンドとヒヤシンスブルーの瞳を持ち、……顔に恐ろしい程の火傷の傷を負った女。火傷の傷さえなければ、彼女はさぞ大陸一の美姫であったであろうに。常に美しさを追求する令嬢にとっては致命的としか言いようのない悲惨な姿であった。にも関わらず、令嬢は満面の笑みを浮かべている。まるで、それが己の望む姿であるかのように。
「つか、望んでんだけどな」
「アレックス! 淑女らしくするのではなかったのですか!?」
「何故、聞こえたッ!?」
小さな声で、ボソッと、ボソッッと呟いた声はどうやらクリスには聞こえてしまったようである。クリステルの地獄耳は素晴らしい。
「むふっ、むふふふふふっ」
アレックスは機嫌が良かった。それはもう、今この場で奇声を上げまくりそうになるくらいに。つい、ニヤニヤと気持ち悪い表情で、口から気味の悪い笑い声が漏れる。折角の美形が台無しだ。
「ど、どうしたというのです、アレックス。そんな嫌らしい笑みを浮かべて」
「嫌らしいとは失礼な! 麗しいと言いたまえ、クリス」
窘めると、すぐさま鼻でフッと笑う。かなりムカつく表情だが、それでも美しい事に変わりないのが、また何とも言えず、腹立たしい。相変わらず、上機嫌のアレックスは人を苛立たせる達人のようだ。
ハァ〜……と疲れたようにクリスが溜め息を吐いた。
「他の側室の方々からお茶会への招待状を受け取ったくらいで、どうして、そんなに不か……失礼、嬉しそうに笑われるのですか?」
オイ、コラ、この野郎。お前今不快って言いかけたよな? ジトッと横目でクリスを睨む。だがクリスは知らんぷりだ。アレックスはむぅっと頬を膨らませたが、即刻これからの予定を思い出したのか、また不気味な笑みを零した。
「むふふふふっ。天使ちゃん達からの愛ある招待状だぜ? 行かなくてどうするよ?」
「逆に、行ってどうするつもりなんですか」
というか、その招待状、絶対招待状なんかじゃねぇよ。絶対挑戦状とか宣戦布告状とかの類だよ。と、内心全力でツッコミを入れるクリス。しかし、決してそれを口には出す事はない。何故ならば、アレックスにそのツッコミは通用しないからだ。片耳からもう片方の耳へと通り過ぎるだけ。キャッチされないので、口に出す意味が全く無いのである。
「しかもさ、この招待状、プレゼント入り。嬉しい限りだよ」
そういえば、この招待状を渡された時、相手方の侍女は明らかにクリスを嘲笑っていた。
招待状は何やら便箋だけでなく物も入っていたのか、膨らんでいた。
もしや……。
「ア、アレックス?」
「んー?」
「その、招待状の中に入っていた贈り物というのは何なのですか?」
「あぁ、それ?」
ゴソゴソと何処に隠していたのやら、貰ったプレゼントを出す。そこに現れたのは……
「ア、ア、ア、アレックスゥゥゥッ!?」
「じゃ、じゃーん。鼠の死骸ー。を、標本にしてみたよ☆」
そう、アレックスが出したのは、なんと、鼠の死骸を標本化したもの。明確過ぎる上に、紛う事無き嫌がらせだ。それを何故愛ある贈り物と言えるのか。女性からならどんな悪意でも、何故か好意として受け取ろうとするその恐ろしい曲解力はいつ、どうして出来てしまったのか。侍女だが、幼馴染でもあるクリステルには全く覚えが無かった。
「何故、捨てないのです!? 何故、標本になどにするのですか!?」
「折角の天使ちゃん達からのプレゼントなのに、なんで捨てなきゃなんねーの?」
逆に真顔で問いかけてきた。冗談かと思われるだろうが、本人は至って真剣だ。クリスは驚き呆れ、片手を額に当て、天井を仰ぐ。眩暈を起こしてしまいそうだ。
「にしても、どーやって手に入れたんだろーな? 鼠って、探すとなると、結構難しいのに。しかも、外傷無しって、凄過ぎるだろ」
アレックスは標本化した鼠をあらゆる方向から観察した。それも、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべて、だ。女性の事となると、身分も年齢も外見も内面も関係無く、アレックスは食らいつく。基本、女性に関しては博愛主義なのだ。
「どっこらせー」と淑女らしからぬ、爺臭い台詞を口にし、アレックス、否、アレクサンドリアが立ち上がる。一々、アレックスの異常性について追及しても、仕方が無い。クリステルは諦め、アレクサンドリアに声を掛けた。
「……さて、行きましょうか、アレクサンドリア様」
「うぇーし、行くぜぃ!!」
この馬鹿王女は……。口元が引き攣る。
「アレクサンドリア様?」
「……えぇ、勿論」
名を呼ばれ、ギロリと睨みつけられた為に、アレクサンドリアは言い直した。クリステルのお仕置きは、この世で一番怖いのだ。今から赴くはお茶会の場。すなわち、温室。
「さぁ、行くわよ、愛しの天使達の花園へ!」
"戦場"の間違いだろう。そう、クリスは思ったが、もう面倒なので訂正をしなかった。
* * * *
煌びやかな装飾に彩られた離宮内。そこに住むのは皇帝の美しき美姫達。皇帝だけの、高嶺の花として咲く彼女達は、その美しい外見とは裏腹に、内面は、常に相手を蹴落とそうという醜い欲望に満ちている。そんな中、美しい側室達の中で、一際目立つ醜い側室がいた。
その側室の名は、アレクサンドリア・アーベル・セイロアーナ。由緒正しきセイロア国の第三王女だ。彼女はかつて、大陸一の美女だと謳われていたが、今は顔を悍ましい火傷で覆われてしまっていた。偶然か、それとも必然か。彼女は誤って熱湯を顔から被ってしまったのである。セイロア国第三王女アレクサンドリア・アーベル・セイロアーナは悲劇の美女として、大陸では有名であった。
そう、表向きは。
性別は女性であるにも拘らず、酒好き、大の女好き、そして、男嫌いの男装の麗人。背は高く、(女性には)紳士的で、この世の何よりも美しい『白百合の騎士アレックス』。それこそが、アレクサンドリア・アーベル・セイロアーナの真実である。尚、それを知っているのは、セイロア出身の者のみだ。
そして、その本人であるアレクサンドリアは侍女のクリステルを伴い、廊下を歩いていた。二人の前には、招待した側であるセリーナ嬢付きの侍女が歩いている。
先程の野蛮さを見せない、優雅な歩き方だが、やはり彼女の顔に描かれた火傷の痕が優雅さよりも悲壮感を漂わせていた。ところで、何故なのだろうか。アレクサンドリアの顔が青く染まっている。女好きのアレックスは、中身はともあれ、見た目はさぞ麗しい側室令嬢の元に向かっているというのに、全然嬉しくなさそうなのだ。
これは由々しき事態である。
不意に、アレクサンドリアはチラッと、クリステルを盗み見た。それに気付いたクリステルはにっこりと笑う。美人なだけに、見惚れてしまう笑顔だが、目が全く笑っていない。それどころか、背後に全てを飲み込んでしまうような暗黒色のオーラを纏っていた。これは怖い。怖過ぎる。即、顔を逸らした。心なしか、アレクサンドリアの額には大量の脂汗が浮かんでいた。無敵のアレックスを怯えさせるとは。クリステル、恐るべし。
そもそも、何故アレクサンドリアが怖がっているのか。 時は少々遡り、部屋を出る前に戻る。
「アレクサンドリア様」
「なぁに?」
部屋を出ようとした途端、クリステルに小声で呼び止められる。アレクサンドリアも小声で、令嬢を装いながら答えた。
「今から、先方の侍女が案内をして下さいます。単刀直入に申し上げますが、く・れ・ぐ・れ・も、視姦しないで下さいませ」
「なんでぇ!?」
曖昧な表現を一切使わなかった。口調がアレックスに戻る。それを、クリステル睨まれた事により、すぐに正した。
「……どうしてかしら?」
「令嬢たるもの、他人、それも同性に対し、卑猥な目を向けるとは何事ですか!いけませんよ、アレクサンドリア様。貴女様は同性愛好者ではありません、異性愛好者なのです! お茶会にて、他の側室方にも向けないで下さい! いいですか、今の貴女様は変態アレックスではなく、悲劇の王女アレクサンドリアなのです! そこのところは、きちんと弁えて下さい!」
「……承知したわ」
シュン……としょげる、アレクサンドリア。その哀しげな姿に、彼女の性格を知らぬ者は心打たれるだろうが、残念ながらクリステルはよく知っている。故に、クリステルはアレクサンドリアに優しくなかった。
「分かれば良いのです。さぁ、いつまでも、あの侍女を待たせてはいけませんわ。参りましょう、アレクサンドリア様」
「えぇ! 夢の花園へ……」
クリステルが、懲りず目が輝かせるアレクサンドリアの顎を掴み、顔を近づけた。
「言うこと聞かなかったら、分かってんだろうなァ……?」
クリステルの顔が悪鬼のごとく歪んでいる。その恐ろしさのあまり、アレクサンドリアは漏らしてしまいそうだった。
「す。すんません……」
これほどブチ切れたクリスを見たのはアレが初めてだったと、後にアレックスは語ったという。
そして、今現在、彼らはお茶会が開かれる温室に移動中だ。クリステルに怯えつつも、アレクサンドリアは内心ウキウキしながら歩いていた。天使達に会える、天使達に会える、天使達に会える! 頭の中は天使達の事でいっぱいだった。碌に前を見ていない。
「到着致しました。こちらです」
ハッと気づけば、いつの間にか温室の扉の前。
「セリーナ様、ティファニー様、エリナー様がいらっしゃいます」
「ありがとう」
っしゃァァアアアッ!! いよいよ来たぜ、夢の花園ォォオオ!!
一見無表情に見えるアレクサンドリアの顔。しかし、僅かだが、僅かだが頬が赤く、少々鼻息も荒くて、何より目が爛々と輝いている。オマケに口元に微量の涎が。
「アレクサンドリア様?」
セリーナ嬢の侍女アンナが怪訝そうに見ていた。
「あぁ……、ごめんなさい。開けて頂けるかしら?」
アレクサンドリアは何事もなかったかのような態度をとった。クリステルは小さく溜め息をつく。
本当に大丈夫なんだろうか?それに答えてくれる者は誰もいなかった。
遅れてごめんなさい!
セリーナ様達が登場出来なくてごめんなさい!
アレックスが気持ち悪過ぎてごめんなさい!