第1話:元・地方公務員、赤ちゃんで転生して実家の台所事情に絶望する
新作『エルフの王女にフラれたので、辺境の荒れ地を最強の要塞都市にしてみる 〜日本刀と行政チートで始める他種族スローライフ〜』の連載を開始いたします!
前世は行政の地方公務員だった主人公が、赤ちゃんの頃から実家の深刻な財政難に直面し、じっくりと歩み始めていく物語です。
第1話から主人公の転生直後の絶望やクロフォード家のリアルな台所事情をお届けします。ぜひお楽しみください!
【年齢:0歳(転生直後)】
――過労と限界突破の推し活の末、私の意識はプツリと途切れた。
市役所の窓口で理不尽なクレーマーの相手をしつつ、深夜は自室に戻ってエルフや獣人が闊歩するファンタジー小説のページをめくる日々。もう少し健全に生きればよかったという激しい後悔と共に迎えた最期だったはずなのだが、人間、死ねばすべてが終わりというわけでもないらしい。
「あら、アラン。今日もいい子ねえ」
視界に入ってきたのは、天井を這う煤けた木目と、やたらと見上げるアングルにいる巨人のような――おそらく母親の――顔だった。
どうやら私は、光り輝く天国でも地獄でもなく、見知らぬ異世界の辺境における、貧乏男爵家の次男として赤ん坊から人生をやり直しているらしい。
(――ふむ。前世の記憶を維持したままの転生、か)
ベッド代わりに使われている粗末な木製の揺りかごの上で、私は新生児らしからぬ知的な眼差しで天井を見据えた。
体はどこかミルク臭く、自由に動くのはようやくピクピクと動かせる手足の指先程度。それになんと言えばいいのか、この、おむつを着用している下半身の何とも言えない蒸れと不快感たるや、元・社会人として非常に精神的ダメージが大きい。生きるための生理現象なのだから仕方がないとはいえ、大の男の精神を持ったまま赤ん坊の身体で過ごすのは想像以上にハードモードだった。
だが、そんな肉体的な不快感を吹き飛ばすほど、私の脳内にある元・地方公務員としての「行政、税制、予算編成、インフラ整備の実務ノウハウ」は、前世のまま完璧に保存されていた。
(よし。まずはこの身を置く環境の把握だ。情報のインプットなくして適正な施策の立案はあり得ない。この貧乏男爵家の家計状況と、周辺地域の財政構造を分析し……って、おい)
廊下の向こうから聞こえてきた、切羽詰まった男性の声に、私の赤ん坊の耳がぴくりと反応した。
それは私の新しい父親である、男爵レイモンドの声だった。
「おいソフィア! いよいよ今年の領内税の納付期限が迫っているというのに、我が家のキャッシュが完全に底をついたぞ! このまのでは上位の伯爵家に納める上納金が払えず、家督もこの屋敷も、先祖代々の土地の権利すらもすべて差し押さえられてしまう……ッ!」
「落ち着いてください、あなた! そんな大声を出したら、あかちゃんのアランが起きてしまいます……!」
母親であるソフィアのなだめる声が聞こえる。
どうやら私の実家であるクロフォード男爵家は、赤ん坊の私ですら冷や汗をかくレベルで、笑えない借金まみれのようだ。
私はまだおぼつかない小さな手を握り締め、赤ん坊の喉を鳴らした。
前世の公務員としての血が、私のなかで静かに、しかし強烈に疼き始める。
――待て待て待て。
せっかく憧れのファンタジー世界に転生して、大好きなエルフや獣人たちの文化を愛でながらのんびりスローライフを満喫しようと思った矢先、実家が経済破綻してニートどころか一家離散の奴隷落ちルートでは、私の人生設計が最初から崩壊してしまうではないか。
(これは一大事だ。一刻も早く実家の財政データを洗い直し、歳出の削減と歳入の拡大プランを立案しなければ……!)
そう意気込んだものの、あいにく今の私はミルクをねだることしかできない生後間もない赤ん坊である。寝返りすらまともに打てない肉体では、いかに元・行政のプロといえども、予算案の提出なんてできるはずがなかった。
それから――月日は少し流れ、私が這い這いを覚え、ようやく室内の様子をこの目で確かめられるようになった頃。
我が家の経済状況は、改善するどころか悪化の一途を辿っていた。
ある日の夕方。古びたダイニングテーブルを囲み、我が家の家族会議が開かれていた。
「父さん、今年の直轄領からの穀物収穫量が、去年に比べてさらに一割減っています。このままでは、領民たちの冬を越す分の食糧すら怪しいのですが……」
そう言って青白い顔で書類の束を抑えているのは、私の兄であるアルフレッドだ。
真面目で責任感が強い彼は、家督を継ぐ立場として毎日必死に父親を支えているのだが、いかんせん領地の経済基盤がボロボロすぎて、毎日のように胃を痛めている苦労人である。
「うう……わかっているアルフレッド。だが、うちには農地を改良するための予備費などないのだ。先祖代々の畑は痩せ細っているし、隣の領地との商業協定もうちが買い叩かれているせいで……くっ、私の不徳のいたすところだ!」
頭を抱えてテーブルに突っ伏すのは、父親のレイモンドだ。苦労性の彼はすっかり白髪が増え、男爵としての威厳よりも哀愁の方が漂っている。
「あなた、そんなに自分を責めないでください。みんなで何とか乗り切りましょう?」
優しく微笑みながら、母のソフィアがレイモンドの背中をさすっている。家計がどれほど苦しくても、母はいつも家族の笑顔を絶やさないように努めてくれていた。
私は部屋の隅のラグマットの上で、その様子をじっと観察していた。
(父上のレイモンド氏には申し訳ないが、ビジネス感覚や税制の知識が絶望的に足りていない。先祖代々の古いやり方に固執しているせいで、領内にある特産品の鉱石や薬草を適正価格で流通させられず、商会に旨味を全部奪われている。おまけにインフラが整備されていないから物流コストが跳ね上がり、商人も寄り付かないという最悪の悪循環だ)
私は幼いながらも、家の書斎の隙間から盗み見た書類や、大人たちの会話から得た情報を脳内で完全にデータベース化していた。
(私に権限さえあれば、一瞬ですべての不合理を解消し、この領地を黒字化させる自信があるのに……!)
しかし、現実の私はまだ物心がついたばかりの幼子である。どれほど行政の知識があろうとも、大人の社会では「子供の戯言」として一蹴されてしまうだろう。
「なあ、アラン……お前は最近、やけに難しい顔をして何を見ているんだ?」
ふと、兄のアルフレッドが私に苦笑いを向けながら尋ねてきた。
長男である彼は、赤ちゃんの頃からなぜか自分を冷徹な目で観察していた(ように見えた)弟のことを、少し不思議に思いつつも可愛がってくれていた。
「何でもないよ、兄さん。ただ……この家の未来の予算配分について、少し考えていただけさ」
「ははっ、お前がいつか本当にうちの財務大臣になってくれたら助かるんだけどな!」
アルフレッドは冗談半分に私の頭をポンポンと撫でた。
――だが、兄よ。その冗談、数年後には現実のものになるかもしれないぞ。いや、してみせよう。
この貧乏男爵家に生まれたのも、何かの縁だ。
いつの日かこの実家を見返し、さらには大好きな他種族たちと笑顔で暮らすための理想郷を築き上げるため、私はこのボロボロの環境の中で、密かに、しかし着実に爪を研ぎ澄ませていくのだった。
――物語はここから、幼少期の成長と、やがて訪れる運命の旅立ちへと続いていく。
第1話をお読みいただき、ありがとうございます!
第1話から、主人公アランの転生直後の不快感や絶望、そして苦労性の父レイモンド、優しい母ソフィア、真面目な兄アルフレッドが織りなすクロフォード家のリアルな台所事情を描写しました。
この借金まみれの温かい家族のもとから、アランがどのように成長し、あの「エルフの王女との出会い」や「師匠との修行」へ繋がっていくのか。
第2話もお楽しみに。




