第四話
道木と宮窪の交流は、意外にも、夏休みが過ぎ、大学の後期が始まっても続いていた。
とは言っても、廊下ですれ違ったら会釈する程度で、同じ講義でも同席することは極わずかで、直接話すことも珍しい。
メッセージのやりとりもまばらで、授業でわからないところを聞き合ったり、履修登録の相談をしたりと、週に数回程度で、雑談することは稀だった。
けれども道木は、彼女と目が合うと、なんだか嬉しい気持ちになり、相手の目もそう見えることが、さらに嬉しかった。
やり取りの少ない中、ずっとそれが続いていることも、それだけお互いがこの関係に執着しているようで、なんだかくすぐったかった。
彼女からそのメッセージが届いたのは、金曜日の夜、夜中にさしかかるくらいの時間だった。
《宮窪: すみません。助けてください。》
突然の連絡に心臓がはねる。
《道木: どうしたの?》
この数ヶ月間で、道木は彼女への敬語をやめていた。他ならぬ彼女がそう望んだから。
しかし、一向に既読にすらならないメッセージに道木は焦る。
返信が届いたのはそれから5分後のことで、メッセージではなく、グルメサイトのURLが送られてきた。
それが大学の近くにある居酒屋と確認した道木は、ジャケットを一枚羽織り、一人暮らしの家を飛び出した。
車を運転して10分ほどでその店までついた。
近くのコインパーキングに車を停め、店へ向かう。
店の前には灰皿が置いてあり、大学生くらいの男女が数名たむろしていた。
店に着いたことを彼女に知らせようとスマホを手に取っている間、彼らの話し声が聞こえてきた。
「てかさ、あいつまじチョーシのってない?」
「わかる〜、自分は特別デショ?ってカンジ!」
「わざとらしく見せつけちゃったりしてね〜!ここ日本だっつうの!」
ゲラゲラと笑う彼らの声に顔をしかめつつも、メッセージを入れ終わり、返信を待とうとした。
「ま〜いいじゃん、今回は先輩、ガチで狙いに行くって話だったし。」
「ね、あいつ酒飲んでたし、ガード下がってていけるんじゃない?」
「あいつも男できたら大人しくなるっしょ。じゃないと他の男まで吸われてメーワクなんだよね~」
「あの先輩、何人も学科の新入生食ってるっていうし、余裕っしょ、てかさ、てかさ、俺たちも抜け出さね?」
「え〜!ちょうどそう思ってた!いこいこ!」
そこまで聞いて嫌な予感がした道木は、メッセージの返信を待たず店の中へ入った。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?ラストオーダー近いですが…」
「すみません、中で待ち合わせで、その、法学科の飲み会で…」
「あ、そうなんですね!ご案内します。」
言葉を濁した上に博打だったが、なんとか伝わった。
「こちらのお座敷です。」
「ありがとうございます。」
座敷はふすまで区切られており、中の様子はわからない。靴を脱ぎ、中に入ろうとしていると、宮窪の声が聞こえた。
「や、やめてください…」
「だ〜か〜ら〜!彼氏とか嘘なんでしょ?わかってるから!ほら、ちょっと場所変えるだけだから!」
「いま、ここに呼んでるので、帰りますから、外へ…」
「あ、じゃあ俺も行くから!おいみんな、また今度聞かしてやるよ!あ、ほら、お祈りは済ませた?ごちそうさま〜って!」
ギャハハと品のない笑いに耐えきれず、襖を乱暴に開ける。
その瞬間、座敷は静まり返り、視線が集中する。
道木は、怯えを表に出さないように、精一杯険しい顔を保ちながら、宮窪を見つけ出すとこう言った。
「茉莉、迎えに来た。帰るよ。」
座敷はまだ静まり返っている。宮窪はハッと我に返ると、立ち上がり、こちらに寄ってきた。
その様子に、宮窪に絡んでいた男が呼びかける。
「マリちゃん、その男が彼氏?冗談でしょ?オッサンじゃん!俺のほうが…」
宮窪は遮るように、
「この人が、彼氏です。もう、帰りますので。」
怯えるように、しかし怒りをにじませて、そう宣言した。
座敷の面々の視線が、道木へ向く。
道木は、彼女を想って怒る男を、精一杯演じながら、
「彼女が、嫌がっています。もうこういう場には、参加させませんので。」
そう言って、彼女の手を引いて、座敷を後にした。
店を出て、駐車場に手を引いて向かうまで、二人は無言だった。
車の前までついたとき、彼女は泣いていた。
車に乗り込むと、彼女は助手席に乗り込む。
そのまま、しばらくの間、会話はなかった。
道木は、車のエンジンもかけず、黙って待っていた。
「…すみません。助けに来ていただき、ありがとうございました。」
少しして、落ち着いたのか、彼女が喋りだした。
「いや、大丈夫。危ない状況だったってのも理解したし、僕も暇だったから。」
「本当に、助かりました。道木さんが来てくれて、安心しました。」
彼女は自分を抱きしめるように、体を抱えながら、泣いていた。
「家どこ?送るよ。」
「…実家は、少し遠くて、電車通学なんです。今日は、友達の家に、泊まるつもりで…、でも、その子が、あの先輩とくっつけさせようとしてて…」
「…そう。じゃあ実家まで送るよ。どうせ暇だし。」
そう提案したのだが、彼女からの返事がない。どうしたものかと待っていると、
「実家でも、一人で…、一人じゃ、不安なんです。一緒に、いてくれませんか?」
彼女はそう言った。
結局、道木は自分の家に彼女を連れて帰ることにした。
彼女もそれを受け入れた。
自宅のアパートの貸駐車場まで帰り、2人で部屋の前まで歩く。
道木は、隣にいる彼女を見て、非現実的な光景だなと、逃避していた。
自宅のドアの前までついた道木は、にわかに、持っていたキーチェーンから、車の鍵だけを取り外し、残りを彼女に押し付けた。
「道木さん、これは…?」
「僕は一緒に部屋に入らない。この部屋は宮窪さんが好きに使ってくれ。汚いかもしれないけど、寝るくらいは問題ないはずだ。」
「え?ちょっと待ってください。道木さんは?」
「僕は車の中で寝る。」
そう言って車の鍵を見せる。
「このくらいの気温なら寝るのには問題ない。それに、不安になったら電話してきてもいいし、呼び出してもらっても構わない。その場合は申し訳ないけど外に出てきてもらう。弱ってるところ申し訳ないけど、ここだけは譲れない一線として、守らせてほしい。」
「…それなら、私が車に、」
「それだと、僕が勝手に車を開けれてしまう。鍵が中に入っていてもセンサーが反応してしまうからね。でも、この家の鍵を渡して、内側から鍵をかけてもらえば、僕は入れない。」
まだ不安そうにする彼女に、
「頼むよ。僕があのベタベタうっとうしい先輩と一緒にされないためにも。」
こういえば彼女は断りづらいだろうと、半分は打算的に、けれどももう半分は本心に見えるように、そう告げた。
「…わかりました。ありがとうございます。このお礼は、必ず。」
「いいよ。今日は疲れたでしょ。おやすみなさい。いい夢を。」
そう言うと彼女は、ちょっと驚いた顔を見せた。
それから、先ほどまでの涙なんか、似合わないほどの笑顔で、
「おやすみなさい、道木さん。いい夢を。」
そう言ってくれた。
車に戻った道木は、着ていたジャケットで簡単に外からの目隠しを作ると、座席を倒し、スマホの通知にすぐ気付けるよう耳元において、目を閉じた。
願わくば、彼女の夢がよいものでありますよう。
願わくば、自分がこれから見る悪夢が、少しでもマシになりますよう。
彼女の祈りを無意味なものにしないためにも。




