093.入学テスト
リリアーナは手を広げたまま泣いていた。
魔術を使う時はいつでも後ろにいて、支えてくれた人がいない。
手を握って指先の温度を確かめてくれる人がいない。
ノア先生……。
リリアーナは小さな声でつぶやいた。
「すごいな」
黒髪の男性は演習場に倒れた40人を見て感嘆の声を上げた。
担任の先生は目を見開いて驚いている。
リリアーナは手を下ろすと、倒れた40人に向かってごめんなさいとお辞儀した。
手で涙を拭う。
「……私の勝ちでいいですか?」
リリアーナは振り返って担任に聞いたが、驚きすぎた担任からは返事がなかった。
「はははっ。すごいね、想像以上だ」
黒髪・黒眼、白衣を着た男性が演習場へ降りてきた。
「初めまして。スライゴです。ウィンチェスタ侯爵とうちの父が友人でね、聞いたことある?」
スライゴ侯爵の息子はリリアーナに手を差し出した。
握手だろうか?
リリアーナが手を差し出すと、なぜか手の甲に口づけされた。
「は? え? 何ですか?」
リリアーナが慌てて引っ込めると、スライゴ侯爵の息子は声を上げて笑った。
建国祭の時、ウィンチェスタ侯爵は隣国のスライゴ侯爵と一緒に旅行に行っていた。
おとうさまの友人の息子とこんなところで会えるなんて。
「みんな寝ちゃったからね。3時間目は中止かな? 予定変更でテストをしようか」
再び手を出されたが、今度はリリアーナは警戒した。
なかなか手が出せない。
悩んでいるリリアーナを見て笑うと、スライゴ侯爵の息子は無理矢理手を取り、リリアーナを先ほどの教室まで連れていった。
「助けなくてごめんね。本当に危なかったら助けようと思っていたんだよ」
スライゴ侯爵の息子は、ここ帝立学園に留学していたが昨年15年生を卒業し、今は教授の見習いをしているそうだ。
「本当ですか? スライゴ先生」
絶対助ける気なかったでしょ?
リリアーナはぷいと横を向いた。
教室の1番前、教卓の真正面の席に座り、羽ペンとインクを出した。
「ラインハルト殿下達はどうするんですか?」
寝ていますけど、あのまま放置?
リリアーナが首を傾げるとスライゴはまた笑った。
「か弱い女の子1人に寄ってたかって攻撃しようとしたんだから、目覚めるまであそこに放置でしょ」
まぁやられちゃったけどね。と笑う。
「何がどこまで出来るのかわからなかったから、ちょっとテストがいっぱいあって」
スライゴはリリアーナにテストの問題を手渡した。
魔術、計算、歴史、地理、薬草学? 剣術? 解剖学?
明らかにリリアーナに関係ないものもある。
「難しい問題もあるから、わからないのは空白でいいよ。わかりそうなものだけ解いて」
剣術なんてわからないでしょ? とスライゴは笑った。
時間も測らないから適当で。
わからなかったら終わりでいいよと言う。
「あ、あとこれがオマケ問題。できたらやってみて」
最後に1枚手渡された。
ドラゴンを出来るだけ傷をつけずに倒したい。
どんな戦術で倒しますか?
武器、魔術、道具の使用は自由。
人数も自由。
図を用いて詳しく書きなさい。
……フレッド殿下?
特別講座と同じ内容ではないだろうか。
あの時は失敗してしまったが、今なら正解が書けると思う。
リリアーナはオマケ問題なのにその紙から答えを記入した。
スラスラと書き始める独特な絵。
真ん中はドラゴンを描いたつもりだろうか。
四角い箱に閉じ込められている。
スライゴはリリアーナの解答用紙を上から覗いていたが、楽しそうにたくさん書いているので、椅子に座って待つことにした。
テストもたくさんあるので本を読みながら待つ。
途中でお昼ご飯も挟んであげなくては。
リリアーナを見ると楽しそうに問題を解いていた。
ウィンチェスタ侯爵に聞いていたとおり真面目な子のようだ。
スライゴは微笑んだ。
魔術は初等科・中等科で習った内容と、ノアールに家庭教師をしてもらった内容で答えを埋めることができた。
計算は全部解けた。
計算ミスとかないと良いけど。
グラフも、台形の面積も、球の体積も解けたと思う。
歴史は……ごめんなさい。
ドラゴニアス帝国の歴史わかりません。
地理もわからない。
中等科で習ったのはエスト国周辺だけ。
ドラゴニアス帝国は世界を勉強するようだ。
薬草学は中等科で習った部分ならわかる。
あとはラベンダーとか、ハーブとか、前世の知識が少し使えたと思う。
剣術はお兄様が庭でやっていたものだけ。
難しい技はわからない。
意外だったのは解剖学。
フレッド殿下にもらったドラゴンの本のおかげだ。
今更だが、とても貴重な本をもらっていた事に気がついた。
今日帰ったら読み返したい。
ミナは本を持ってきてくれただろうか?
一通り解き終わったが、リリアーナはぼんやり問題を見ていた。
ノアールにもフレディリック殿下にもエドワードにも、たくさんいろいろな事を教わっていたのだ。
私はみんなに何か1つでもお礼ができていただろうか?
いつも迷惑ばかりかけた気がする。
急に動かなくなったリリアーナに気づいたスライゴは視線を本からリリアーナに向けた。
「どうした?」
答えがわからなくても大丈夫だよ。とスライゴが慌てて励ます。
リリアーナは泣きながら、ごめんなさいと俯いた。
「昼飯食べてから続きをしようか」
スライゴの提案にリリアーナは首を横に振った。
「終わりました」
涙を拭いながらリリアーナはテスト用紙をまとめてスライゴに手渡した。
1教科1時間のテストだ。
普通に解いたらオマケも入れて8教科、8時間。
まだ2時間も経っていない。
ほとんどわからなかったのだろうか。
「じゃぁ、これは預かるよ。食堂にご飯食べに行こうか?」
スライゴにまた手を引かれながらリリアーナは食堂へ行き、お昼ご飯を食べた。
帝立学園の食堂は無料で食べることができるそうだ。
種族が違うためメニューも多いが、人気メニューは競争が激しいらしい。
今はまだ4時間目の授業中なので1番人気のランチを頼んでくれた。
「……魚!」
リリアーナは目を輝かせた。
エスト国にはなかった魚料理。
サケのムニエルのような見た目だ。
「エストにはないでしょ?」
苦手だったらこっちの肉と交換してあげるから食べてごらん。とスライゴは笑った。
小さく切って1口食べる。
魚だ! 本物の魚!
食べたかった! 会いたかった~!
美味しそうな顔のリリアーナをみて、スライゴは安心した。
食事をしながら学園の事や授業の内容をいろいろ聞くことができた。
朝の馬車でラインハルトに聞けなかった事は全部聞けたのでよかった。
魔術回路を勉強したいと言ったら、スライゴは9年生の授業だと教えてくれた。
「スライゴ先生ありがとう」
帰りの馬車の場所までスライゴが送ってくれる。
ラインハルトがまだ演習場で寝ているからだ。
テストも終わってしまったので予定よりだいぶ早く帰る事になってしまったが大丈夫だろうか。
「テストの結果はクリスにも報告するから」
「えっ? クリス兄様?」
リリアーナは馬車に乗る途中で止まり、思わず振り返った。
「友達なんだ」
スライゴは学園で一緒だった事があるのだと教えてくれた。
「えぇ~。残念な結果だったら内緒でお願いします」
「はははっ。わかった」
スライゴはリリアーナの馬車の扉を閉め、御者へ指示をする。
「じゃぁまたな」
スライゴは手を振って送り出した。
担任とクラスの子は最悪だったけど、スライゴ先生に会えて良かった。
リリアーナは馬車の窓からのんびり景色を眺めながら帝宮へと戻っていった。